おのにち

おのにちはいつかみたにっち

原発と紫陽花

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番号が振られた無機質なバスの中に、白い服を着た男たちが押し込められている。箱のような建物の中に入り、着ていた服を脱ぎ棄て更に頑丈な防護服をまとう。

簡単な健康チェックの後、今日の作業が始まる。
ゆっくりと、緩慢に。

死にかけの老人のような速度で、俺たちは巨大な鉄の箱を解体していく。
ここは福島第一原発。死の棺のど真ん中だ。

 

西新宿駅前の鳥貴族が潰れ、バイト先が無くなった時にたまたま見かけたのが原発作業員募集のチラシだった。

住み込みで福島へ。
同棲していた女との関係も煮詰まってきた所だったから丁度よかった。

見たこともない光景に最初はSF映画みたいだとワクワクしていたけれど、ひと月過ぎた今は何もかもが退屈だ。

重たい服を着ていると死にかけの年寄りのようにしか動けない。熱中症予防のためか、休憩時間はやたら多いけれどそれが余計にかったるい。

時を経て錆びついた構内と、ゲートの向こうに新しく作られた待機所を行き来する。それはまるで黄泉の坂を上り下りしているようだ。
チカチカした明暗が眼球の奥を痛めつける。

 

遺伝子をすり減らすバイトの日給は一日一万円。
そこから部屋代や食事代が天引きされて、正直女の部屋に転がり込んでいた方が儲かる算段だった。

それでも個室を与えられた俺はまだマシな方で、相部屋にぶち込まれた者同士がケンカになり、殺しあった話も聞いた。

いつも酒臭い隣室のジジイを思い出し確かにそれは地獄だ、と身震いする。
年寄り、前科者、身寄りのないガキ、外国人。
他に行き場のない奴らほど足元を見られて中抜きされ、痛い目に合う羽目になる。

下手に働くより公園で転がっていた方がよっぽどマシだなんて、誰が想像できただろうか?

 

夕食後、アパートの裏庭でこっそり猫に餌をやることだけが俺のささやかな楽しみだった。 まるで隠居後の年寄りのような暮らし。

職員向けに作られた、デカい箱のような施設はある。
大抵のメニューは揃っている。酒も飲める、価格も安い。

それでも明るすぎる照明と白々しい陽気さと、味気ないプラスチックの皿が俺を心底滅入らせる。

ここならば、と薄暗がりの地元スナックに飛び込んだら、馴染みの客にジロジロ見られてビール一杯で撤退した。気のいい食堂のおばちゃんに愚痴ったら当たり前のように『よそ者だからねぇ』と返されて愕然とする。

 

このバイトを申し込んだとき、柄にもなく『シャカイコウケン』なんて言葉が浮かんでいた。もうすぐ三十、いつまでも新宿でバイト仲間とはしゃいでいていいのか、みたいな漠とした不安もあった。

でもこの町に来て向けられたのは正義の味方を見る目じゃない、廃棄物を見るような目だ。

みんな汚いものは片付けたい、無かったことにしたい。
でも実際に遺伝子を痛めつけながら廃棄する、最底辺の俺らの事も排除したいのだ。安全な家の中で守られて、そう感じることになんの矛盾も覚えないのだ。

 

遠い未来に原発は、キレイな公園にでもなるんだろう。
そこにはきっと死んだ奴らの名前が刻まれる。

でも入れ替わり立ち代わり、ここで働いた無数の俺たちの名は誰も覚えちゃいないのだろう。

こんな町に来るんじゃなかった。
十も二十も老けたような気がする。こんな目で見られるくらいなら、いつまでも新宿でつるんでバカみたいな声を上げて『無敵な俺ら』でいたかった。

 

足元で餌をねだる猫の鳴き声で我に返り、缶詰を開けてやる。
餌やりは禁止されているけれど、かまうものか。

もうしばらく女を抱いていない。
柔らかく暖かいものが、俺は恋しい。

白い猫の足にどこから拾ってきたものか、赤いビニールテープが絡みついているのを見て俺は手を伸ばす。性急すぎる動きに驚いたのか、猫はゆっくりと茂みの向こうに消えてしまう。

自分で上手く食い破れればいいけれど、下手に食い込んで足の先が壊死する羽目になったら後味が悪い。

俺は猫缶を手に、ゆっくりと白猫の後を追った。
アパートの脇は廃校になっている。
木造校舎の前は紫陽花が満開で、闇の中でも暴力的な色をまき散らしていた。

その前に座る白猫に餌をやり、そっとテープを外してやる。
立ち上がった俺は、紫陽花の花に軽く手を当てた。

ひんやり柔らかい感触。
俺はこの手触りをよく知っている。

 

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子どもの頃、爺さんの趣味のための小屋が裏山にあった。

毎日仕事を定時で終え、夕食ができるまでの数時間、カブで山道を登り仏像を彫るのが爺さんの日課だった。
晴れの日も雨の日も。山の木を切り倒しチェーンソーで割り、カンナを掛け鑿で掘り出していく。

爺さん子だった俺は、よくカブの後ろに乗って小屋へ向かった。
小屋の近くに住みついた野良猫を構ったり、余った木切れで工作を始めたり。

小屋へ続く細い山道の両脇には山紫陽花が群生していて、花の時期には道が塞がれるほどだった。

そんな時はカブの荷台から丸い花に手を伸ばした。
掌の先に、柔らかで冷たい花が跳ねて当たってくすぐったくて、よく荷台から転げ落ちた。

 

あそこは爺さんのための仏像小屋だった。
毎日毎日、飽きることなく仏像を彫り続ける爺さんを見ていた俺は、いつか自分も大人になったらこんな小屋を手に入れるのだろうと信じていた。


やがて俺は大人になり、爺さんの小屋に飽きて、小さな町にも飽きて都会へ出た。爺さんの形見の仏像は、実家の机の引き出しに放り込んだままだ。

 

どこへでもいける、なんだってやれる。


けれども紫陽花の先にある俺のための小屋の名前は、いくつになっても見つからない。

今日も白々しい青空が描かれた箱の中で、白いタイムカードを押す。
年間の被ばく量を越える前に、契約は満了する。

俺も残り三十四日しか、この町に居られない。
もしもこの期限が命の終わりなら、俺は何をするのだろうか?
俺になにが出来るのだろうか?

あの時掌に触れた、紫陽花の感触を思い出している。

 

 

この物語はフィクションです。 2275文字