おのにち

おのにちはいつかみたにっち

ファッションはやっぱり愉し/千早茜『クローゼット』

今日は一万点以上のアンティークドレスが眠る、私設美術館を舞台にした物語『クローゼット』の感想です。

いつも完璧には程遠い、いわゆる『ファッション道』を語れない私ですが、それでもこの本はとても楽しかった!
母親のスカートをまとってロングスカートを気取ったり、こえだちゃんの着せ替え玩具に激ハマりした幼き日々を思い出しました。

素敵すぎるお洋服って体型を選ぶし、お値段だって想像以上。
それでもやっぱり楽しさや喜びを連れてきてくれる、そして私を変えてくれる『物語』なのですよね。

ちょっとギュッと締め上げて、気合をいれてハイウエストのフレアスカート履きたい!クラシカルなヒール合わせたい!そんな風に『頑張って着る服』を楽しんでみたくなる、そんな素敵な一冊でした。

 

物語のあらすじ

 

クローゼット

 

物語の主人公は二人の男女。
前半はデパートのカフェで働くオサレ男子芳(かおる)の目線から、後半はファッションの私設美術館で縫子として働く女性、纏子(まきこ)の目線で物語が語られていきます。

二人が出会う場所は二百年、三百年前の人が着た本物の洋服がたくさん収められた特別な美術館。

ジェンダーや過去のトラウマ、様々な問題を孕んだ物語なのだけれど、とにかくこの舞台が素晴らしすぎて、そして登場人物たちの『洋服が好き!』という気持ちが清々しすぎて、物語の後味はとても爽やか。そして優しい。

なにより自分の服を大切にしたくなる、靴を磨きたくなる、そんな衝動に駆られる一冊でした。

お洒落だけど色々拗らせている芳も、才能があるのに上手く他者と付き合えない纏子も、それから物語を引っ張っていく館長の娘晶も、登場人物みんなが服への愛に満ち溢れていて、その勢いが物語を引っ張っていくようでとても楽しかったです。

こんな素敵な美術館、世界の何処かにはあるのでしょうか?
行ってみたいな…なんて思いながら本を閉じました。

 ではでは、今日は短いけれどこんな感じです。
お洋服を楽しみたくなる『クローゼット』という小さな天国の物語。
もし見かけたら、読んでみて下さい!

 

クローゼット

クローゼット

 

 

町と、私の領域

子どもが中学生になったら、自転車で学校へ通う中学生のことが目につく/見守るという意識が芽生えてきた。

小学校も新一年生が増えたので、連絡物を配布するために新しい家の場所をたくさん覚えた。

子どもが育つにつれて、自分の領域が広がっていくような感覚がある。
ゲームで新しいエリアに踏み出すと、グレーだった領域が更新されたマップになる。そんな感覚。

 

かつての私は人見知りで、ママ友もPTAの役員業務も勘弁してくれ、って感じだった。
それでも必要に迫られて仕方なくこなしていくうちに何事も場数なのだな、と気がついた。そんでもって知り合いが増えていく、保育園児やら小学生やら中学生やらに親近感を持つようになる…その度に町に対して責任やら義務感やらを抱くようになった、そんな感じ。

私のめんどくさい義務感は地域への所属性や親近感を伴っている。
いわゆる『私の町』という感覚。

高齢者の孤立を防ぐためにボランティアや地域の付き合いに参加させよう、というのはこうした集団所属性効果を狙っているのかな、なんて思う。
おらが町に暮す、我ら。

私たちは群れでありたい、何かに属していたいと願う生き物なのかも知れません。そうして所属することによって得られる安心感というものはなかなか消えない感覚なのでしょう。

よく知らなかった私の町は子どもの成長と共にどんどん『自分の町』になっていく。
都市に対して自分の領域を感じる、不思議な感覚。
こうして自分の領域が増えていく事は世界への心強さにも繋がっていきます。私の所属性、世界への帰属感。

 

…でも実は町の全てを自分の領域にしたい、とは思えなかったりして。
世界にはグレーな部分があった方がいい、その方が美しい、と感じる自分もいるのです。

 

