おのにち

おのにちはいつかみたにっち

断片の恋人

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ブログ、と言う不思議な名前の人が書いた文章を読んだ。
増田みたいに個人的な文章が綴られた、小さな日記。

最初は映画の助監督、と言う変わった職業に惹きつけられて。
そのうち忙しい仕事の支えが恋人とか、すっぽかされたデートの話とか、かつての自分にも重なるような話が出てきて、ほろ苦い気分になった。

続きが読みたいです、と小さなメッセージを送ったけれど、私が惹きつけられたのは恋人たちの行く末ではなく切り取られた断片で。

だからこの話の続きを読むより、いつかこの人の撮った映画が見たいな、と思った。
映画館のスクリーンで、リビングのテレビで。

この人の感じた切なさや苦しさ、恋した人の横顔が、映画に解かされているといいな。そんなふうに思う。

たぶん私は気がつかないけれど、それでもいつか。

ブログ — 恋愛と映画

 

誰かの心が揺れ動いた話を読むと、私の心も揺り動かされる。
私には、書いた人の目に映る本当の情景はわからない。

でも遠い昔、忙しい日々の中で、好きな人とのデートを支えに頑張っていたあの頃を思い出した。すれ違ったり、ケンカしたことも。

涙の匂い、振り払った手の温度。
それはすべて、今隣にいる人との物語なのに、まだ悲しみの欠片は残っている。
物語はめでたしめでたしで終わるけれど、私たちの現実はずっと断片のままなのかもしれない。

そうやって、自分と重ねあわせることのできる物語が私は好きだ。
泣いた日笑った日、あの日のもどかしさがよみがえってくる。

辛い経験もいつかはあなたの糧になる、なんてどっかのメーカーみたいな事は言わない。辛い目にも、悲しい目にも、できるならば会いたくない。
それでも、思いがけない場所で人はつまずいてしまうものだから。

 

だからこそ、覚えておきたいと思うのだ。
夜の匂いを、世界の底の色を。