ゲスの極み乙女。の川谷絵音さんとベッキーが不倫をしていた、と騒ぎになっていた。
ニュースになりTwitterでもブログでも叩かれまくっていた。
私は不倫はしたくないし、されたくもない。
身近な人が不倫をしていた、という話を聞いたらちょっと距離を置きたくなる。
それは私の中の生理的な感情だと思う。
そして今ばんばん叩いている人たちもそうした感情にかられているんだろうと思う。
実家に、しかも正月に奥さんではなく彼女が行く、というのは道義的に問題だしLINEの文章も奥さんからしたら堪らないだろう。
芸能人だからニュースになるのは当たり前だし、仕事も干されても仕方がないとは思う。
不倫は勿論悪いことです。
ただ責める権利がある人は関係者血縁者で、最終的には民事で解決するしかないんだと思う。
傷ついた心はお金で癒えるもんじゃないとは思うけど。
両成敗、というのは当事者間で決着をつけろということ。
外野がとやかくいうなよ、と。(しかしなんてタイムリーなタイトルだよ)
だから相手が芸能人ならまだしも、周りの一般の人の不倫までこてんぱんに言う人がいるのはどうなのかな、と思う。
まぁ川谷さんとベッキーの場合女性ばかりが損をしているように見えるところもありますが。(ベッキーがこれをバネにもっと自然な雰囲気の大人の女性になってくれたらいいな、と思う)
今日読んだ「スタープレイヤー」という恒川光太郎さんの小説(今度感想書きますね)のヒロインは幸せな結婚をしていたのに、会社の若くてモテるイケメンが自分の事を好きだ、という優越感に負けて不倫をし、どんどんのめり込んでいってしまう。
不倫がばれて自分を理解していてくれた夫は離れていき、イケメンは人妻だから遊べると思っただけ、と言い放つ。
彼女は会社を首になり、職を転々とし、ようやく新しい職場にも慣れた頃通り魔に襲われ障害を負うことになる。
彼女は結局自分が孤独になったのは自分自身の責任だ、と思っているし実際そうなのかもしれない。
たとえ騙されたのだとしても優しい夫を裏切った罪は消えないし、夫だってどんなに苦しんだことだろうと思う。
でも私は彼女がこんな目に合って当然だ、とは思えなかったし物語のラストで旅立つ彼女にエールを送りたくなった。
不倫はダメだから不倫ドラマを放送するな!物語を規制せよ!という社会だったら私はこのお話と出会えなかった。
芸能人の不倫は叩かれて当たり前なのかも知れない。
また不倫をゲームのように楽しんだり自慢する人には共感できない。
でももしも、大事な友達が不倫をしてなにもかも失ってしまったら。
その時はばかじゃないのと言いながら怒りながら。
飲みに行こうよ、と声を掛けてあげたい。
だってやっぱり友達だもの。
誰だって突然つまずかないとは限らない。
大切な人だったら、一度きりの失敗で見捨てようとは思わない。
あとはまぁ、確かに人間的には問題ありまくりですけど川谷さんが「indigo la end」というバンドでやってるこの曲好きですよ。
もし良かったら聞いてみてね、それでは。