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かつて暮らしていた北海道から今の町へ向かう時、フェリーで日本海を渡りました。
朝日が照らす海の上から本土を眺めた時、私は結局一人で、世界から孤立していて、いつだって心許なく揺れているのだ、と自分の本当の寂しさや孤独を強く理解しました。それはいつだってそこにあって、どんなに今が賑やかでも幸せでも、私の旅が終わる日をただ静かに待ち受けている、そう思えたのです。

 ドラクエで初めて船に乗った時、余りにも遠くまで旅しすぎて険しい岩地に囲まれて上陸できなかったり、毒の沼続きだったりしませんでしたか?
あるいは出没する雑魚敵が強すぎて一撃だったり。

海の上から見た『本土』も、あの頃の私にとっては心許ない『毒の沼のむこうの町』でした。あの感覚は知らない町に対する『畏敬』だったのかも知れません。

そうして、あの時海の上で感じた怖さや心許なさを、忘れたくないと願う私も心のどこかにいるのです。

 

私はまたいつか、知らない町に住むのでしょうか?
そうして新しい場所で、心許ない気持ちで世界を眺めるのでしょうか。

 もう一回、世界の全てをグレーの領域から始めたいという気持ちはいつだって心の底に隠れているのですぞ…(ムック拝)

 

前方からMISIA

 まだ肌寒い春の朝、道の先から音楽が聞こえてきた。

黒っぽいスーツを着たお兄ちゃんが、リズムと共に近づいてくる。
これは春のアレな人か…と道路の反対側に逃げたくなったが交通量の多い出勤時間帯、道を渡りようもなくメロディがやってくる。

この曲は…聞いたことがあるけどなんだっけ?
雨上がりの道を傘さして歩いた?

音楽を聴きながらずっとタイトルを考えてしまう。
近くで見ると、有線のイヤホンを付けたサラリーマン風の人だったので少しホッとする。 おそらくジャックにきちんと刺さっていないことに気が付いていないだけなのだろう。

すれ違った瞬間、曲のタイトルを思い出す。
『ミーシャか!』

曲はなぜかミーシャの昔懐かしい名曲『つつみ込むように』だった。
男性が通り過ぎた後、思わず口に出してしまうと前方を歩いていた女性も『ですよね!』と軽く振り返ってくれた。

多分通り沿いの別の会社に勤める人だ。
いつも見かけているけれど、こうやって二人でイントロドン?をすると親近感が湧いてくるような気がして、なんだか嬉しい楽しい大好き(これはドリカム)。

 

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最近年度始めのどったんばったん大騒ぎで、ゆっくりブログを書く暇も無ければお茶を飲む暇も無かったのだけれど、こうやって『忙しさ』に追い立てられていると文字通り心を無くすんだよな、と最近のイライラモードな私を反省する。

自分のことで手いっぱいすぎて、周りを眺める余裕もなかった。
こうやってクスっと笑ったり、小さな驚きを口にするだけでも世界は暖かい空気に包まれて、なんだかホッコリする。
心が柔らかくなる。
優しさに包み込まれているように。

日々に運動瞑想野菜を、そしてフォースを我に与えたまえ…。

 

春休みの必死モードは変わらないけれど(5時起床、朝ごはんと昼ごはんを作り晩ごはんの下ごしらえまでやって出かけるんですぜ?朝だけで一日の仕事が終わった気がする…)フリだけでも心に余裕が欲しいよな、なんて思いました。

 

それでももうすぐ入学式!新学期! 給食ってホント神。
ごはん作りが結構好きなはずの私ですが、一日三食(それも全部朝に)作っているとさすがに虚無が見えてきます。

一食ぐらいはフルグラで良くね?的な。いっそプロテイン飲まね?的な。

そんな感じで、思考もどったんばったん大騒ぎして今日はおしまい。
思考とはつねに分岐して分散して混沌としていあいあ!叫びながら前進したり後退したりしてゆくものです故に本日のブログはマジ脳内っぽいおっとととっと春だぜ…。

 

物語の歩み-孤独から境界の物語へ

かなりぼんやりとした雑感だけど、最近の物語について思うことをメモしておく。

 

