飲食店のタッチパネルなんていらない、という記事を読んだ。
タッチパネル、結構重宝してる派なのでそうですかぁ?と軽い反論記事を書いてみることにする。
私にとってタッチパネルとは家族で行く回転寿司とか、同じく家族で行く安価なチェーン店に備え付けてあるもの、である。
店員さんを呼ぶと注文をしている傍で水をこぼすバカとかやっぱり注文変える!と迷いだすバカがいてご迷惑をおかけするので落ち着いて注文できるタッチパネルまじ神。
しかも子ども達に自分で注文させるとその間憩いの静寂が訪れたりする。やっぱ神。
回転ずしの空いたお皿入れる奴も同じように神だと思う。
子どもを釘付けにしてくれるアイテム大しゅきぃ!
タッチパネル要らない派の記者さんはタッチパネルが生身の会話を減らすものだと書いていたけれど、正直子連れなら会話は充分すぎるほど足りている。
むしろエンドレス相槌を求められる主婦としては口を開く余力もない、みたいな気分に陥ることも多いのでしゃべりたくないぃ!やっぱりタッチパネルがしゅきぃ!
結局、何事もTPOなんじゃなかろうか、と思う訳で。
タッチパネルのある店ってファミリーや一人客にも気軽なチェーン店が多いと思う。
そういう店は絆より気軽さを提供してくれているのでは?
一人で、落ち着いて店員との会話を楽しみたいなら3000円くらいのランチに行きますって!
またこの記者さんのように『ビールとラーメン、ビール先によろしく!』なんて会話が楽しみたいなら個人営業の、小さなラーメン店に行けばいい訳で。
僕自身にはいいアイデアがなくて申し訳ないのだけど、店のほうも「人手不足→合理化→タッチパネル」と、単純に考えないで、もう少し知恵を絞ってほしい。
なんて書かれておられましたけれど、そもそも自分が生身の会話を大切にしている店に行けばいいんじゃ…?
社会に求めるより、自分が出来ることをやってく方が物事は簡単。
まずは自分の知恵から絞っていこーぜ。
タッチパネルが要らない、良くないと思うなら、そういうものを導入していない小さなお店を大事にして、常連さんになって欲しい。
私自身も家族とはチェーン、友達とは昔ながらの地元店と使い分けてますし。
タッチパネルは弊害じゃなくてこれからどんどん増えていく、社会に必須なものなんじゃないか?と思います。
注文を取るためだけに人手がいる、なんて人件費の無駄遣いじゃない? 合理化できる部分は合理化していけばいい。 日本語の通じる人が丁寧な接客をしてくれるなんて当たり前はいまや贅沢品。それでは寂しい、コミュニケーションが取りたい、って人はそういうお店に行けばいい。
結局棲み分けが大事なんじゃないのかな。
そして最後に一つ!
この記者さんは「客と店員との会話が減ることは寂しい」と書いておられる。
これが人間同士の、対等の会話なら同意。果てしなく同意。
でも客と店員という対等であるはずの人間関係をどうもはき違えて、神様と下僕、みたいな態度を取るバカがいる。
そんな「会話」とすら呼ぶ価値もない暴言ならとっとと撲滅した方がいい。
そしてそうした暴言を吐く自称『神様』は牛丼屋とか、安居酒屋の客に多い気がする。 300円程度の牛丼に神様としてふるまえる権利なんてついてないし、そんなバカに嫌気がさして接客業をやめる人が多いのももったいない。
だからそういうお店はどんどんタッチパネルや券売機を導入して、ガンガン会話減らしてこうぜー!と思います。
安くて威張れる、俺のサンクチュアリを奪うなだぁ?そんなに無料のコミュニケーションが欲しけりゃボランティアでもやって社会に役立ってこいバーカ!
本日の暴言は以上です。
なお私の憧れは清野とおるさんのゴハンスキー第1巻に登場する、立ち飲み日高のタッチペン。やっぱりしゅきぃ、憧れるぅ!