おのにち

おのにちはいつかみたにっち

会議は踊るそして沈む

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職場の会議も、PTAの総会も。
なんだか最近無駄に長引くことが多くてちょっと疲れている。

 例えばちょっと前の職場の会議。

新しい制度が導入されるので、具体的な運用方法を説明するよ、分からないことがあったらドシドシ質問してね!みたいな内容だった。

導入は来月からで、本当は講習会を設けたいけれどあまり時間がない。
なのでマニュアルで分からないことはなるべく解決しておきましょう…というのがメインの議題であった。

 ところがそういう忙しい時に限って現れるのである、会議クラッシャーが。

 

なぜ新しい制度を導入しなくてはいけないのか?その制度は旧来のものと比べて欠点が多くてなんとかかんとか。そこを改善しない限り承服できないなんちゃらかんちゃら。

 

えーと、だからその議論数年前に終わってますよね?
事前説明会いっぱいあったじゃん。上の方からそういう提案があって、説明があって意見交換会が終わって、導入準備もとっくに済んで来月から運用なんですってば。
あなたの意見は分からなくもないけど、そういう反論はみんな既に事前の意見書やら討論会で発表済みですよ。その上で新しい制度を導入します、と発表されたのは去年の話っすよ?

もうポスターも掲示されてるのに、それはないわ…とげんなりした。

 

PTAの総会でも、過ぎた話をもち返す人がいて、やっぱりげんなりさせられる。

もう終わった会合の報告について、なぜ去年と人数・予算が違うのか?事前報告が無かった、しっかりきっちり納得いくように説明せよとか言い出す人のもんにょり感ったら!

 

だから最初に、今年は○○周年につき盛大に行われましたと言いましたよね?書いてありますよね? 更に言えば前年度の総会で、次年度は○○周年なので盛大にやります人数予算等仮案通りでよろしいでしょうか、と全会一致で可決頂いてますけど???

ある程度人数のいる組織の中で、事前アナウンスのない急な改変は滅多に無い(ワンマン企業除く)。もしあったとしたらみんながザワザワするし、説明を求めるであろう。

勿論前回の総会や職場の説明会に『出ていなかった・聞いていなかった』なら理解はできる。

でもPTAの問題も、職場の話も、なぜ『もしかしたらみんなは知っている?知らないのは自分だけかも?』という思考に至らないのだ?

そしてなぜ自分の見落としは棚上げして『私が/俺が』納得できるように時間を割いて説明せよ、なんてお客様然とした顔が出来るのか。

 

窓口にいると怒りっぽい人、思ったことは全て口に出さずにいられない人、説明への理解に時間がかかる人など、様々な人に遭遇する。だからすべての人が一律に理解できる説明、なんてのは幻想であることは理解している。

それでも本当のお客様ならともかく、同じ組織の一員にそういう態度を取られるとちょっともやっとしてしまう。せめて私たちは対等である、あなたにも自発的に理解しようと努める姿勢は必要である、ということだけは分かってもらいたいなぁ。
あなたに理解させることは私たちに課せられた義務ではない。あなた自身の課題ですよね?

 

でも上司も教頭先生も、会議なんてそんなもんです、と言う。
思わぬ無駄はつきものだから、それを計算して長めに見積もっておくしかないと。

そう言われてみると、今は自分が発表しなくちゃいけない側になったからキリキリしてしまうだけのことなのかも。

若かりし頃、半分寝ていた会議の大半はそうした『なぜ今その話を持ち返す?』的議題で埋め尽くされてた気もします。そういう無駄も、意見0よりはもしかしたらマシで、会議の花とみなさなくちゃいけないのかなぁ。 それでもあと10年はもんにょりカリカリしてしまいそうな私です。結構気が短いし、血の気も多すぎるんだよな。とっとと泰然自若になりたい。運動瞑想野菜だけじゃムリ...献血してくっか…

 

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