PTAの絡みで、発達障害と通級指導教室に関するセミナーを受講してきた。
発達障害については、話を聞けば聞くほど『そういう症状は私にもあるよなぁ…』と思わされて悩ましい。
いまや子どもの10人に1人が発達障害であると言われている。
私のように検査には引っかからないけれど、似たような症状を自覚している人も多いはずだ。
結局完璧な人間なんて数えるほどしかいないのではないだろうか?
みんな多かれ少なかれ、個性という名の特性を持って生まれて来る。
その特性が強すぎたり、逆に極端に苦手な事があったりすると、将来的に『生きづらさ』に繋がる恐れがある。
なので早いうちに自分の特性を理解して上手く付き合っていく術を学ぼう、というのが今学校で行われている通級指導教室の内容なのかな、とざっくり理解した。
セミナーの後は実際に学級で行われている様々なテストを実際に体験したのだが、A4用紙にランダムに散りばめられた数字を100~1の順に探していくヤツとか正直目がシバシバでした…。
後はケンカをした時など、自分の状況を冷静に振り返るために『いつどこで・誰と・何があったか・他の人はどう言っていたか』をまとめるシートなんかも面白かった。
アンガーマネジメントというか、『自分ばかりが損をしている・一方的な被害者である』と思い込んでしまったり、悪い事ばかりが記憶に残る子どももいるので、物事を客観的に、第三者の意見も取り入れる姿勢を身に付けさせたいという話だった。
でもさぁ。
実は私は、一瞬だけこう思ってしまった。
怒りを抑えられない人も、被害者思考の人も結構いるよね。
それなのにわざわざ学習して矯正しなければいけないものなの…?
それから即、思い直した。
スーパーで店員を叱り飛ばす人も、自分だけが可哀想だと悲観的な話ばかりする人も、正直あまり近寄りたくない・仲良くしたくない人たちだ。
他人から嫌われる。厭われる。
それこそが生きづらさそのものだ。
だから『でも、そういう人もいるよね』は何の答えにもならない。
子ども自身が、将来どういう大人になりたいかを考えて自分をコントロール出来るようにならなくてはいけない、それを学ぶために通級指導があるのだ。
とはいえ。
通級指導の限界についても考えてしまった。
学級で教えてくれるのは、社会に馴染みやすい『感じの良い人間』になるための方策だ。
結局この世は素直で明るく前向きな人間の方が生きやすい、みんなから受け入れられる。
もちろん子ども自身がみんなと仲良くしたい、普通になりたいと願うならば通級はとても役立つ場所だ。
でも、もしも。
本当にもしも、家庭環境や社会事情のせいなんかじゃなく、自分自身が歪んだままの価値観で、怒りを抑えずに生きたいと願っている、そうしなければとても苦しくて生きていけそうにない…なんて人が、いるのだとしたら?
社会の迷惑になる人間は、生きる事すら許されないの?
そんな風に『自分を変えることが一番苦しい』子どもがいるのだとしたら、生きやすくなるための通級指導ですら苦痛になるのかも、なんて思いました。
勿論これはものすごーくひねくれた考え方で。
通級指導の内容自体はとても役に立つと思います!
発達障害というのは強弱こそあれ、誰しも思い当たる症状だと思われるので、忘れ物を減らすために物は決まった場所に置くとか時間や約束を忘れないためのアラームなんかは大人でも役に立つかと。
なかでもコミュニケーションに関するセッションは、全ての子どもが小中高と発育の段階に合わせて一度は教わってもいいのでは?
セミナーを聞いて感じたのは、通級指導教育というのはその子専用の取扱説明書を作ってくれる場なのかなぁ、と言うこと。
先生の素質や生徒との相性、県の予算や対象の人数にかなり左右される不完全なトリセツかも知れないけど、そこに自分や親が補足を入れて行って、いつか完全なトリセツが出来るのかな、と。
とはいえ、このトリセツかなりちょこちょこ改定や補足が入りそうですよね…。
私自身も40代になり更年期を迎える自分自身の新たなトリセツ作りに四苦八苦する日々です。
自分の身一つ思い通りにならないのに子のマニュアル作成なんてなにをいわんや。
ホントどっかに、私の完璧なトリセツ、売ってませんかねぇ?