1970年代生まれの私、ちょうどふすまで仕切られた家族の空間から、ドアで仕切られた個人の空間へと住居が移り変わった時代に生まれ育ってきた。
一人に一つの子ども部屋、が建売住宅のキャッチコピーだった頃。

家族から個人へと、移り変わる時代の空気に合わせるように、物語も一人称で語られる『私の物語』が流行っていた時代だった。
赤川次郎が大ブームとなり、のちに16歳の新井素子が独自の文体で一時代を築いてゆく。

 

…絶句〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

…絶句〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

高度成長、バブル経済…上がっていく生活水準の中で、子どもの権利や自由が認められはじめた時代でもあった。

子ども向けのマンガも実に多種多彩。
少年ジャンプや少年マガジン、コロコロコミックにりぼんなかよし、週刊マーガレット花とゆめ…様々な子どもの年齢、趣向に合わせて大人が読んでも楽しめるエンタメが毎週発売されるような、豊かな時代だったと思う。

 

しかし『個室』という堅牢で恵まれた孤城は後に『引きこもり』という現代にも繋がる社会現象を生むことになる。

机にベッド、コンポやテレビにゲーム機…恵まれた家庭の子ほど個室は居心地の良い空間となり、引きこもってしまう要素は高かったように思える。
そうして生み出されてきたのは恵まれているはずなのに何かが足りない、空虚な時代を生きる子どもたちの物語。

代表作として頭に思い浮かぶのは、1995年に放映が始まった『新世紀エヴァンゲリオン』だろう。

 

新世紀エヴァンゲリオン(14) (角川コミックス・エース)

新世紀エヴァンゲリオン(14) (角川コミックス・エース)

 

 

主人公碇シンジが何度も口にする「逃げちゃダメだ」という強迫観念に襲われたような台詞は、阪神大震災や地下鉄サリン事件といった社会的不安を抱えた世紀末の鬱屈を現しているように思えた。

バブル崩壊後、2000年代初頭には記録的な就職氷河期が訪れる。
ちょうどその前後に就職した私は先輩たちからの『昔は良かった』を聞きながら下り続ける社会を生きる、という厄介な時代を生きることとなる。
知らない誰かのツケをずっと支払わされているような、不思議な感覚。
そのツケは現代の子どもたちにも、更に高負荷となって続いている。

 

しかし今思い返せば、景気の波はちょうど私という人間のバイオリズムに重なっていた。20代頃に細胞の成熟期を迎え、あとは緩やかに衰退していく。

不遇の時代と呼ばれがちな1970年代生まれだけれど、子どもの頃に少しだけ登りゆく時代の空気を経験し、そしてその崩壊や世紀末という『てっぺんとドン底』を両方経験できたことは幸いだったと思える。

 

 そして現代、いわゆる平成の世がやって来る。
2000年以降、21世紀に生まれた子どもたちは日本が登り調子だった頃を知らない。

昭和生まれの人間が抱く、日本は先進国であり日本で生まれた事は幸せである、といういわゆる日本ファースト思考に毒されていない世代。

 個室、『個』という贅沢な感覚も時代の流れと共に終わりを告げ、家も車も持ち物も『シェア』という新しい価値観に塗り替えられようとしている今、物語の味わいも異なってきたのではないか、と私は感じている。

最近の物語には人間と機械、日本と世界、ジェンダーや価値観といった様々な境界を巡る物語が増えて来たような気がする。

一人称の『私』の物語からその先へ、私と世界の『境界』の物語へ。

 シェアによって個は失われ、では私と世界を隔てるものはなんだろう?と物語の主語が変わってきたのではないか。

多分森博嗣がその先鋭で(この方は1996年デビューだからあまりにも早すぎると思うのだけれど)その後を海猫沢めろん、宮内悠介と様々な作家たちが新しい感覚の物語を紡いできた。

 

ディレイ・エフェクト

ディレイ・エフェクト

 

 


海外の文学が新しい翻訳によって、より私たちの感覚に近い物語に訳されるようになってきたことも、時代の変化なのだと思う。

私がかつて愛した翻訳小説はどれもかなり文体が古めかしく、読み下すには多少の訓練を必要とするものだった。

現代はどうだろう?
少年少女向けのファンタジー小説『トワイライト』や『タラ・ダンカン』はライトノベルを読む感覚で、世界の差を感じずに、普通に読み進めることが出来る。

