先日首都圏の電車あるあるTwitterまとめ、みたいな記事を読んでいた。
面白い、とみんな盛り上がっているのだがその『あるある』が地方在住の私には全然共有できねぇ。
そこはかとなく感じる疎外感。
この感覚は時折味あわされる。
首都圏の大雪で埋め尽くされた朝のニュース。
都心の町のあるあるで盛り上がる飲み会(五反田風俗情報とか。東京住んでても知らねーよ!)。
いまどき東京のことなんかTVで見慣れているでしょう、と言われるかも知れないが酒場放浪記を深く愛する私が知っているのは下町のひなびた居酒屋だけだ。
巨大な空白地帯が私の東京マップには存在する。
けれども、いまや日本の人口の半分が、東京・名古屋・関西の3大都市圏で暮らしているらしい。
もはや東京は日本の一般常識であり、スタンダードなのだ。
キジの鳴き声で起こされるような田舎者は、己が少数派であることをわきまえて、大人しくほぞを噛んでいるしかない。
でもまぁ。私はこうも思う。
独身・既婚、子持ち・子ナシ、若者・年寄り、無職・勤め人、異性愛者・同性愛者、そして都会・地方。世の中には様々なクラスタがあって、誰にでも一つくらい、ちっとも分からない、疎外感を覚える話題があるのではないか、と。
きっと誰もが、ナニカからは弾かれている。
この世のすべての話題についていける、世界の全てを分かる語れると豪語する人なんて、とんでもない勘違い野郎か血肉を持ち合わせない電脳世界の神様に違いないのだ。
そして私の住む田舎もまた、とんでもなく普通の範囲が狭い、マイノリティに冷たい場所だ。 私がキジの鳴く田舎町でぬくぬくと暮らせているのは、誰かが弾かれたおかげなのかもしれない、と思うと背筋が少しひんやりしてくる。
首都圏で暮らせば、多くの人が抱く『東京』という価値観を共有することが出来る。
そう考えたら東京に住む、ということは寂しさを埋める行為なのかも知れない。東京なら、同じクラスタも見つけやすいしね。
現実問題、働く場所が首都圏に集約しすぎてるのでここで暮らすしかない、という人も多いとは思うのですが。
そんなことを暖かな冬の昼下がり、職場駐車場で戦う猫とキジのバトルをほっこりと眺めながら考えていたのです。
地味に強い、そしてデカいぞキジ…。