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渋谷直角、奥田民生になりたいボーイボサノヴァカバーを歌う女の話

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ライターで漫画家の渋谷直角さんという人が好きだ。

同世代のせいか、ネタがツボ過ぎて面白い。彼の書いた本を一気に三冊読んでしまった。
「直角主義」、「カフェでよくかかっているJ-popのボサノヴァカバーを歌う女の一生」、「奥田民生になりたいボーイ出会う男すべてを狂わせるガール」。
 
「直角主義」はエッセイ。
他2冊は漫画。
 
漫画2冊が少し重い話で、軽く引きずられた。
書くことについて少し考えさせられたので、簡単な感想を書いてみる。
 

こじらせた日々が深淵から覗くから

 

 

「カフェでよくかかっているJ-popのボサノヴァカバーを歌う女の一生」、「奥田民生になりたいボーイ出会う男すべてを狂わせるガール」。

2冊の漫画の主人公は、歌手、ライター、芸人、詩人、そんな職業を夢見ている人達。みんな何かになりたいと思って足掻いている。
一見夢を見ている誰かを嘲笑っているようにも見えるシニカルな漫画。
 
人の頑張りを笑うな、こじらせて何が悪いの。
痛い痛いこの漫画に、最初はそんな風に思った。
 
でも読み進めていくうちに、登場人物はみんなどこか作者の投影で、これは限りなく自虐に満ちたネタなんだ、と分かってくる。
そこからが物悲しい。
 
だって分かってしまうんだもの。
 
中学生の時詩や小説をたくさんノートに書いた。何万字書いたんだろう。
段ボール箱にぎっしり詰まった何冊ものノートは、大人になって普通の会社員になり、自分がリア充になったと誤認した時に捨ててしまった。
 
合コンに行って彼氏が出来て毎週デートするような日々の中で、詩だの未完の小説だの、そんな夢物語がどうしようもなく恥ずかしく思えたのだ。
 
箱も開けずに廃棄された黒歴史。
 
直角さんのマンガに出てくる人たちはみんな、自分は何かになれると信じたくて、その一方で冷めた目線も持たざるを得なくて、グルグルと足掻いている。
 
あの頃黒歴史を廃棄出来なかったら、私も足掻いていたんだろうか?
 
プロデューサーの聖水プレイを断れない歌手や、企画だけ取られてポイ捨てされるライターが自分に見えて、たまらない気分になる。
 
登場人物はみんな俺は他人とは違うみたいな顔をして、そのくせ本当は自信がなくて、周りと比べて羨んでドロドロしている。
分かりすぎて、頭を抱えてうわ、と目を逸らしたくなる。
 

面白すぎる日々のブログ

 

直角主義

直角主義

 

 

逆に、難しい事を考えずにがはは、と笑えるのが「直角主義」。
これはブログの記事を一冊にまとめたもので、著者が日々遭遇した出来事が綴られているだけなのにやたら面白い。
 
コンビニ店員はDJで、ラブホテルの伝説のオーナーは車いすでドラゴンアッシュみたいなポエムを書いている。スーパーの店員の恋模様はあだ名がチン。(詳しく書けないにも程がある。下ネタ好きなら読んで下さい)サブカルをこじらせている妹はとにかく可愛い。
 
この本の元になったブログ「ロベルトノート」はもう名前しか残っていないのだけれど、こんな記事を毎日読めたら楽しかっただろうなぁ、と思う。
 
あはは、と笑って私は気付くのだ。
 
普通の日々をこんなに面白く切り取れる人でさえ、自分は何になれるんだろう、と覚束ない気持ちで迷っていた。昔は下積みのライターで、雑誌が休刊になってへこんだり彼女に振られたりしている。
 
奥田民生になりたいボーイも、仕事も女も編集者に全部持っていかれるライターも、みんな一部はかつての直角さんなんじゃないか、と思える。
 
そう思うと、「奥田民生になりたいボーイ~」のラスト、奥田民生『たったった』の歌詞が響いてくる。
 
真の姿は うたっていないんだな
ねらっていたんだな
知っていたんだろ

 

奥田民生みたいな「なんでもいいような」在り方に痺れた青年は、「そういう風に見せる」テクニックを学んで虚構の自分を作り上げる。
 
完璧になったはずなのに、立ち食いそば屋にかつての自分を見て泣きそうになる。
昔の自分のような若者を潰そうとしたりする。
 
「直角主義」もとても面白い本なのに、ラストには「愕然とするほど伝えるべきことがない」なんて書かれている。
 
「カフェでよくかかっているj-popのボサノヴァカバーを歌う女の一生」、「奥田民生になりたいボーイ出会う男すべてを狂わせるガール」を読んでどよーんとして、創作なんて、と思ったけれど「直角主義」を書けるような人の中にもこんな風な鬱屈があるのか、と気が付いて少し救われた。
 
プロの人気ライターさんにだってこんな日々があったのだ。
ましてや私なんか、という話だ。
 
そう思ったらこじらせマンガに侵食されそうになった気持ちが軽くなった。
 
世の中には面白い文章が溢れていて、そんな中私が書く意味って何だろう、と時々考える。私の書きたかったこと、それはとてもくだらなくて、どうでもいいような話で。
 
でもふっと笑ってくれたら嬉しいし、百本、千本の話を書けばどれか一つくらいは誰かに気に入って貰えるかも知れない。
 
それだけでいいや、と今は思っている。
 
いつかこのブログも段ボールに詰め込みたい黒歴史になるのかも。
でも今は書くことが楽しいから。
 
捨ててしまった段ボールにも、あの頃の楽しいが詰まっていた。
意味の無い時間なんて無かった、と今は思える。
 
今日は痛い痛い日々にも意味はある、と教えてくれた3冊の本のお話。

 

奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール

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