 

タラ・ダンカン 1 上 若き魔術師たち(YA版)

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非英語圏の様々な物語が翻訳されるようになってきたことも、大きな変化だ。
北欧、中南米、そしてなにより東アジア。

一時期流行った韓国ホラーを見て、私たちと彼らの違いが分からない、と感じていたのだけれど中華ミステリには更にそう感じる。

私たちと彼らを隔てるものは無いし、優劣をつけるものも無い。

当たり前の言葉で世界の物語が読めるようになるということは、私たちの『境界』を限りなく薄くしてくれる効果があるのだと思う。

 

 差別は無くならない、と昔から言われている。
でも物語はたった40年で個から境界へと辿りついた。

この先40年、50年、100年。
シェアの時代に生まれついた子どもたちなら、きっと限りなく薄くなった境界のその先の物語へとたどり着くのではないか、私はそんな風に期待している。

最近40代の人間は100歳まで生きる可能性が50%、という長すぎる未来の話を聞いてげんなりしたのだけれど、これから先も新しい感覚の物語が待ち受けているのなら長生きも悪くないな、と思っています。

もちろん、本をちゃんと読み下せる脳味噌を所有してなきゃダメなんだけどね…。
それでは私は素敵な読書生活のためにウォーキングに出かけてきます!
駆け足で雑な考察でしたが最後まで読了ありがとう。

あなたは40年後にどんな物語が読みたいと思ってますか?
聞かせてくれたら嬉しいです。

 

蔵屋敷の老婦人

仕事を終えて家に帰ってきたら、今朝キレイに掃いたはずの玄関がグラウンドのように土埃にまみれていて、靴がたくさん転がっていて、一瞬うああああとなりました。

いや、みんな元気でいいんだけどね⁉なぜこんなに黒くなる…自宅でマーキングすんな…とぼやきつつ片付けていました。

一番信じられなかったのが旦那の靴。
ランニング用のスニーカーと仕事の革靴、せめて一足くらいは靴箱に片付けようという気持ちはあったんでしょうね。
結果、革靴のかたっぽうとスニーカーのかたっぽうが転がっていました。

革靴とスニーカーの斬新なセットアップ。
絶対流行らねぇ、と思いながら綺麗に揃えて地味に嫌がらせ。
明日の朝おののくといい…ぐふふふふ。

 

昔、ものすごく玄関が綺麗なお宅に、月一でお邪魔していたことがあります。
本当に何もなくて、チリ一つ無く掃き清められていて、土足のまま入るのをためらってしまうほど綺麗な玄関。いつ誰が来ても恥ずかしくない、完璧な空間。

当時独身だった私は、いつか自分の家を持ったらせめて玄関だけでもこんな風に…と憧れたのですが、現実は棚からはみ出すサッカーボールやらバトミントンやらドッチボールやら。理想はどこかに追いやられ、です。

結局私は雑多な現実でしか生きられなかった。
あの人はずっと理想を追い求めているように見えました。

今日は私が昔出会った、幸せなフィクションを語り続ける人の話です。

  

二十代の頃、花屋に勤めていました。
基本は店舗販売なのですが、ホテルや飲食店など、配達の仕事もちょこちょこあり、良い気分転換になるので私は好きでした。
数は少ないけれど個人宅への配達も数件あり、注文主は大概裕福なお家の老婦人でした。

蔵屋敷の老婦人と出会ったのもその頃です。
個人宅への配達はお茶を飲んでいけ、と引き留められることが多く、店からも引き留められたらお邪魔して茶の一杯くらいは飲んでくるように、と通達されていました。

結局花よりもそうした繋がりのために注文する方が多かったのでしょう。
個人宅への配達の日は時間の余裕もあり、私もゆったりした気持ちで、自分よりはるかに年上のおばあちゃん達との会話を楽しんでいました。

金銭的に恵まれているからなのか、自慢話が多いけれどどこか子どものような、邪気のない人達ばかりでした。話の内容も嫁がどうしたとか、孫の言葉遣いが、なんて割とどうでもいい話ばかり。

