おのにち

おのにちはいつかみたにっち

シン・ウルトラマンと日曜日の映画館


先日、「シン・ウルトラマン」を見に行ってきた。映画はなかなか、面白かったと思う。

ウルトラマンというネームバリューのせいか小さなお子さんたちが多く、ずっと場内がザワザワしているものだから、あまり作品に集中できなかったかも?

でも彼らの動きはとても正直で、見ていて面白かった。
まず、ウルトラマンや怪獣が出てくると息を飲むように静かになり、ピクリとも動かない。
居酒屋や会議室といった密談のシーンになると即立ち上がり、 トイレに行ってしまう。
そりゃ分からないよなぁ、 と笑ってしまった。

隣の席の子どもは終盤の数学シーンで飽きて帰りたい!となってしまい、 お父さんが必至で引き留めていたが結局ラストシーン前に退場してしまった。
もしかしたらお父さんの方が、 映画を楽しみにしていたのかも知れない。

 

自分の子どもが小さかったころ、やはり何度も途中退場の憂き目にあったことを思い出し、懐かしい気持ちになってしまった。

上の子が小さかった頃は、お母さんといっしょのコンサートチケットがせっかく当たったのに、なぜかロビーの赤い絨毯が引かれた広い階段にハマってしまい、座席に座ることなくずっと階段を上り下りしてコンサートが終わってしまったこともあったっけ。

当時はそこそこイラついて、夫に愚痴った覚えもあるが (せっかく行ったのに、的な) 今となっては良い思い出だ。

赤い絨毯の柔らかさと、 会場で買ったパステルイエローのスプーのぬいぐるみの、フニャフニャした手触りと。
そんな触感が、 見下ろした子どものつむじの記憶と共に残っている。

 

そういえば昨日の映画はドラゴンボールが見たい中学生の次男と一緒に行って、 スクリーン前で別れたのだった。

じゃあ、また後でロビーで、 と手を振って別れて。

こんな記憶も、 いつかは懐かしい思い出になるのだろうか?
ちょっとずつ手を振って、お別れしてきた物事たちが脳裏をよぎって、 センチメンタルな気分
になりましたとさ。

 

 



ディケイド許すまじ

最近職場で、3分間スピーチと言うのをやっている。

そのなかで毎回、仮面ライダーシリーズへの愛を語る人がいる。

そんな話を聞いていたら唐突に、私の中で眠っていたとある平成仮面ライダーへの憎しみが蘇ってきた。

 

仮面ライダー・ディケイド。

ピンクと緑のアレなヤツ。

あいつは本当にアレだった…

 

 

 

以下、仮面ライダー素人主婦の単なる思い出話になります!
思い違いも多々あると思われ。
いちいち確認してられっか!

仮面ライダー玄人はブラウザバック推奨( `・∀・´)ノヨロシク

 

 

12年前の話。

当時4歳だった息子はニチアサの戦隊ヒーロー物を卒業し、仮面ライダーを『分かりたい』お年頃であった。

勧善懲悪、明るく元気で分かりやすい戦隊ヒーロー物に比べ、画面が暗くストーリーも複雑で、大人向けの俳優が出てくる仮面ライダーシリーズは息子にとって、連続ドラマ入門編だったのだろう。

 

そんな風に息子が初めて仮面ライダーに興味を持った年に、立ちはだかったのはよりにもよって『仮面ライダーディケイド』だった。

 

いや、入門編としてはとっても良かったのだディケイド!平成仮面ライダーシリーズ10周年記念作品!!

お金もかかってるし過去作の仮面ライダーも続々と登場するし!

おかげで古いオモチャをオークションで探したり、DVDまでレンタルさせられてお財布は痛んだけれども!

 

問題だったのは、息子がちょうどそのころ読み書きや児童文学に興味を持ち出していて、あまりにも真面目にディケイドを物語として理解しようとしたことだった。

 

あの頃の息子はたどたどしいひらがなでディケイド・ノートを作っていた。

てれびくんに書かれていた、ディケイドのなぞをいくつも箇条書きにして、いつ謎がとけるのかな、なんて毎週ワクワクしながらリアルタイムでTVの視聴、更に録画したものを何度も見返していた。

 

…オトナだった私は、この物語の結末を薄々察していた。

 

どうせ大風呂敷広げるだけ広げて、畳めないんだろうな、とは。


でも毎週番組を楽しみにして、真剣に考察っぽいものを4歳児なりに繰り広げている息子には、そんな事は言えなかった。

だからパラレルワールドが理解できない息子のために図を描いてあげたり、時列系を説明してあげたり、親らしく努力したのだ、なんとかディケイドを物語っぽく、つじつまを合わせて構築する努力を。

