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ハラスメント・ハラスメント

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ベビハラの話が話題です。

 

www.goodbyebluethursday.com

 

記事を読んで、前段は赤ちゃんの健康に一番気を配ってお出かけしているのは親じゃないのかな?と思いましたが(だからマザーズバッグはあんなに重い。自分の楽しみを最優先するなら家で涼んでるのが一番。それぞれ必要や、子どもの楽しみのために頑張って民族大移動してるんだと思う)、後段、赤ちゃんを泣かせても平気なママさん達にカフェを追い出された話は確かに迷惑だろうなぁ、と理解しました。

 ただこれがベイビー(を泣かしても気を使わない)ハラスメントである、というのはちょっと違うのでは?

例えばこれが女子高生達でも、おじさん達であっても、集団でぎゃあぎゃあ騒げば宮田さんの静寂は破壊されて追い出されるはめになりますよね。

赤ちゃんだって、単なる集団の中の1人です。
そこが子どもOKのカフェなら(ママさん集団がいたのならそういうことなんでしょう)抱っこなどであやせば席で泣かせてもOKなはず。

(ただ宮田さんのベイビーハラスメントの定義では泣いたり喚いたりしているにも関わらず、周囲に気を遣う素振りさえせず、あやすこともなしに放置する行為、となっているのですが...こういう時に抱っこもせずに話しているママさんたち、想像できません)

だからカフェでの話は『うるさい団体客って迷惑だよな』で終わる話なんじゃないのかな…と思ったのですが。

 

それからベイビーハラスメントという言葉はキャッチーすぎて危険だと思うのです。

宮田さんはベイビーハラスメントの定義を『自分の赤ちゃんが泣いたり喚いたりしているにも関わらず、周囲に気を遣う素振りさえせず、あやすこともなしに放置する行為』と書いていますが、短絡的に言葉の響きだけで想像してしまうと公共の場で赤ちゃんを泣かすことがハラスメントである、と受け取れてしまうと思うのです。

赤ちゃんの泣き声はハラスメントである、うるさい、迷惑。
そしてそれが皆が思う当たり前の考え方である…と定義づけられてしまうとどうなるか。

電車や飛行機という公共の場でも、赤ちゃん連れは肩身が狭く、泣いたらすぐに移動しなくてはいけない、それが常識...となってしまいますよね。

もちろん赤ちゃんは泣くのが当たり前、と開き直るような親は批判されて当たり前だと思います。公共の場では譲り合うことが大切。

 

ただ、電車の中などでも気を利かせて泣いている赤ちゃんの側がデッキに出ればいい、とありましたが、夫婦で移動しているならそれも可能だとは思うのです。

一人の移動でも、赤ちゃんと大荷物を抱えて(赤ちゃんと移動すると嫌でも荷物は大量になります)デッキに移動しろ、というのでしょうか。

デッキに行けば行ったで、席がなくて立っている人たちに白い目で見られてしまうかも知れません。
やっと寝てくれても、寝た赤ちゃんと荷物を抱えてまた自席に移動。
せっかくとった指定席には知らない人が寝ていたりして。

これが子ども連れの人がするべき『当たり前の配慮』なんでしょうか?
ほんの5分、10分、泣いている赤ちゃんを抱っこで、席であやせば自然と寝てくれる可能性の方が高いと思うのです。

赤ちゃんが泣いていてうるさい…と思ったら逆に自分がデッキに立ってみる。
席が空いていたなら自分が他の車両に移動する。
そういうことも可能ですよね?

もちろん、みんなが迷惑だから…と数の少ない赤ちゃんを追い出す方が楽です。
でも赤ちゃん連れで他の車両に行ったら行ったで、そこにもうるさい、と迷惑する人がいるはず。

ならばそもそもうるさい赤ちゃんはその場を動かずに、赤ちゃんがうるさいと思う人だけが移動した方が、被害は最小ですむはずです。

それが自分のことだけではなく、社会全体を考えるということ、譲り合いなのではないか…と私は思うのですが。

 

確かに、すいませーんの一言ぐらいあってもいいだろう、と思う気持ちは分かりますけどね。

ただ公共の場で、集団ではなく一人で、赤ちゃんを泣かしていても平気な(ように見える)人って、多分不器用なんじゃないかなぁ…と思うんですよ。

牛乳石鹸CMのお父さんを擁護する意見がありましたけど、ああいう風に他人からみたら理解しがたい不器用な振る舞いをしてしまう人って確かに存在する。

それは男性だけじゃなくて、お母さんの中にだって、不器用で他人の共感を得るのが苦手な人が一定数いるんですよ。

そういう人って、はた目からは人の迷惑を考えないワガママさんにしか見えない。
でも実は、本当にテンパってしまって、一杯一杯だったりして。

知らない集団の中で初々しく、必死なお母さんとしてちゃんと謝罪できる、上手に振る舞える人って実は世慣れてるんですよ。
本当に初々しいお母さんは無言、無表情だったりする。
それが傍からはふてぶてしく見えてしまったりして…。

私達はどうしても相手に分かりやすく振る舞って欲しいな、と期待してしまうけれど、こちらからもう一歩踏み込んでみてもいいのかも。

何も出来なくても大丈夫?って声を掛けてみる。
たったそれだけでも泣いている赤ちゃん、それを構わない非人間的なお母さん...が血の通った人間に見えてくるかも知れません。

 

ハラスメントとは人を困らせること、嫌がらせること。
少子化の時代で、赤ちゃんの方が少ないから、赤ちゃん連れが引っ込めば、配慮すれば大多数は幸福になれるのかも知れません。

でも本当にそれでいいのかな?
誰もが昔は赤ちゃんだったのです。
宮田さんも、是非お母さんに聞いてみて下さい。
自分が赤ちゃんの頃、公共機関で迷惑を掛けたことはないか、って。
自分はどうだったのかな。我が身を振り返る。

それはすごく当たり前の譲り合いの心、だと思うんですけれど。