けれどこうして私も大変なのだとアッピールすることが、現実の忙しなさから取り残されてしまっている彼女達にとっては大切な繋がりなのだろうなぁ、と現実に追いまくられていた当時の私は思いました。

あの頃はいつか来る定年に、何もしなくていい時間の訪れに憧れていたけれど、今そんな風に思えないのはあの頃の老婦人たちに有り余る暇は罪悪感を伴うのだ、と教えられたからかも知れません。

 

ただ、蔵屋敷の老婦人との会話はほんの少し違っていました。
彼女はかつて中学校の教師をしていて今も独身。
所得が多かったので生活に困ることはなく、親が遺した昔の土蔵をリフォームしてそこで暮らしていました。


私は20代、当時の彼女は70代くらいだったと思います。
いつも背筋がしゃんとしていて、教師らしくよく通る、聞きやすい声をしていました。

綺麗な顔立ちで豊かな白髪も素敵なのだけれど、どこか近寄りがたい『学校で一番怖い女教師』みたいな面影が消えない人でした。きっと実際にそうだったのでしょう。

彼女のお宅は玄関から綺麗で、室内もいつも整えられていて、毎回面接を受けているような奇妙な緊張感があったことを覚えています。
少しでも粗相があったら叱られてしまいそうな、厳格な雰囲気の人。

話すことは新聞やニュースで見かけた、社会の曲がった部分ばかり。
いつも何かにまっすぐな怒りを抱えていて、良いニュースの話は出てきません。

それでも時折、昔の生徒が送ってくれたというお菓子や年賀状を取り出してきて昔語りをする時だけは別でした。

自分がかつてどんな風に生徒を指導していたか、そしてどれだけ生徒から慕われたか、自分が育てた彼らが今は立派な社会人になってこんな役職についているのだ…と語るときだけは幸せそうな笑顔でした。

だから私は信じていました、少し偏屈で堅苦しい彼女が昔は良い教師だったことを。

 

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けれどもこんなに怖い雰囲気の人がそんなに慕われるだろうか、とほんの少し疑っていたことも確かです。だから花屋の店長が語る、その先生の本当の姿をすんなりと受け入れてしまいました。

教師をしていた頃の彼女は贔屓が激しく、従順で自分の言う事を聞く子どもだけに良い点数を付け、反抗的な態度の子どもはどれだけ成績が良くとも推薦が得られなかったこと。虐めをした生徒を皆の前で問いただし、不登校まで追い込んだこと。それが元となり、ほぼ強制解任に近い自己退職に追い込まれたこと…。

 

教師って、本当にめんどくさい職業だと思います。
普通に考えたら、たとえ教職課程を取ったって大学を出たばかりの若者が即人を導く立場の人間にはなれないですよね。

でも世の中には本当に慈愛に満ちて、高い理想を抱いて、自分の全てを投げ打つような勢いで子どもたちを救ってくれる神様のような先生がいる。
今年定年を迎えた息子の学校の校長先生がそんな人で、本当にみんなから愛されて、慕われて卒業の日を迎えました。

でもそんな『神様』が教師の理想だなんて、目指すべき目標だなんて言われたらどうしたらいいのでしょう?

営業成績や、販売実績なんて目に見えるモノならば頑張れば多少はどうにかなる。
でも理想の教師に求められているのはその時々の社会に即した一般的な正しさ、そして慕われる人柄なのです。

明るく優しい、信頼に値する人物はどんどん愛されて出世していき、偏屈で変わった人物はどんどん社会から疎まれていく。

それは学校に限った話ではありません。
でも生徒や、生徒の親という『素直すぎる顧客』がいる世界では先生の人気が目に見えて分かってしまう。それはとても残酷な世界だと思うのです…。

 

店長から話を聞いた後も、私は変わらず彼女の元でお茶を飲み続けていました。
私が高校の時に出会った美術の先生と彼女の姿が重なって、前よりも少し近寄りやすくなった気がしました。

私の高校の美術の先生は、偏屈で変わり者で、正直に言えば学校の嫌われ者でした。
でもそんな評価を気にする様子は表に見せず、何を言われてもそんなに怒らずただ飄々と生きていました。

