今日は高校2年生の時に作家デビューし、1980年代のラノベ、SF界を牽引した作家新井素子さんについて。
学生時代に大好きだった作家さんでしたが、ふとしたきっかけで読み返すとまた新たな発見がありました。今回はそんなお話です。
最初に本のレビュー、最後に私なりの新井素子論、という構成になっております。
かなりの長文ですので、ご注意ください。
「あたしの中の……」
デビュー作。
奇想天外SF新人賞佳作入選。
選考会で星新一が大絶賛したが、小松左京、筒井康隆らが反対したエピソードは有名。
私は1981年発売のコバルト文庫版、第48刷を持っているのですが、なんと定価290円。時代を感じますね。
購入当時13歳。多分これが初めての新井素子作品。
4作品が収録された短編集。さすがに古さを感じますが、「大きな壁の中と外」が一番好き。
ストーリーは「新世界より」のようなディストピア物。この世界がそれから22年後に出る「チグリスとユーフラテス」にも繋がっている訳で…。
どこまで物語は出来上がってたんでしょうね?
新井素子作品の繋がり方って面白いけれど著者の脳内を想像すると少し怖くなります。
「星へ行く船」(全5巻、番外編3巻)
いわずと知れた代表作。
この作品のヒーロー太一郎さんは「…..絶句」にも出てくる新井素子作品の古参キャラクター。
声のイメージは声優の広川太一郎氏、名前も彼から貰った、と「星へ行く船」のあとがきに書かれていました。
地球から宇宙に家出してきた無鉄砲なヒロインあゆみちゃんが火星で仕事、恋人を得てさまざまな事件を乗りこえていく成長譚。
「逆恨みのネメシス」から最終巻「そして、星へ行く船」への畳みかけるような展開も最高ですが、第一巻「星へ行く船」の失恋話、それから「雨の降る星 遠い夢」の揺れるキリン草のイメージが焼き付いて忘れられません。
番外編「星から来た船」は雑誌コバルトで読んでワクワクしてました。
隔月で…刊行予定はどんどんずれ込んで…巻数も増えて…。
それでも完結してくれたことに感謝。
中学生の時一番好きだったシリーズで、太一郎さん、レイディと言った主要キャラクターは今でも忘れられません。
無敵の、今でいう俺TUEEE系主人公なんですが性格が捻くれていたり内面が弱かったり、色々抱え込んでいるところが魅力的でした。
「グリーンレクイエム」
三編の短編集。表題作「グリーンレクイエム」は1980年の星雲賞日本短編部門受賞。
音楽と植物、初恋を絡め合わせたSF。
「星へ行く船」の短編「雨の降る星 遠い夢」のように、意識を塗りつぶされるような、乗っ取られるような感覚が得られる作品。
こうした共感覚の描き方が彼女の持ち味だと思う。
「宇宙魚顛末記」は「ひとめあなたに…」のもう一つの物語。
「扉を開けて」
第13あかねマンションという日本のごく普通の場所?(この場所は新井素子作品の原点でもあります)に暮らす男女が別世界に召喚される異世界ファンタジー。
タイトルはあとがきで大好きなナルニア国物語の洋服ダンスの「扉」から取った、と書かれています。
世界に疎外感を感じる人々の物語、女同士の友情と愛情のお話。
泥団子のような見かけなのに凄く美味しいタケのスープ、一度食べてみたい。
「ひとめあなたに…」
20歳の時の作品。
終末が迫った世界で別れた恋人に会いに行くヒロインを描いたホラー?SF?