 

そうやって色々無理やり、なんとか物語をでっち上げる事半年ちょっと。

 

頑張って色々創作しても、ディケイドにはまだ多くの謎が残されたままだった。

それでも最終回、最終回にはきっとそれなりにこじつけた結論が披露されるんだろうと思っていた。

 

突然の横文字、謎の数式。最終回で新たに追加された設定。

そんなんでも良い、幼児の息子が『大人になったら理解できるのかな?』みたいな終わりでも良いのだ、とにかく終わってくれディケイド!てれびくんに書かれた謎を回収していってくれ!!息子が綴ったディケイド・ノートのために!

 

 

…そうやって期待して見た、伝説の最終回。

 

 

謎、ほとんど丸投げ。
それどころかそもそも終わりすらしなかった。

 

続く!そして劇場版の宣伝入りまぁす!

 

思わず、小さな子どもの前で『ふざけんなクソがっ!?』的罵声が出てしまったことが忘れられない。

 

今日ディケイドのwikiを見てみたら、最終回への批判が放送倫理機構BPOに寄せられ、審議を受けたなんて話が載っていて、あの頃日本全国の親が同じように憤っていたのだなぁ、と慰められたような心持ちになった。

だってホントにひどいんだもんあの最終回!

 

今でこそ、物語の結末は劇場版で!なんてよくある流れだけど、私はディケイドで初めて経験した。しかもアレって一応子ども向けですよ?更にこの後すぐ新番組が始まるのに、映画公開までディケイドに興味持ち続けられる子、いる?

 

結局息子はその後水泳やキャンプに夢中になり、体を動かしたり友達と遊んだりとどんどん外向的になって、ディケイドの映画は見に行かずに終わってしまいました。

 

なので、親子で仲良くドラマを考察したのは仮面ライダーディケイドTV版が最初で最後。

ちょうど仮面ライダーに興味を持った年に放送していたのが『ディケイド』だったから仕方がないとはいえ、その翌年の『仮面ライダーW』の方が人気もあり、ストーリーも分かりやすかったのでなぜディケイドの年に…という悔恨は未だにあったりして。

でも、ああやって(解けない)謎を引っ張る物語だったからこそ、親子の話も盛り上がったのかなぁ?

 

 

さて、今更ですがディケイドの事を思い出してしまった私、結局劇場版に答えはあったのかな?なんてついつい検索してしまいました。

 

そしたら…調べた私がバカだったわ…

 

こちらのブログに、こんな感想が。

www.jigowatt121.com

 

「ディケイドに物語はありません」。「ライダーの世界を一度破壊することで、消える運命にあった仮面ライダーの物語を永遠の物にする」、それがディケイドの存在理由だった。

 

文字にすればかっこいいが、要はこれは「クウガ~キバまでの過去のライダーをディケイドに再登場させ活躍させ、コンテンツとしての価値を付加するのがディケイドの目的」ということであり、もっと汚い言い方をすれば「東映とバンダイが過去のライダーで商売したいからお祭り作品やって知名度アップだ!」というものだ。

 

これを超マイルドに言い換えると、「ディケイドに物語はありません」になる。

 

 

やっぱり許すまじ、ディケイド!

 

 

 

遠い教育

週末は息子の部屋で使うカラーボックスと本棚を組み立てた。

どちらもドライバーひとつで出来る簡単な作りなので、中三の子ども一人でも出来るかな、と想定していた。

実際には縦長の本棚の組み立て手順やパーツが予想より多く、大変そうだったので一緒に作業した。

こんな風に部品が多いものはまず説明書通り、種類ごとに揃えてから始めれば間違わないのだ、と教えながらの作業。

ドライバーの扱いもままならない様子だったが、よく考えたら学校の授業では小さな木の踏み台を一つ作ったきりなのだ。

技術や家庭の授業時数、中三の時は一年で三五時間しかないらしい。

 

 

 

コロナの影響で、ただでさえ少ない授業数はさらに減らされた。

学校で習ったことを聞いたら、木材を測って切るなど時数が少ない割にはやたらと本格的だったので、Amazonから購入した日本語の怪しい家具を組み立てるとかでも良いのにな、なんて一瞬考えてしまった。

 