何より、私たち美術部の面倒は顧問としてちゃんと見てくれたのです。
体が弱くてよく入院する人でしたが、長期休みのたびにやかましい女子高生を連れて様々な展覧会に連れて行ってくれて、絵を見る楽しさを教えてくれました。帰りはいつも疲れ果てて胃を抱えていましたがそんな姿も先生なりに誠実でした。
何より人と同じでなくては生きていけないのではないか、と怯む10代の私たちに、おっさんだろうが胃が弱かろうが、どれだけ疎まれたって人間なんとか生きていけるもんですよ、と言葉にして教えてくれました。

 

老婦人にも年賀状やお菓子を送ってくれるような、彼女の厳しさや佇まいに自分を重ねて救われた人が、ちゃんといるのだと思います。

彼女の語る物語はフィクションだと、店長は言いました。
でも全てが嘘ではなくて、きっと自分が大切に抱え込んだ真実の芽がいつの間にか豊かな森になってしまったような、虚飾の物語なのですよね。

誰を傷つける訳でもない、細やかなフィクション。

私もこんな風に誰かの話を書くときは個人が特定されないように時列系や場所を変えたり、他の人の話を混ぜたりして作り物のお話にしてしまいます。

でも全部が嘘じゃないんです。
設定や、複数人が混ざり合ったりしているけれど、これは私が体験した物語。

老婦人の話も悲しい作り話じゃなくて、大切に抱えたエピソードが豊かに花開いたものだと信じたいです。

本当は私の美術の先生みたいに、世界に嫌われても上等、ぐらいのことが言えたら生きるのが楽になると思うのですが…
誰だって誰かに褒められたいし、認められたいのですよね。正しさが求められる教師と言う職業ならなおさら。

 老婦人は自分が信じる世界を構築して、花を飾って生きていました。
今屋敷には人影がなく、ただ裏庭のバラだけが初夏が来るたび咲き誇っています。

 

世界は建前で出来ている

送別会なんて行きたくない、みたいな記事を読みました。
気持ちはすっごく良く分かる!

私も若い頃は飲み会が嫌いでした。
お金も時間も無駄になるし、何よりその場の話題や雰囲気に馴染めなくて、居心地が悪いだけだったから。

なんとなくこの増田を書いた人も20代くらいなのかな、と思います。
20代の感覚と、30~40代の感覚ってやっぱり違うので(仕事意識とか、建前の使い方とか)飲み会と言う本音が出てしまいがちな場で居心地が悪い、というのは当たり前の気持ちなんじゃないか、と思うのです。

anond.hatelabo.jp

 

ただ、建前はやっぱり大事なんじゃないかと思うんすよ。

増田は上司からの呼び出しをくらい、全否定された反動もあると思うけど、余りにも率直に本音を言いすぎ!

「親族の集まりがあるとか、結婚式の二次会があるってわざわざケロッと嘘ついて参加できませ〜ん申し訳ないです〜うとでも言えばよかったです?そっちの人の方がわたしは人としてどうかと思いますよ、わたしは今回参加しません」

分かる、分かるけどこれでは上司が増田を敵認定してしまいます…。

 

ちゃんと仕事してればそれでいいじゃん、って増田は思うかもしれないけど、実は大半の職種は『組織の中で上司や同僚と上手くコミュニケーションが取れるか』っていう人間としての基礎部分に重きを置いている訳で。

やることやれば浮いていても許されるのはデザイナーとかエンジニアとか、実力が試される本当に一部の職種だけだと思います。
そしてそういう職業の中でも首を切られず、重用されるのはちゃんとコミュニケーションが取れる、送別会などの場できちんと礼儀が尽くせる人だと思うのです。

 

送別会って、実はかなり仕事に役立つ場。

増田は自分の職場が保育園だと書いていたけれど、定年退職する上司は関連機関に天下りするかも知れないし、異動になった先輩の保育園は来年増田が行く所かも知れない。

こういう時にきちんと相手の名前を呼んで、大変お世話になりました、と礼儀を尽くしておくだけでも相手は増田を無下に出来なくなると思うんです。

これってさ、怖い話をすると牽制な訳。〇〇さんのこういう所尊敬してます、大変お世話になりました。ニッコリしながら腹の内は恫喝っすよ、わざわざ礼儀尽くしてやったんだからそっちも礼儀払えよ、忘れんなよゴラァ!

