大正生まれの私の祖父は、10年ほど前に亡くなった。
生きていればもうすぐ百歳か。
わかばやらエコーやら、強い煙草を好んでいてそれが死因に繋がったが、元来体は丈夫で頭も間際までハッキリしていた人だった。
そんな祖父の心残りは、孫である私の弟(当時30歳)の結婚式に出られなかったこと。
初孫にあたる、長女の私は結婚して子どもも居たのだけれど、長男への期待は別枠だったらしい。
20代で終戦を迎え、戦死した父兄に変わって家長として残された妹弟を育て上げた人だから、一族とか後継ぎとかいうものに思い入れが深いのだと思う。
ましてや本家、分家なんて言葉がお盆の度に飛び交うような田舎だったし。
手先が器用で修理から自作まで、色々出来る祖父のことを私は尊敬していたが、祖父が私にくれる愛情はいつも単純な甘やかしで、長男である弟には時に厳しいハードルを課す様子に、羨みや疎外感を抱いていた。
決定的だったのは小学生の頃に祖父が作ってくれた木彫りの表札を、私だけが貰えなかったこと。
他所に嫁に行った今となれば当たり前の話なのだけれど、当時は自分の名字が変わる、別の世帯になることへの実感が湧いていなかった。
世帯や戸籍なんて言葉は知らなかったけれど、自分だけが違うユニットにいるような、ひんやりとした寂寥感を今でも覚えている。
子どもの頃にそうやって『いずれ別の世帯になるひと』という扱われ方をしたせいか、結婚して名字が変わることにはなんの違和感もこだわりも無かった。
けれど名字が変わっても私は『嫁』なので旦那の親の手続きをするために戸籍を取るためには委任状が必要となる。対して実の父母の戸籍は直系なので自身の身分証明だけで簡単に取れる。
『よその家の人』になったはずなのに、結局は他人みたいで、嫁とはなんなのかとちょっぴりモヤモヤ。
そういえばつい先ごろ亡くなった父の手続きを代理で行って、一番手間がかかったのが『生まれてから亡くなるまでの戸籍を集めること』だった。婚姻や養子縁組など、様々な異動があるたびに本籍地で新しく作られる戸籍。
住民票と違ってコンビニ交付も出来ないそれらを郵送で揃えるのがかなり面倒だった。
相続だから、父に他の子どもや前妻がいないか確認するために必要なのだと思うけれど、土地や建物の登記事項証明書は日本全国どこの法務局でも取れる。住民票だって、本籍抜きの簡易なモノならどこの役所でもOK(コンビニ交付できる市町村お住まいなら更に便利)。
それなのに戸籍だけはなぜ未だに、本籍地の役所でしか取れないのだろうか?
教えてエライ人!
住民票は分かるけれど、戸籍はイマイチちゃんと理解できてない。
誰かの子として生まれた私が妻となり、離婚すれば筆頭になる。
私は私なのだけれど、続柄が付くことによって続く縁の中に取り込まれたような気がするから不思議。
今日はつらつら、戸籍について考えただけのまとまらねぇ日記でした!