しかし、すぐに思い直す。

学校で「今役に立つこと」を教えても、それは長い人生の中ではすぐに使えなくなってしまうのかも知れない。

注文の翌日にはすぐになんでもお家に届くような便利な暮らしは、明日崩壊するとも限らないのだ。

もしかしたら、また木材を切るところから家具を作る暮らしが復活するかも知れないし、あるいは趣味の木工作にハマるかも知れない。

だから学校では現在の実用性より、より応用の利く基本を教えているのかなぁ、なんて勝手に想像してしまった。

 

そういえば日本電産会長が、即戦力となる学生を育成してくれと言い出して炎上した話もありましたっけ。

ついつい目先のことだけに囚われがちな私たち。

『今』だけではなく、十年後、五十年後の変化に対応できるように、基本や世の中の構造を学んでいくことが大事、それが学問なのかも知れません。

正直私の場合は授業より学生の時に読みまくった図書室の本の方が役に立ってる気もするのですが…それもまた、学生時代にしか得られない学びってことで。

 

それでいいのだ!(教育の成果が感じられない、とてもなげやりな〆

 

 

そこには橋が出来ていた

クリスマスプレゼントに、夫から「あつまれどうぶつの森」を貰った。

プレゼントといえば聞こえが良いが、実際には下の息子が直前になって欲しいものを変えたため、余り物が回ってきただけである。

で、貰ったは良いものの年末から最近まで忙しく、初めて遊べたのは先週の三連休だった。

 

そして…初めて降り立った島には、既に立派な博物館が出来ていた。

たぬき商店もオープンしていた。

ある程度大きくなった家があり、既に橋が架かっていた。橋の向こうには新しい住人の家も建っている。

さらに金の、バラがたくさん咲いていたのである…。

 

さて、『どうぶつの森』と言うゲームを遊んだことのない方々には何を言っているのかまるで伝わらないと思うので、ここで軽く解説を入れておこう。

『どうぶつの森』とは第一作発売から20年の歴史を誇るニンテンドーの人気ゲームである。

ジャンルはコミュニケーション。

たぬきから金を借り、家を建て、漁業や農耕で借金を返済しながら村を豊かに発展させていく…という内容である。

いちおう4人?ほどで遊べるが、一番最初にログインした人間が住人代表として、村(今回は島だけど)の発展に関わるあれやこれやを依頼される、という形になっている。

 

つまり、私が初めて島に降り立った時には既に家族の誰かがゲームを先に遊んでいて、私は第二村人になってしまった…という訳なのだ。

 

第二村人になってしまったのは、まぁ良い。

共有のゲームソフト置き場にソフトを置いておき、いつまでも遊ばなかった私が悪いのである。

わが家のゲームはだいたい共有、そして早い者勝ち制である。

 

問題は遊んでいたユーザーである。

私はてっきり小学生の息子・2だと思っていたのだが、実際は中3の息子・1であった。

 

今年は受験で、学校の帰りには塾に通っている息子1は、だいたい夕方6時頃に帰宅し、7時に夕食、風呂を済ませて10時頃までリビングのソファでゴロゴロ、音楽を聴いたりスイッチでスマブラをしたり、スマホをいじっている。そして家族が2階の寝室に上がった夜10時~12時頃まで、受験勉強をしています…というテイになっていた(息子1も2も、それぞれ6畳の自室に勉強机があるのだがリビングの隣の和室にある大きなコタツがお気に入りでそこでしか勉強しない。遊ぶときもリビングのソファ。自室とは…)

 

本人に確認すると、夜の勉強の合間に遊んでいた、と認めた。
非どうぶつの森ユーザーの夫も、気分転換は必要じゃん、と軽く言う。

 

しかし、第一弾からのどう森ユーザーである私は震えてしまう。

他の家族も、ほぼ毎日スイッチで遊ぶ(私もリングフィットをやっている)ので、本体の時計は多分いじっていないと思われる。

クリスマスから、2週間強。

本体時計の操作なしで、島を8割方開発し終えて、金のバラを咲かせるって相当やりこんで

 

…まぁ、本人の受験だから!

…まぁ、本人の受験だから!