 

面倒な気持ちも分かるけど、そうやって職場の人間と恫喝知り合っておくって地味に大事。飲み会でほんの少し相手のプライベートな話を聞くだけで、仕事だけの関係から、小さな縁が出来る訳ですよ。

そうやって細やかな縁をたくさん繋いでおくと、ただの同僚から、顔見知りや友人にステップアップ出来る訳で。

知っている同士だと、声を掛けたり手助けしたり、お互いにコミュニケーションが取りやすくなる。そうやって仲間を増やすと仕事も順調に進むんだよね。

逆に仕事でしか縁のない、よく知らない人間には嫌な仕事を押し付けやすくなる。みんなが嫌がるような仕事は、よく知っている人間には頼みずらいですよね。
人間関係を構築せず、よく知らない人という立場でいると、そういう時に重宝されてしまうかも知れません。あとはまぁ、色んな情報仕入れておくといざって時に恐喝して上位に立てるよね!

 

飲み会の場で仲良くなった者同士がチームを組んで仕事の情報をやり取りする。仕事の成果じゃなくて、人間関係の構築が強く評価される世界。
そんな風に書くと増田はそんなのズルじゃん、って思うかも知れません。

そうだよね、でも結局上司も人間で、だから世界はズルいんだよ、と私は思ってしまいます。

私が上司だったら、仕事は出来るけれど飲み会に来ないのでプライベートがまるで分からず何を話していいのか分からない増田と、ちょっととろいけれど飲み会で隣の席に来てくれて、共通項がたくさん見つかった部下がいたら、共通項の多い部下の方を重用すると思います。仕事は自分がフォロー出来るし、空き時間に何を話したらいいか分からない苦痛を味わうくらいだったら、話しやすい相手をどうしても優先してしまう。コミュニケーションやっぱり大切。

 

そもそも世界は建前だらけだと思いません?最近の人生百年時代構想だって、若者が足りねーんだから引退してる暇ねーぞ高齢者!死ぬまで馬車馬のように働けー!を『いくつになっても輝ける、一億総活躍社会』と美しく言い換えてるだけじゃん。一億馬車馬社会っすよ正しくは!

 

言葉を飾るなんて軽い手間で生きやすくなるなら、やった方が得だと思いませんか?
「すいませんその日はおばあちゃんの還暦のお祝いが…」とかテキトーなこと言っとくだけで家族を大事にする子、とかイメージ戦略的には優位な訳っすよ。

ちなみに還暦、古希、喜寿、米寿と年寄りのお祝いは4回くらいあっから!じいちゃんばあちゃん父親母親全部カウントしたらかなりサボれるよ!やったねたえちゃん!

 

と、まあそんなことを書き散らしながらも増田の青さが眩しい、羨ましい私もいます…。20代の頃は建前もお世辞もうまく使いこなせなかったもんなー。

世の中建て前ばっか、上手く立ち回れー、なんて汚れっちまった大人の意見です。
そんなに気にしないで、ただあまり意地を張ったりせずに、凹んだり反省した時は素直に態度に出してくださいね。

あなたの心の中の言葉は、思ったより周りには届いていないもんです。
みんなエスパーじゃないし、どんなに偉そうな人でも実は自信が無かったりします。
若くて元気な増田が周りに意地を張っちゃうと、相手は馬鹿にされてる?舐められてる?なんて感じて更に意固地になってしまいます。

礼儀も建前もめんどくさいけど、ちゃんと義務をこなしておけばきちんとリターンが帰ってくるからそう捨てたもんじゃないっすよ。

この世界の共通言語は未だに任侠映画なのかなぁ、なんて思ってます。
義理と人情が物をいう。どうかウザい説教喰らわないように、ほんのちょっとだけお控えなすって。 

 

本音×建前 カルタ

本音×建前 カルタ

 

 

 

タッチパネルがしゅきぃ!

