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もうすぐ最終回『ダーリン・イン・ザ・フランキス』考察

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『ダーリン・イン・ザ・フランキス』をGYAO!で全話一気見(むろん最終回は除く)してしまった。

gyao.yahoo.co.jp

 

実は最初の頃に一話だけチェックして、切っていた作品である。
空から角の生えた女の子がやってきてダーリン♡と呼んでくれる。
ラムちゃんかっ⁉と思ったのだがそこはあまり突っ込まれていなかった。
昭和は遠くなりにけり…と悲しくなったのが敗因である(?)男性向けっぽかったし。

 

観てみようかな、と興味が湧いたきっかけは、けちょんけちょんに貶されていたこの記事。

blog.kaoriha.org

 

一話で切った私にとって、ダリフラとはどろどろ恋愛ロボットアニメだった。
ところがこの記事では地球規模で子どもたちが活躍する内容でありながら黒人が出てこない人種差別アニメになっていて、あまりの視点の違いに驚いた。

そんなに壮大なアニメだったのかよ⁉
そう思ってイッキ見したらなかなか面白かったので、今日はむちゃくちゃネタバレな感想を綴っていきたいと思います。

まだ観ていない人はここでリターンだ!

 

ダリフラは人種差別アニメ?

 

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さて、まずは冒頭で紹介した記事の話から。
ダリフラは黒人が出てこないから人種差別だという論説は、やはりあまりにも強引な気が。

けれども地球規模の物語で、色んな人種が出て来て当たり前な設定なのに日本人しか出てこないアニメは差別だ、って話なら理解出来る。

例えばハリウッド映画で、世界中の各都市で人々が危機に襲われるシーンの群衆が全部白人だったらさすがに違和感を覚えると思う。
最近の海外ドラマは作中に様々な人種、ジェンダーを意識的に登場させるという話を聞いたことがあるし、日本のアニメも世界を意識して作っていかなくちゃいけない時代が来たのだろう。

『制作陣全員の頭の中から黒人なる存在が消えていた』という言葉は多分正しい。
ただ正確に言えばそれは『日本人の頭の中から多人種なる存在が消えていた』のでは?(黒人だけで拘ってしまうのはまた新たな差別であると思う)

閉じた自文化中心主義から、もっとグローバルな目線を。
中里さんが言いたかったのはそういうことだと思うし、その辺は理解できる。

 

ただしダリフラという作品がそこら辺にひとつも考慮していない、人種差別アニメだとは思えない。

まずコメントでも言われていたように、この作品は日本を舞台にしている。
子どもたちの名前が日本語、居住地に咲く桜、コロニーの番号が霞が関の郵便番号(さすがにそれは気が付かなかった、考察班すげぇ)。

 

もし博士が人種差別によってコドモに黒人を選ばなかったのだとしたら、博士が知り得ていたコドモの意味や、生物学者という立場からして、他の悪行とは桁違いの行為。その悪を暴かれ報いを受けることがない筋書きは異様

 

それから博士が知り得ていたコドモの意味や生物学者という立場からして悪行、というのも違う。フランクス博士は若い頃から倫理を踏みにじる研究をすると糾弾されている。もともと悪人(自己中心的な人物)だったのだ。だからこそ叫竜の姫に差し出した手を食いちぎられている。

博士にとっては地球や人類の未来よりも叫竜の姫にもう一度会う事、それから自分の作ったストレリチアの最終形態を見ることが大切だった。コドモたちをコールドスリープしたり、ナナやハチに後を託した(役割を与えた)のは周囲の人間たちに影響されて情が目覚めてきたから(なんとなくナナは博士の奥さんの遺伝子を継いでそう。娘の役割?)。瓦礫に押しつぶされ命を落とすラストは充分な因果応報だと思う。

 

叫竜が現れる前、かりそめの平穏を手に入れた地球ではそもそも繁殖が忌避されていた。
卵子や精子、遺伝子のストックも足りていなかったのではないか?
博士の妻が実験に参加し、命を落とした描写からもそのことが推測できる。
夫の役に立ちたいという気持ちは理解できるが、彼女は優秀な科学者でもある。自分よりも実験に適した被験者が多数いたなら、身を引いたはずだ。

多分、彼女が先陣を切るより他に道が無かったのだ。

 

またコドモの意味、と言っても前述のとおり永遠の命を得たオトナにとっては繁殖など無意味な行為で、単に叫竜を倒すためだけの便利な奴隷でしかなかったのではないか。

都市に迷い込んだゾロメに優しくするオトナも登場するが、彼女でさえコドモとオトナは別の生き物だと認識している(まるでペット扱い)。

 

あくまで実験対象である第13都市部隊を除いては、多様性を持たない従順な奴隷である方がオトナとしては使い勝手がいい訳だ。

 コスパや管理しやすさを考えたら、一番相性のいい男女ペアのクローンを作って量産していくのが一番だと思うので、他都市の部隊は多様性どころかみんな同じ顔でもおかしくなかったと思う。

 

本当のダーリンは誰?

 

結局ダリフラとは何だったのか?

私はこの物語をフランクス博士の人生のやり直しだと感じた。
大人はいつも自分が果たし得なかった夢を勝手に子どもに押しつける。

フランクス博士は自分のことを愛してくれた妻(ヒロにとってのイチゴ)を殺し、一目で恋に落ちた叫竜の姫(ヒロにとってのゼロツー)からは拒絶される。

だからこそゼロツ―を作り、ヒロを作ったのではないか。
ゼロツ―は叫竜の姫のクローン、ではヒロは?

博士の遺伝子を継いでいたなら、相当気持ち悪くてエゴイスティックで最高だ。

 

 さてさて、そんな訳で私は人種差別はさすがにこじつけだと感じました。
ただしこのダリフラという作品、ジェンダー的にはかなりやっべぇんじゃないかと思うんだ…差別で突っ込むんならむしろそこだろ…!

フランクスに乗れるのは生殖機能を持つ男女だけとか(ただし後に両性具有のナインズが登場する)、明らかに後背位な乗り方とか。

8話でケンカした際の、女子は色々大変なんだから俺たちが分かってやらないと的な結論もなかなかキレイごとでヤバかった。

 

でもそれでも、ヒロから見たゼロツーがいつもキラキラしているのが楽しかったです。 
赤いアイラインめっちゃ可愛いし、OPも素敵。

アニメってそれだけで充分愛おしいと思うんですよ。七夕最終回むっちゃ楽しみ。
帰っておいで二人で、って祈ってしまう。

 

作品としてのテーマはやたらシンプルな気がしました。

ラブ最強!子ども産もうぜ、そして仲間を大切にィ!
ヤンキー最強伝説みたいな(笑)

でも少子化が進む現代で一度ヤンキーに立ち返る(原始に帰る)って大事なのかも知れませんよね。

ではでは、そんな訳で今日は私の勝手なダリフラ考察でした。
あなたは何を考えたのかな?聞かせて貰えたら嬉しいです。

 

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