 

己の心に言い聞かせるため、二度言ってみた。

 

隣の市のちょい難関校を目指したのは本人の意思。
親としては近所の学校か、滑り止めの他校でも良いかとは思っている。

 

けどさぁ、本人が頑張りたいって言ったから地元塾申し込んで、更に大きな市の塾の集中講座とか雪の中車で片道一時間かけて送迎して、講義代もそこそこなお金が掛かって…

 

子どもなんてもんはとてつもなくお金がかかるライフワークで、しかも見返りを望むような筋合いじゃないからしゃーない、と黙って金のバラに水をやった。

 

にしてもさぁ…金のバラだぜ、金のバラ!(ぜんぜん割り切れていない模様・サクラちゃんとサケ)

 

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

あつまれ どうぶつの森 -Switch

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せちがらい、あの世

 

父親を亡くした友人から、お棺の中に保険証やマイナンバーの通知、通帳などとにかく重要と思われる書類一式を入れて燃やしてしまったため、その後の手続きに難儀した…という話を聞いた。

普通燃やさないと思うが、夫を亡くした友人の母が「あの世に持っていかないと困るかも
しれない!」と言って聞かなかったらしい。
仕方なく写真に残して全部入れてやったものの、やはり原本が必要な機会が多かったようで。

しかし保険証が必要なあの世、なんて世知辛い…と笑ってしまった。


毎日薬を飲んでいた夫のために、錠剤を紙に包んで(アルミ包装は燃やせないから)持たせてやった、みたいな話もあり複雑な気分になる。

せめて薬からは解放させてあげて…。

 

身内を亡くした時は気が動転しているので、後から振り返るとなぜに…という事態に陥りやすいのだと思う。

 

そういえばうちの父の葬儀も、なぜか某学会御用達の葬儀場で行われた。
そこは○○学会だよ!?と言ったのに。

葬儀屋側も別の宗派の方の葬儀は手数料が余計に掛かりますよ、と言ってたのに。

母が、父が生前お世話になった人がいるからどうしてもそこがいいと言い張って聞かず、諦めてそこにした。

結局通夜の途中で父が生前お世話になった人は別の葬儀社だったことが分かり、なんだったの…となったが、今更言っても仕方ないことだし、母が気に病むといけないから持ち返さないようにしようね、と親族一同話を合わせていた。

しかし1周忌も過ぎた頃になって母が、あそこで葬儀なんて体面が悪い、なんで誰も止めてくれなかったの!?と話を持ち返し、みんなでチベットスナギツネの顔に。


誰もあなたを責めなかったのに、今頃になって人のせいにするんですね…メンタル強い.…


私たちが母をいたわりすぎたのかもしれない。痛ましいけど、それはそれ。

過剰な優しさとか、やりたいようにさせてあげようという慈しみの気持ちが、その後の手続きに追われる親族を苦しめる。


あの世には保険証もお薬もいらないし、生前お世話になった人の名前と所属をきっちり思い出してから葬儀を依頼するべき。

 

次回の教訓に覚えておきたい…とは思うのだが、そういう時ってだいたい寝不足の上メン
タル最悪で、感傷に流されがちになるんだよな。

もしかしたら私だって気が動転して、お棺に異物を混入したくなる日が来るのかもしれな
い。


そんな時はやっぱり誰かに冷静に止めてほしい、と思うので母のこともあまり責められ
ないですね…しかしそうした優しさが彼女を増長させるので云々…(以下エンドレス

 

 

 

 

体育館巡りの旅ファイナル–そして新たなる冒険へ

はてなブログから時折、1年前の記事を振り返ろう!というメールが来る。
たぶんどこかで設定解除もできるはずなのだが面倒で行っていない。

とにかくそんな訳で私んち?には定期的に来る。
そのメールで、過去の記事タイトルを思い出す。

体育館探訪の日々...
めっちゃ、タイムリー。

 

yutoma233.hatenablog.com

 


なぜならば私は体育館巡りの旅を終え、新しい冒険に旅立つところであったからだ。

さて、過去記事を読んでいない人に簡単に説明すると、体育館探訪の日々とは息子の部活やスポ少に付き合っているうちに福島県内の体育館情報に詳しくなってしまった、という軽い愚痴記事である。


そしてそんな体育館巡りの旅も今年の冬でようやくファイナルに。
だって、中3の息子がそのスポーツはもう卒業するって決めたもんだからさぁ…さぁ!

しかしながら、人生は続く。
セカンド・シーズン。新たなる冒険へ。

今度のテーマは、学習塾探しだ!

だって今年の夏まではスポーツ推薦で行ける高校一筋だったのに、急に一般入試で上のランク目指したいとか言うもんだからさあ…さあさあさあ(泣)


そんなわけで今頃になってわたわたと塾の体験予約したり新教研受けたりしてます。

とりあえず滑り止めの私立は推薦枠確保出来たので、あとは本命に向けて勉強するだけだっ!

がんばれ息子、塾の送迎をする私も頑張れ!
そしてなにより、我が家の家計頑張れ!
夫婦で稼ぐしかない!

