5月21日の朝、登山家の栗城史多さんがエベレストで命を落とした。
今はただ、ご冥福をお祈りいたします。
エベレストは一人で登れる山ではない。
無謀な冒険はガイドやシェルパ、同じチームの仲間など沢山の命を危険に晒す羽目になる。彼自身の技能が足りていなかったという専門家の意見も、きっとその通りなのだろう。
私の身内も山岳救助の仕事をしているから、そんな無茶を腹立たしく思う気持ちは分かる。身内から天候不良でヘリが飛ばないから、骨折した100kg超えの巨漢を5人で代わるがわる担いで下山してきた、なんて話を聞くたびにそんな体で登るなよ!と思わず突っ込んでしまう。
けれども担いだ彼はけっして相手を怒らないし、責めない。
時折は腰が痛いと愚痴ったり、助けられなかった人を思って落ち込むけれど、次の日までは引きずらない。日々淡々と、自分のやるべきことをこなしていく。
聞けば仕事を始めたばかりの頃、上司に言われたのだそうだ。
誰かの命を助けても、俺が救ったとは思うなよ、と。
人の命を救うのは、その人自身の判断だ。
早めに救助要請を出したこと、家族や山小屋に登山計画を提出していたこと、食料や防寒着の備え。そうした細々が、生と死の分かれ目になる。
結局自分の命を救えるのは、自分しかいない。
だからもし誰かの命を助けられなくても、けっして俺のせいだとは思うなよ、と。
この世の全てを救ってくれるようなヒーローは存在しない。
東北大震災の時は警察も消防も行政も、まともに機能していなかった。
最近では行政も最初の一週間は自力で生き延びて、と広報している。
私たちは自分の命に自分で責任を持たなくてはならないのだ。
かつて山で指を9本失った栗城さん自身も、そのことは実感していたはずだと思う。
無謀な冒険に命を落とす若者を増やさないためにも、彼を英雄視してはいけない、という意見もとても良く分かる。
それでもあの植村直己でさえ、二度の失敗を経験し、最後には帰らぬ人となった。
本当に山に登る資格を持つ人なんて、果たしてこの世にいるのだろうか。
はじめて南極点に到達したアムンセンの探検レースだって、現代の視点で読めば無茶と無謀の集合体だ。結局アムンセンは名を残し、スコットは命を落とした。
皆が言う通り、栗城さんは『ちゃんとした登山家』では無かったのかも知れない。
それでも確かに、彼は冒険家だったと思う。
アムンセンになれなかった男に、どうかご冥福を。
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