おのにち

おのにちはいつかみたにっち

Twitter警察が来るよお父さん

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先日Twitter上で、『ハーフっぽい』という言葉を使ってしまった。

その言葉を書く前にほんの少しの躊躇があった。
『ハーフ』という呼称は差別的だ、なんて主張が頭をよぎったからだ。

しかしとっさに違う言葉が思い浮かばず、リプライ先も同世代の気心知れた相手だったことから悪意が無いことは分かって貰えるだろう、と甘えてしまった。

 

けれどもその前後に着物広告の炎上があり、ハーフとはやっぱりデリカシーの無い言葉なのかも知れない、と少しゾワゾワした。

そもそもあの広告はハーフという言葉選びよりイエローキャブ的思考が問題なのだろうし、その上数年前の作品らしいから『ハーフっぽい』より色々話が複雑なのだけれど。

 

しかしTwitterはあくまでも公の場。

@つきの会話とは言え、いつ誰に拾われて炎上しないとは限らない。 

インターネットが普及して、色んなものが可視化されて、私達の感覚も日々変わり続けている。数年前ならギリ見逃されていた言葉や行為も、今は許されない事が増えた。

 

昔、足の小指をぶつけたとTwitterに書き込んだ時に『足の小指をぶつけた人』というアカウントからリツイートされた事がある。 

あれはきっと『足の小指をぶつけた』という言葉を無作為に拾い集めているbotなのだと思う。

 

その時は笑えたけれど、後からよく考えてゾワゾワした。

『足の小指をぶつけた』botはあくまでもジョークとして存在するから笑えたけれど、例えば『ハーフっぽい』みたいな言葉を拾い集めて差別ですよ、と指摘するbotが存在するとしたら?

 

本当に、そうした正義の言葉狩り警察が生まれてもおかしくは無い世の中なのだ。

 

 

最近、自分を教育する年上彼氏の惚気を投稿したら『それってモラハラでは?』と言われまくる女性を見かけた。

 正直私の目にもモラハラ的な行為に思えたし、自分が言われたら不快だな、とは思った。

 

でも、その女性にとってその行為が嬉しいのなら、それはそれで良いのではないか?

人との付き合い方は様々だし、あくまでも当人達の問題だ。
一昔前には『マイフェアレディ』的な漫画だって腐るほど出回っていた。

 

そのカップルの考え方は、現代の意識からすると少し古いように思えてしまう。
しかし双方が等しく、その感覚を共有しているのならば何の問題も無い。

なんとなく、精神的にはイラッとするかも知れないけれど、それはあくまで私の知らない他者の、画面の向こうの問題なのだ。

 

そしてこういう時代が答えを変えてしまう問題、ツイッター上では山ほどあると思う。

正しい箸の持ち方、デートで奢るか否か、子どもにはお母さんと呼ばせる?それともママ?
どれもあくまでも、個人の問題。

当事者同士が直接相談して、オッケーならそれで良いのにツイッターに書き込んだ途端、大勢の人間から社会の空気でジャッジされてしまう。

 

それを防ぐためには今の時代を察しながら発言するしかないのでは…と思ったけど、それって要は『空気読め』ってこと?

 

結局現実でもネットでも、世相からズレた人が嫌われる世の中なのですね。 

 

でもそれはなんだかちょっと、息苦しい世界かも…なんて思ってしまいました。
みんなそれぞれ、自分の感じる『正しさ』を表明してるだけなのにね。

 

結局私はハーフをなんと表記すれば良かったのでしょうか?
ダブル?ミックス?

 

なんかもう面倒くさくなってきて、純血種絶滅しろとか思ってしまいました…w
それが一番炎上するわバカーー!

 

 

とにかくもっと多様化しようよ、私達。

下手に他者が口出し出来ないくらい、それぞれの生き方が分岐して詳細になったら絶対の正しさなんて死滅するんじゃ無いですか?

それでもそんな世の中でも、自称プロが出てきて口出しするのかなー。

 

私は私、あなたには従わないわとパイちゃんが(正確には化蛇が)啖呵を切ってから幾歳月。あの台詞大好きで、今でも時折頭をよぎるんですよね。 

 

遠い他者じゃなく『私がどうしたいのか』、それから本当に大切に思う人間を重んじろ、ってのはどれだけ時代が変わっても変わらない真実なんじゃないかと思います。

 

でも大多数が言うことには一理あるのかも?なんて迷いもあるからまだまだ彷徨うんですが…

 とにかく今日も惑いつつ、疲れつつ。
それではまた!

  

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