新井素子を初めて読む方にオススメするとしたらこの作品。
世界が終わるときに人は何に執着するか。
ヒロインが出会う4人の女性たち、それぞれの物語。
愛と言う名の盲目的な献身、甘くねっとりとした恐怖が上手く描かれています。
この本を読んで以来、ユーミンの「チャイニーズスープ」が怖くなりました。
「ラビリンス《迷宮》」
「扉を開けて」「ディアナ・ディア・ディアス」と同じ半島を舞台にした物語。
著者が21歳に書いた作品で、6年後に出た徳間文庫版のあとがきでは『若書きとはこういうものか』『恥ずかしい』なんて書かれてますが(勿論その後でなんだかんだ言っても今は書けない、好きな作品とおっしゃってます)凄く惹かれる作品。
神への生贄として迷宮に捧げられる二人の少女。生き残るためには神を殺すか、迷宮を抜け出すしかない。
対のような少女二人の友情と冒険、成長の物語。
ギリシャ神話をモチーフにしたような(本当は何だったのか、はラストで分かりますが)迷宮と言う舞台が非常に魅力的。
「…..絶句」
主人公は作者新井素子、登場人物は彼女の作品のキャラクターというメタフィクション。
第13あかねマンションを舞台にしたドタバタ劇。
新井素子作品未読の方にはお勧めしませんが、ファンにはこれ程面白いものはないだろう、というモチーフが散りばめられています。
原作者が書く同人誌の様な風合いの作品。タイトルは5点リーダー。ここ、大切。
「ブラックキャット」
著者22歳の時の作品。
走れない怪盗、虫も殺せぬ殺し屋、天才的不器用なスリが織りなす、大怪盗ブラックキャットの物語。
これも完結編はコバルトで読んでました。
まあ予定通りでは終わらず…予定外のキャラクターが大活躍し、巻数が増えてやきもきさせられましたがちゃんと収まりました。
当時の私にとっては、発売予定日や巻数が実際と違なるというのが驚愕でしたが、大人になってあの頃の未完ラノベの数々を鑑みると…20年もの歳月をかけてきちんと物語を完結させてくれる新井素子さんは素晴らしいと思います。
キャットと千秋、明拓ちゃんの疑似家族のような関係、それから最後の山崎ひろふみ(星へ行く船にも子孫が出てきますね)の大活躍。
主人公千秋は実は出来る子、なんだけど一方では誰かに尽くしたくてたまらない、依存したい女の子で。
彼女との関係の中で大人の筈のキャット、明拓ちゃんも自分達のこじれた糸を解きほぐしていくところがいい。
女子向けレーベル、コバルト文庫の作品なのに、オープニングはスリが特技のヒロインが人様のお金を盗んだことがばれて脱兎の様に逃げ出すシーンから。
19歳なのに、新宿のバーで飲んでますし。
時代だなぁ…。
それから最終巻「キャスリング」後編には「αだより」と言う星へ行く船最終回のその後、のお話が収められています。
これはね…いいよ。
キャスリング〈後編〉―ブラック・キャット〈3〉 (コバルト文庫)
- 作者: 新井素子,四位広猫,山崎博海
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1994/12
- メディア: 文庫
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「あなたにここにいてほしい」
新井素子作品には女同士の友情を超えるような絆が描かれていて(時にヒーローが霞むくらいの信頼と尊敬を持って)、そんな友情の怖い一面を描いた作品。
親子とか男女とか、人間の本性に怖いほど拘った作品です。
物語の舞台が秋吉台の洞窟で、鍾乳洞を見るたびにこの作品のクライマックスを思い出します。
「今はもういないあたしへ…」
表題作と1982年の星雲賞日本短篇部門を受賞した「ネプチューン」の二編が収録された短編集。
表題作はクローンのいる世界での生と死の物語。主人公のその後を想像するとかなりゾクッとします。
「ネプチューン」は汚染された海と男女の想いが絡み合ってカンブリア紀に繋がる不思議なSF。グリーンレクイエムのようにうねる感覚の作品です。
「くますけと一緒に」
著者30代の作品。
両親を事故で亡くした少女成美。ぬいぐるみが手放せない10歳の少女を主人公に、
家族の繋がりを描くモダンホラー。
優しい夫婦に引き取られ、少しづつ心を開いていく成美だがいじめっ子や両親が相次いで事故に遭った理由について思い悩んでいて…という物語。
ラスト、主人公の少女成美が親についてこう思うべき、という呪縛から解き放たれるシーンがあるんですが。
当時の私は自分と母の事として読みました。
今は、自分と我が子の事として読んでいます。
当たり前だけど、年月が経ったことによって物語を読む視点が変わったのでしょう。
