おのにち

おのにちはいつかみたにっち

バトンが無くても歩きたい

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44歳、兼業主婦です。

側からは悩みが無さそうに思われているけれど、先日育児&更年期&介護の心配が一度に訪れて来た事に気づき、思わず笑ってしまいました。

 

やっべぇ、私トリプル役満じゃん!

 

…まぁ笑ってしまう時点でお察しの通り、そこまで深刻には捉えていないのだけれど。

 

余りにも40半ばのテンプレ過ぎて、私の人生クロワッサンかよ(by 伊藤理佐)と少々苦笑い。

 

けれど、よくある人生には先人の知恵からの知恵も多いもので。 

 

職場の同僚や先輩達がかつて通って来た道なのでアドバイスが貰えるし愚痴も言いやすい。おかげ様で『私だけが不幸』だなんて孤独には陥らないで済んでいます。

 

 

人生の何が一番辛いか、ってのはその人に依るもので。

 

44年の人生の中で、私のメンタルが一番ヤバかったのはブラック企業で店長&不妊治療中だった30歳の頃だと思われ。

あの頃は仕事と病院の往復で、自由な時間なんてまるで無くて、半年を過ぎた頃には自分が産むオプション付き働く機械のように思えて涙が止まらなくなってしまった。

流石にこれはやばい、と仕事をやめたら即妊娠したのだけれど(結局ストレスが一番の弊害だったらしい)今度はオンオフの切り替えが激しすぎたようで家で子どもとのんびり過ごせる日々に罪悪感を感じるように。

 

24時帰宅が当たり前になった人間が急に子どもに合わせた規則正しい生活を送るようになると…日中家に居るだけで世間様に申し訳が立たない的感情になるんですよ!ちゃんと子どものお世話してるのに!怖っ、社畜怖っ!

 

その後も育児サークルに参加したらそこのメンバーが誰一人としてパソコンが出来ず無料で文書作成担当の人になってしまい、これなら仕事に出て金稼いだ方が楽だなと自覚してまた会社員に戻ったり…

 

色々ありましたが、結局私にとって一番寄る辺なかったのは子育てしかしていない時で。

 

忙しすぎても病むし、暇すぎても病むんだけど、私にとってキツイのは暇&自分が社会に参加していないんじゃないか、と思える時なんですね。

どんなに安月給でも、ブラックでも『あなたが居てくれないと会社が回らない』的な依存はやっぱら心地イイんです。限りなく搾取されてるのは分かってるけど。

 

だからこんな社畜根性の私にとって、母&会社員&長女としての役割が期待されてる今は忙しいんだけどやり甲斐を感じちゃったりする訳で…

 

ものすごーくバカな思考なのは分かってるんですけどね。

 例え便利に使われるだけだとしても、自分が居ないと死ぬ人が居るのかも知れないってのはそこそこな快感ですわ。

 いや実際には私が居なくても代わりはいるし世の中は回っていくんですけどそれでもさぁ。

 

 

で、問題だなって思うのはそれらの役割を全て終えた後の話で。

 

もう少し年が経って、会社員でも母でも娘でも無くなった頃、年老いて体力を無くし、頭も思うように回らなくなった頃にモチベーションをどうやって上げていったらイイのかな、って言う…

 

 

思えば私は小学生の頃からずっと、『誰かの役に立つ私』を演じながら生きて来たんですね。

 

そうやって頑張ってきた私は今の所それなりに必要とされてるんですけど、でもそれって口が回ったり気が利いたり、人の役に立つから重宝されてるってだけで。

 

いつかは誰しも年老いて、みんなのお荷物にしかならない立場になる訳じゃないですか。

 

母とか会社員とか娘とか、そういう役柄というバトンを失った後もずっと人生は続く訳で。そうやって『役目』を失った後も、人生のバトンを返却した後も楽しく歩いて行けたらいいな、ってのが今後の目標なんですが…

 

 

いつか何も出来なくなっても、それでも。
私は私だと自分を慈しんで、楽しく生きて行けたらいいなぁと思います。

 

だからちょっとずつ。『役に立つ私』から脱却していく為にも。

せめて趣味の付き合いくらい、もうちょっとワガママに振る舞いたいんですけど。
だからこそ時折斧を振り回してる訳なんですけど…

 

まだまだ、無駄に空気を読んじゃうおバカなクララなんだなぁ。
いつかハイジの頬を張り返せるくらい(?)我儘なご令嬢になれますように。

私の人生、日々勉強なのです。

 

 

【2019年本屋大賞 大賞】そして、バトンは渡された

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