おのにち

おのにちはいつかみたにっち

美魔女とシッティング・ション

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昭和50年代前半、私がまだ小学校に入学する前の話。

母の実家近くで、忘れられない光景を見た。
美しい山並み、緑の田んぼ。

あぜ道で尻を出し、堂々と放尿するもんぺ姿のおばあちゃん...。

 

車窓からその光景を見た私は尻!尿!いいの!!!と大困惑だったのだが、同乗していた大人たちはあらあら(苦笑)という軽い扱いだった。

その反応から私は、おばあちゃんになれば道端でおしっこをしても許されるのだ、と激しいカルチャーショックを受けた。

 

当時私が住んでいたのは東京の郊外。
男性の立ちション姿はごく稀に見かけたものの、みんな嫌ねぇ…と眉根を潜めていたのでマナー違反なのは分かっていた。

それでも時折小さな弟だけが間に合わないから、と茂みで済ませることを許され、私は汚い公園のトイレに大行列を余儀なくされることに不公平を感じていたのは確かだ。

そしてその不公平感が、田舎のあぜ道で希望と共に解消された訳である。
おばあちゃんになったら!道端でおしっこしてもいいんだ!

 

あれから40年(きみまろライクに)。

私は最近ようやく気付いた。
あれは昭和の田舎限定の光景だった、ということに。

 

会津の外れでも、座りションをするおばあちゃんはさすがに絶滅。
そもそもウォシュレット付き洋式トイレに甘やかされた私たちはシッティング・ションという過酷な体勢にもはや耐えられない。

いつか頻尿に悩む未来が来ても、紙おむつで済ませるだろう。
私があの日あぜ道で見たのは、きっと最後のヤツメウナギだったのだ。

 

世の中はどんどん清潔に、そして美に厳しくなっている。

ダイエットに励んでいた20代の頃、早く4~50代になって体型を気にせず好きに食べたい、なんて願っていた。実際には40代の今もダイエットに悩まされている、なんて言ったらあの頃の私は絶望するだろうか?

職場の先輩たちも日々運動や食事に気をつけ、引き締まった体を保っている。
20代と50代が同じようにヨガに励み、美容にいいサプリをシェアする時代が来たのである。

先日友達と美容トークをしている時も、話題がなんだかおかしくて笑ってしまった。
美白にメイク、出産と命の母が同じテーブルに上がっている。

リアルでも、小さな子どものいる40代の友達と、生理がたまに遅れるので命の母を飲み始めようかと迷う私が一緒に相談し合っている。

産む時期と閉じる時期が交差する、それが現代なんだろう。

 

私が結婚したばかりの頃(当時25歳)、マニキュアを塗っていることを父に咎められたことがある。 結婚したのだから華美な装飾はいらない、というのである。

どうにも理解しがたかった。
マニキュアが男性受けが悪いのは知っている(特に父は嫌いだったのだろう、爪を塗ったり派手な化粧をすることがふしだらだと思う人は未だに多い)。
私が好きで、私が綺麗だと思うから塗っているのだ。
共働きで家事もきちんとやっている。空き時間で美容を楽しむことの何が悪い、と無視していた。

 

結婚したから、子どもがいるから、もう年だから落ち着け、みたいな意識がかつて私たちの根底にあった。

でも社会が自由になって情報も溢れていく中で、今度は既婚でもママでもアラフォーでも綺麗でいるのが当たり前、という時代の流れがやってきた。

それは良い事なんだと思う。
既婚だから、子持ちだから地味にしていろ、はブルカを被れと同じ意味だ。

それでも物には限度があって、メイクもファッションも楽しいけれど老化を否認しつづけるのは結構キツイ。

 

座りションを夢見たはずが、美魔女が当たり前、もはや魔女とは呼ばれない時代に私は辿りついてしまった。

私の中庸はどこにあるんだろう?ほどほどぐらいがいいのにな。
消費の波に揉まれながら、そんなことを考えています。

  

Forever Girl

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