心に響く台詞も変わりました。
新井素子さんのぬいぐるみ愛が生んだ異色ホラー。
「おしまいの日」
結婚7年目、円満なはずの夫婦が迎えるおしまいの日の物語。
ヒロインの日記「春さんは、まだ、帰ってこない」が怖い。塗りつぶされたページも、破り取られたページも、とにかく怖い怖いサイコホラー。
この本は高校生の時、初めて自分のお小遣いで買ったハードカバーです。
怖いことは分かるのだけれど、当時ヒロインが決断するに至るまでの心理はどうしても理解できなくて、ラストでなんだこれは…と愕然とした覚えがあります。
クラスメイトにも貸して、「春さんが…今日も帰ってこない…」と教室の片隅でヒロインの真似をする遊びが流行りました。
前半の狂気には凄いものがあって、でもラストは何なんだろうね、と皆で話していました。
高校生の私達にはこんなことで人が死ぬのだ、逃れられないのだ、ということを身に迫って理解出来なかったんでしょう。
大人になってヒロインが感じていた社会への不安、恐怖みたいなものは理解できるようになりましたが、ここまで盲目的な愛情については未だに理解できないままです。
「チグリスとユーフラテス」
日本SF大賞受賞作。
一つの惑星の、終わりから始まりまでを逆にたどっていく年代記。
滅びゆく惑星最後の子どもルナと、4人の女たちの物語。
30冊目の小説で、1999年、著者39歳の時の本。
連載期間は1996年から1998年の2年間ですが、実際は1993年末から何度も何度も書き直し、連作短編だった筈の物語が予定の4倍近い長さの長編SFになったことがあとがきに書かれています。
新井素子を追いかけて
感想は刊行順に並べてみました。
新井素子さんの作品は初期は明るくコメディタッチ、中期はシリアスなSFもの、後期は現実社会を舞台にしたホラーが多い印象。そしてまたSFに回帰している…のですが。
実は最近の作品は未読です。
中学生の時学校の図書室で初めて新井素子さんの「あたしの中の……」と出会い「星へ行く船」、「ブラックキャット」とハマり中学時代はコバルト文庫一色でした。
高校の時は「…..絶句」、「二分割幽霊綺譚」「今はもういないあたしへ…」を読み、星へ行く船の番外編を雑誌コバルトで追いかけて。
高校生の時「おしまいの日」を読んで、面白かったのだけれどその頃作者が描かれていたテーマ、家庭や親子の絆といったものが当時の私には興味の無いものだったのですね。
壊れていく妻の心を描いた作品は少し大人すぎたのでしょう。
その7年後に出た「チグリスとユーフラテス」も購入したのだけれど、わくわくどきどきのカタルシスを新井素子SFに求めていた当時の私には響かなかった。
地味で、暗くて、重すぎる。
新井素子は変わってしまった。
そう感じて、それからしばらく離れていました。
新井素子作品を読み返すきっかけになったのは新潮社文庫から発売になった短編集「イン・ザ・ヘブン」をたまたま手に取ったから。
静かな物語だけれどあの頃のままの文体でやっぱり面白い、懐かしい。
そうして昔はあまり響かなかった「おしまいの日」「くますけと一緒に」を読み返してみると。すっと理解出来るのです。
「チグリスとユーフラテス」も地味だけれどかけがえの無い、新井素子の到達点なのだと気が付きました。
人はいずれ死ぬのだということ、子を産み育む、命を繋ぐということの難しさが身に迫ってきた今は、ラストの希望がわかります。
それはとても仄かで優しい光で、勢いで生きていた20代の私は見落としてしまっていたのでしょう。
一度は変わってしまったと離れたけれど、今改めて読み返すと表現や目線の違いはあれ、彼女の書きたかったテーマはずっとぶれていないのです。
何度も描かれる、母性、依存、盲目的な愛情。
著者が変わってしまったのではなくて、若かった私の読解力や人生経験が大人になった彼女の本を理解しうるに足りなかったのだな、と今ようやく気がつきました。
「ハッピー・バースディ」、「もいちどあなたにあいたいな」、それから「未来へ……」これから読む本がたくさんある幸せを噛みしめています。
独特の文体で、デビュー時には筒井筒井康隆氏に『40、50のオバハンになってまだこんな文章を書いていたら気味ワルイ』なんて言われていましたが、どうやら時代も変わったようです。
さて、 最後は新井素子さんらしく締めてみます。
えっと、あとがきです。
新井素子さんの星へ行く船シリーズが復刊、しかも書きおろし短編が載るらしい、というニュースをかなり前に知ったんですけど。
今、2016ですよね…?
でも、それでも。
いつ、いつまでも、あたしは楽しみに待ち続けておりますので。
いつの日か、また、お目にかかりましょう…。