まぁ色々大変っちゃ大変なんですけど、でも自分の高校受験は手近な所で済ませて冬休みもスキーで遊んでたんで、この緊迫感がとっても新鮮。

今年はとてもスキーやスケートに行く気分にはなれないです。
自分のことより家族のことの方が、重責感ありますね...


本人、もともと学校の成績は良い方で、部活や生徒会なんかも頑張ってたので内申は良く、あとは塾や新教研で場数こなして、コツさえつかめばなんとか行ける気も。

とにかく行きたい学校があるってのは良いことだと思うので、あと数か月、バックアップしていきたいです。

栄養気をつけて、できれば夜食も準備して。
中学生になって、だいぶ手が離れたと思ったけれどそれでもまだまだやるべき事は沢山あるなあ。


大変だし、日々慌ただしいけど、こうやって家族のために動くのって精神的には達成感得られて心地良かったりします。

子どもがいなくても、配偶者や恋人、親なんかの世話を焼いたことのある人ならなんとなく分かる感覚なんじゃないか、と。

掃除も食事も、一人分より誰かのための方が気合入りますよね、やりがい感じますよね。

 

元々の私は本を読むくらいしか趣味のない人間でした。
ところが子どもや夫に引っ張られ、山に登ったり川で遊んだり、年々アウトドア志向になりました。

アンパンマンミュージアムみたいな、アミューズメントパークに行くのも子連れならではの経験、文化部だったから運動部の応援も新鮮。

 

自分が本当に好きなことを楽しむ時間がない、というジレンマは感じますが、一人ではできない経験をしている『今』を楽しんで、前向きに乗り切れたら良いな、と思っております。


なお、一度ファイナルを迎えた体育館巡りの旅ですが、再来年くらいには息子2の入部により再開予定で..…す…(吐血


まだまだ誰かのための人生が続きそうではありますが、それでも暇を見て『私のための』ブログを更新したいぞ!

今日はそんな感じです、それではまた。

 

 

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ささやかな幸せ

それにしても今年は暑い。

職場も自宅もクーラーが効いているのだけれど、お昼休みに自宅に帰ると車内が激アツである。
車で5分の移動なのに、汗が早速噴き出してくる。

もはや外では手放せないマスクも暑さに拍車をかけているのだろう。

最近、職場での朝の挨拶は『今日も暑いね』ばかりである。

さて、こうも暑いとさっぱりしたものが食べたくなる。

わが家の今年のブームはミツカンのカンタン酢。
お酢に砂糖や食塩などが入ったいわゆる調理酢なのだけれど、甘すぎなくて使いやすい。
角切りにしたトマトと玉ねぎのみじん切りを、この酢に軽く漬け込んでから食べるとそれだけで美味しいので何回もリピートしている。

ゴマ油やニンニクを入れて風味を変えても良いし、細切り野菜でピクルスも美味しい。

 

それからなぜか、子ども達が熱々のグラタンやドリアを真夏に食べたがるのでオーブンで焼いている。

キッチンが暑くなるけれど、仕込んでしまえば後はお任せなので揚げ物よりは楽が出来て良い。

バーベキュー気分で、スペアリブや手羽先なんかもよくオーブンで焼く。

途中でジャガイモやトウモロコシ、ミニトマトなんかも一緒に焼いてしまえばそれだけでカラフルなご馳走になる。香ばしい匂いに、ついついビールが飲みたくなることだけが難点だ。

 

このコロナ化のなか、だけれど家族で一日だけ海にも出かけた。

混雑や密集を避けて平日に、色々気をつけながらも楽しんできた。

 

しかし久々の遠出だったせいか、小学生の子どもの幸せのハードルが下がっていて面白かった。
美味しいお寿司を食べただけで幸せ、海で泳いだら極楽。
最後に温泉に入って帰ったら、最高の夏…!とトロけた顔で一言。

 

今までなら大浴場のあるホテルが良いとか、食事はバイキングよりも部屋食にしてだの、色々と贅沢だったのに。

『ハードルめっちゃ下がってる!』と家族で笑いながらも、子どもの適応力を尊敬した。

 

海外には行けないし、イベントも軒並み中止だし、狭くてガヤガヤした居酒屋なんてもってのほか。

当分寂しい日々が続くのだけれど、それでもささやかな幸せを、こんな風に楽しんで行けたら良い。

 

今日も相変わらず暑くて、マスクはムレムレなのだけれど…
多分あるさ、私の良いこと。今日はこんな感じです。

 

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今週のお題「暑すぎる」