勉強は嫌い、めんどくさい?
そうだね、とても良く分かるよ。
お母さんも大人になるまでは勉強が嫌いだった。
勉強の楽しさや大切さを知ったのは社会人になってからかな?
学生のうちに気がついておけば良かった。
勉強は役に立たない?テストの時にしか使わない?
お母さんも子どもの時はそう思ってた。
大人になってみると、今まで学校で学んできたこと全てがこれから生きる社会の取説・ダイジェクト版だった、って事が分かる。
君の好きなゲームに例えると、チュートリアルってとこかな?
チュートリアルなしでもゲームは出来るけど、最初の難易度がむちゃくちゃ上がっちゃうよね?
社会というゲーム本編に進む前に、学校というミニチュア社会で勉強や友達との付き合い方、生活の基本を学んでおくとレベルが上がって、最初からチートに楽しめちゃうんじゃないのかな?
君は好きだよね、チートって言葉。
それに何より、勉強は楽しい。
やっぱりゲームに例えると分かりやすいかな?
例えば画面の向こうにある木や山なんかの、様々なオブジェクト。
それらに実際に触れたり、よじ登れるゲームの方がよりリアルに感じられて面白いよね?
勉強っていうのは、そんな風に『ただのモノ』に名前をつけて遊べるようにする、一つの手段だと思うんだ。
ただの石ころだらけに見える近くの川原。
でも小学校の理科で学んだ岩石の知識を生かせば、ただの石ころの多くはマグマが冷えて固まった火成岩だ、という事が分かる。更に近くの活火山の歴史を知っていれば、火成岩が多いのは噴火の影響かな?なんてことまで分かるよね。
植物や鉱物の名前を知る、建物の工法を知る、石碑に刻まれた銘文の読み方を知る、絵画の歴史を学ぶ。
勉強で学んだ様々なことを「ただの草」「古い家」「知らない絵」に振りかけたら名前が変わる、情報が増える。
それってゲームのバージョンアップみたいじゃない?
学ぶことで遊べる要素がどんどん増えていく。
言葉を知ることで、世界が拡がっていく、ワクワクする感覚。
エウレカ!って喜びに、これからの君がたくさん出会えたらいいな。
今のお母さんは、そんな風に願ってるよ。
~作者の気持ちを300字以内で答えろのコーナー~
明日は久々の登校日。
終わったはずの宿題を確認してみたら本人の工作により巧妙に中抜きされていたことに今頃気がつき、怒りに打ち震える心を宥めるためにポエムってみました。
本人は今、目の前で宿題に励んでいますが今日中には終わらない気がします…
巧妙すぎる中抜き工作(ホチキス綴じの真ん中から数枚綺麗に抜いてあった)も勉強のうちだと認めるべきなのでしょうか…?