今後の世界はどうなるか、という長期予測について書かれた本を以前読んだ。
まずは現在発展途上と呼ばれている国々が経済的成長を遂げる。
その過程で一時的に環境は悪化するが、やがて全世界が少子高齢化、人口は減少していく。その後は穏やかではあるが変化や成長に乏しい時代が訪れる、という話だった。
本のタイトルすら忘れてしまった、相当あやふやな話なのだが、穏やかで寂れた雰囲気の未来観が終末SFそのもので、美しいと思ったことを覚えている。
さて、私は地方の小さな町に住んでいる。
一応近くに(といっても田舎の近くは車で10分)コンビニ、スーパー、ドラッグストア、総合病院がある、多少マシな感じの田舎である。
ただし同じ町の中には山間部にあることから人口が減少、僅かな住民も高齢化、国からの支援を受けてなんとか息を繋いでいる、そんな集落も存在している。
しかしいまや日本の半分は田舎なんじゃないか、とも思う。
平成29年度の日本の市町村数は1718(東京特別区除く)。そのうち過疎地域(一部過疎、みなし過疎含む)として認定されている地域は817。
47.6%が過疎。
一極集中しすぎた日本の今がこの結果である。
なお、過疎地域の数は毎年じわじわと増え続けている。
このペースだと半数を超えるのもじきだと思われる。
高齢化が進み、穏やかではあるが変化や成長には乏しい町。
日本の多くの市町村がいまや、やがて来る世界の未来を先取りしている訳である。
そんな訳で、衰退真っ只中で暮らす私。
確かに変化や成長には乏しい場所である。
バイパス沿いの大型店はたまに入れ替わるけれど、その出店は明らかに周回遅れだ。後継者不足で地元の名店も少しずつ欠けていく。勿論美術館や博物館といった文化に触れる施設は明らかに不足している。
しかしその一方で混雑や渋滞、競争とは無縁の穏やかな場所でもある。
都会のように短期間で高収入が得られる仕事は勿論少ないのだが、地方公務員、農協、地銀といった田舎の安定職に一度潜り込んでしまえば、穏やかな暮らしが定年まで保障される。
田舎では倒産でもしない限り、首を切られる事も少ない。
求人が出ても応募が来るまで数ヶ月待ち。それが地方の当たり前だからだ。
私の周りでも同じ仕事を長く続けている人が多い。
安定して緩やかな、しかし閉じていて変化に乏しいコミュニティ。
成長は望めないけれど、安穏とした暮らしを求める人には田舎は心地よい場所だ。
未来の世界がそんな風に変わっていくのなら、世の中は暮らしやすくなることだろう。
その一方で、微かな懸念もある。
閉じたコミュニティは、部外者に厳しく、自分たちのルールに固執しがちになる。
つけびの村、秋田の医者いじめ…
勿論そうした『部外者排除』は田舎に限った話ではない。
高齢者が多くなった都会の一部地域では子どもの騒音を嫌い、規制すると言ったニュースをよく聞く。
同じ属性を持つものが多く集まる場所では、その主属性が暮らしやすいように環境が整えられていく。
その結果、場に馴染めないものやローカル・ルールが守れないものは重罪人のような扱いで除外されていく。
最近のTwitterを見ていると、そうした『コミュニティ分け』が進んでいるような気がして不安になる。
フェミ対オタク、なんて論争が起きている所はまだ良い方で、争いを避けるためにゾーニングしようという話をよく聞く。属性を明記した#もそうした住み分けの一環だろうか。行き過ぎた界隈では男の国、女の国を作ろうなんて恐ろしい話もあるらしい。
自分と同じ属性のものだけが住む、守られた世界。
それは確かに平穏である。
けれどもそこには変化や驚きがない。
変化に乏しい場所(船や離島など)で育った子どもは発育に遅れが出る、という話を聞いたことがある。
争いを嫌う私たちが望む『住み分け』はもしかしたら精神的な過疎で、新しいことを学ぶ喜びー輝かしいセンス・オブ・ワンダーからは背を向けているのかも知れない。
とはいえ私が住むのは守られた過疎の町。
満員電車の痴漢も、駅構内でぶつかってくる人間も、全ては対岸の出来事だ。
穏やかな衰退の中にある町の中から、これからのコミュニティがどうなって行くのか、注意深く見守っていきたいと思う。