飲食店のタッチパネルなんていらない、という記事を読んだ。

news.infoseek.co.jp

 

タッチパネル、結構重宝してる派なのでそうですかぁ?と軽い反論記事を書いてみることにする。

 

私にとってタッチパネルとは家族で行く回転寿司とか、同じく家族で行く安価なチェーン店に備え付けてあるもの、である。

店員さんを呼ぶと注文をしている傍で水をこぼすバカとかやっぱり注文変える!と迷いだすバカがいてご迷惑をおかけするので落ち着いて注文できるタッチパネルまじ神。

しかも子ども達に自分で注文させるとその間憩いの静寂が訪れたりする。やっぱ神。
回転ずしの空いたお皿入れる奴も同じように神だと思う。
子どもを釘付けにしてくれるアイテム大しゅきぃ!

 

タッチパネル要らない派の記者さんはタッチパネルが生身の会話を減らすものだと書いていたけれど、正直子連れなら会話は充分すぎるほど足りている。
むしろエンドレス相槌を求められる主婦としては口を開く余力もない、みたいな気分に陥ることも多いのでしゃべりたくないぃ!やっぱりタッチパネルがしゅきぃ!

 

結局、何事もTPOなんじゃなかろうか、と思う訳で。
タッチパネルのある店ってファミリーや一人客にも気軽なチェーン店が多いと思う。
そういう店は絆より気軽さを提供してくれているのでは?

一人で、落ち着いて店員との会話を楽しみたいなら3000円くらいのランチに行きますって!

またこの記者さんのように『ビールとラーメン、ビール先によろしく!』なんて会話が楽しみたいなら個人営業の、小さなラーメン店に行けばいい訳で。

 

僕自身にはいいアイデアがなくて申し訳ないのだけど、店のほうも「人手不足→合理化→タッチパネル」と、単純に考えないで、もう少し知恵を絞ってほしい。

 

 

なんて書かれておられましたけれど、そもそも自分が生身の会話を大切にしている店に行けばいいんじゃ…?

社会に求めるより、自分が出来ることをやってく方が物事は簡単。
まずは自分の知恵から絞っていこーぜ。

タッチパネルが要らない、良くないと思うなら、そういうものを導入していない小さなお店を大事にして、常連さんになって欲しい。
私自身も家族とはチェーン、友達とは昔ながらの地元店と使い分けてますし。

 

タッチパネルは弊害じゃなくてこれからどんどん増えていく、社会に必須なものなんじゃないか?と思います。

注文を取るためだけに人手がいる、なんて人件費の無駄遣いじゃない? 合理化できる部分は合理化していけばいい。 日本語の通じる人が丁寧な接客をしてくれるなんて当たり前はいまや贅沢品。それでは寂しい、コミュニケーションが取りたい、って人はそういうお店に行けばいい。

結局棲み分けが大事なんじゃないのかな。

 

そして最後に一つ!
この記者さんは「客と店員との会話が減ることは寂しい」と書いておられる。
これが人間同士の、対等の会話なら同意。果てしなく同意。

でも客と店員という対等であるはずの人間関係をどうもはき違えて、神様と下僕、みたいな態度を取るバカがいる。
そんな「会話」とすら呼ぶ価値もない暴言ならとっとと撲滅した方がいい。
そしてそうした暴言を吐く自称『神様』は牛丼屋とか、安居酒屋の客に多い気がする。 300円程度の牛丼に神様としてふるまえる権利なんてついてないし、そんなバカに嫌気がさして接客業をやめる人が多いのももったいない。

だからそういうお店はどんどんタッチパネルや券売機を導入して、ガンガン会話減らしてこうぜー!と思います。

安くて威張れる、俺のサンクチュアリを奪うなだぁ?そんなに無料のコミュニケーションが欲しけりゃボランティアでもやって社会に役立ってこいバーカ!
本日の暴言は以上です。

 

なお私の憧れは清野とおるさんのゴハンスキー第1巻に登場する、立ち飲み日高のタッチペン。やっぱりしゅきぃ、憧れるぅ!

 

 

ゴハンスキー1 (SPA!コミックス)

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