先日窓口に謎のお客様がやって来た。
一枚の付箋を持ち、その紙を見せて「この紙に心覚えある?」と聞いてくる。
フセンには・印鑑・通帳を持ってきて下さい、としか書かれていない。
謎の客曰く、自分のカバンにこの紙が入っていることに今日気が付いた。
どこで・誰に貰ったのか・要件すら、覚えていない。
仕方がないので役所や銀行など、通帳や印鑑が必要そうな場所で紙を見せて回っているのだと言う。
オラの通帳に用のある子はいねかー。オラの印鑑に用のある子はいねかー。
…と、話だけを書くと不憫な平成のなまはげ感が漂うのだが、お客様はやたらとアクティブ。
ねぇこんなメモ入ってたんだけど覚えある?ない?ないなら次行っちゃうわよ!とレミ口調で言い放ち隣の店へと去っていった。
話はテキパキ、足腰も達者そうだったが顧客情報を確認するために生年月日を聞いたら80歳を過ぎていらっしゃった。
もしかしてちょっぴり痴呆気味…?
今、政府は来たるべき超高齢化社会に向けて、働ける・介護のいらないお年寄りロボを増産しようと、健康対策に余念が無い。
平均寿命はどんどん延びている。医療も進化を続けている。
慶應義塾大学の印南教授の講演「医療保険財政の持続可能性を確保するために」では、重粒子線治療機器の半数が日本にあり、流石に配置規制が必要だ、と問題視されていた。
つまりがんの放射線治療を受けられる施設の半分は日本に集中しているのだ。
その医療の手厚さが財源を圧迫しているのだけれど、それでも国民皆保険で先進医療の進んだ日本で暮らす限り、長生きできる確率は高い。
ただし。
付箋を持ったレミおばあちゃんに、私は未来の自分を見た。
運動して、食事にも気をつければ長生きは可能な世の中。
でも脳みその老化はどうやって防げばいいのよ?
成人病やがんを乗り越えた先にある新たな宿敵。
それってもしかして認知症ではなかろうか…。
昔、「メメント」という映画が好きだった。
外傷により記憶が10分しか保てない、前向性健忘の男性が主人公の物語。
それから西尾維新の忘却探偵・掟上今日子シリーズも好き。
彼女の記憶は1日しか保てない。
物語の話だった『記憶の忘却』が自分の延長線上に見えてきた。
それってちょっと怖いな…
…という話を書きたかった。そういうオチで〆たかった。
しかし書きながらわが身を振り返り、私は首を捻ってしまった。
あっれ?メモの記憶を無くすのってそんなに特別?私も自分で書いた一年前のネタ帳、今読んだら何がなんだか分からねぇぞ?人との約束もスマホのリマインダーが無ければアウトだし。
やっべ今の私、すでに記憶がおぼろげなんじゃ?
若い頃は飲みすぎて記憶が飛んだ経験もある。
しばらくしたら思い出せたけれど、あのまま記憶が戻ってこなければ「メメント」的な忘却だった訳で。忘れることはもはや当たり前。 良い方に美化されたり、逆に酷い思い出になってしまう記憶の捏造だってあるある大辞典。
おぼろな未来の、いったい何が怖かったのだろう?
記憶を覆う霧は少しづつ立ち込めて、いつかは私を覆ってしまうのだろう。
でも思い返せば子どもの頃から忘れっぽかった私。
そう、忘却すらも忘れる、忘却を愛し忘却に愛された女ぁ!ジャースティス!
もともと霧の世界に生まれたのに、霧を怖がってどうする。
全てがおぼろな時が来ても、レミ口調で「ねぇねぇアタシどこに行くんだっけ?誰も知らない?じゃあいいわ帰る!」とかきっぱりさっぱり言いきっちゃえばオールオッケーな気がしてきた。 しっぽを立てろ!ブロッコリーはぶっ刺すもの!
そんな訳で老後のために今の私が備えておくべきなのはレミ口調の習得なのである…ジャースティス(池崎も老後に使えそう)!なんだこのオチ⁉
文章すらも霧に迷い込んだ、今日のお話です…