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おのにち

おのにちはいつかみたにっち

あなたを嫌いでもいいですか?「ど根性ガエルの娘」感想

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青柳美帆子さんの記事を読んで、「ど根性ガエルの娘」を買った。
最初は試し読みしようと思ったら、あまりの人気にサイトが開けなくて(今日は解消されている様子)、結局電子書籍を購入してしまった。

 

www.excite.co.jp

 

結果、読んで良かったと思う。
確かに怖いし、衝撃的なのだけれど。

これは心のどこかで親を愛せない、家族が全肯定できない人にとっては救いの一冊にもなるんじゃないだろうか。

何より私はこう思った。

愛と憎しみは隣にあっていいのだ。
辛い思い出を抱え込んでいてもいいのだ。

ああ、親を嫌いでもいいんだ、と。

 

未読の方は田中圭一さんのマンガ、それからヤングアニマルの最新話を読んでみて下さい。二つの漫画が同じ家庭を描いているのだ、と気が付いた時背筋が凍ります。
 

r.gnavi.co.jp

ヤングアニマルDensi

 

親を愛さなくてはいけない、という枷

 

ど根性ガエルの娘 1 (ヤングアニマルコミックス)

 

親を嫌うことは、悪いことだとされている。
誰に言われなくても、私自身の胸が痛む。

自分が子どもを育てていく中で、親には本当に大変な苦労を掛けたのだと実感できた。また、いつまでも小さなトゲにこだわり続ける自分はどれほど子どもなのだ、と思う。

私の人生は私の責任で出来ている。
もう誰かの所為にして生きていられる年ではない。

 

私の母は子どものように無邪気な人で、いくつになっても女性であること、娘より自分の方が美しいこと、かわいいことにこだわり続けて生きている。

母は今でも娘にマウンティングを仕掛けるのが大好きだ。
干してあった私のジーンズのサイズをわざわざ調べ、自分の方がワンサイズ小さいと笑う。

『まだまだ、お母さんの方がスタイル良いわね』
それがもうじき70になる人の言葉だ。

母にとって、幾つになっても娘は女としてのライバル。
その醜悪さに吐き気がしながら、私は笑う。
『もう、お母さんったら』

 

そうしなければ、昼下がりの幸せは壊れてしまう。
子どもたちはおばあちゃんの持ってきたオヤツを幸せそうに食べている。
夫も、母のことを子供のような人だと思っている。

私も今は、母が私より子どもである、と諦めて保護者を気取っている。
でもそこに隠れる欺瞞も気がついている。

私はそうやって世話焼きの娘を演じることでしか母と向き合えない。
仲の良い親子のロールプレイングゲームを演じているのだ。

 

もし私が母と、素の自分で向き合ったら周囲の人をハラハラさせてしまうだろう。
親を大事にしなよ。
思春期にはそんな言葉を腐るほど貰ってきた。

母が私を傷つけるような言葉をいくら吐いても、親の心配の名のもとに許される。
グズ。ブサイク。デブ。

新しい服や化粧品を買っても、母はいつも勝手に身に付けた。
娘のものは自分のもの、そう信じて疑わない人だった。
お母さんの方が似合う、お母さんの方がきれい。

思春期の私は諦めて、いつも黒や紺の少年のような恰好をしていた。
そうすれば母も興味を示さなかったから。

ピンクはいまでも苦手だ。
それは小さい頃から「おかあさんが着る色」だったから。

小学校の入学式、母がその色を着るから、選べなかった桜色のワンピース。
下らない感傷だ。新しい洋服が買って貰えなかった子も沢山いる。
贅沢だと分かっているけれど、痛みは確かにそこにあったのだ。

かつて私を傷つけた、言葉や態度の数々。
そこから蘇ってくる地獄のような嫌悪を、私は三角コーナーに投げ捨てる。

大月さんの漫画は、そんな口に出せない三角コーナーを全て露わにしたような作品だと思った。

言ってもどうにもならない、世界を傷つけるだけだ、私が憐れまれるだけだと分かっている醜悪な嫌悪たち。

私は誰にも憐れまれたくなんてない。
だから一生、態度には出さない。
良い娘のまま骨を拾ってやる覚悟はある。

 

それでも、一番キツイのは『母を嫌う自分の酷薄さを責める自分』だ。
自分の心の中をジャッジして責めたてる私がいる。
それが一番痛い、苦しい。

 

漫画を読んで、すごく苦しいのだけれど、怖いのだけれど、私は肯定された気がした。

表面上は仲良くしていても、忘れられないこともある。

それでもいいのだ、と許されたような気がした。
心の底に嫌悪を抱いていてもいいのだ、と。

愛と憎しみは遠い彼岸ではない。
いつも私の隣にある。

時に私は過去に悩まされ母の無邪気なディスを憎む。
それでもある日は母がしてくれたことに感謝するし、この人もまた生きづらさを抱えているのだ、と憐れむ。

それはどちらも私の感情だ。

でもそれはすべて私の心の奥底にある。
他人に理解できるものじゃないし、理解してほしいと願うのも甘えだと思っている。

だから私は今日も笑って、単純な世界を生きる。

 でも「ど根性ガエルの娘」が自分の中の割り切れないモヤモヤを、表に出してはならないと思っていたものを露わにしてくれたことで。
私は救われた気がした。
過ぎ去ったはずの憎しみを、今も抱え込んでいてもいいのだ、と。

 

たとえ親が変わっても、自分が大人になっても、心の何処かに布団を被って泣いていたあの日の私がいる。

けれど一方で、そうやっていつまでも抱えていることを子どもだ、人のせいにするなと責める私もいる。

漫画を読んで私は、思うことは自由なのだ、と許された気がした。

 

たとえ外面だけでも、幸せに見えればそれでもいいのではないだろうか?
未だに母に会いたくない、という痛みはほんの少しだけ残っている。

親だって人間。
理想の親なんていない。

そんなこと腐るほど分かっているけれど。
表には出さないから、これからも嫌いでいてもいいですか?

私にとっては、赦しのようなマンガでした。

  

ど根性ガエルの娘 1 (ヤングアニマルコミックス)

ど根性ガエルの娘 1 (ヤングアニマルコミックス)

 

 

ど根性ガエルの娘 2 (ヤングアニマルコミックス)

ど根性ガエルの娘 2 (ヤングアニマルコミックス)

 

 

あまりにも暗くなってしまったので、追伸。
ブログを読んで下さる方ならお分かりのように、今の私はのほほんとした日々を生きていますし、母とも仲良くしています。
ただほんの時折、小さなディスやマウンティングに昔の傷が痛むのは確か。

家族との確執を抱えていない人でも、昔自分をいじめた、裏切った人が改心したからといって心の底から仲良くできるか?と考えたら「ど根性ガエルの娘」の描きたかったものが分かるかもしれません。

愛も憎しみも同じテーブルにあって、でもそれは共存できる。
そういう作品だと思いました。

ただ世の中には「過去は過去!今日からお前は俺の友達だ!」と少年ジャンプのように、本気で言い切れる人が存在しているのかも知れなくて。
羨みながらも、私には信じられないのです。
そんな風に単純な世界が。(うわ、今日はやっぱり暗かった…)