おのにち

おのにちはいつかみたにっち

渋谷さくらとワニから学ぶ、分かり合えない私たちの話  

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ちょっと前に、駅名が明朝体で大不評を買った高輪ゲートウェイ駅のAI、渋谷さくらちゃんに関するニュースがTwitter上で炎上してまして。

 

toyokeizai.net

 

このキャラには「渋谷さくら」という名前が付けられており、年齢、住所、職業なども質問すると答えてくれる。

 

この記事に対して私は、AIに年齢や住所を聞かれた時のリアクションを設定する、そしてそれらを記事のウリにしてしまう等々、作っている側の意識が古すぎるのではないか、と思ったのですね。

 

ところが、Twitter上の議論を見るとどうも話が噛み合っていない。

AIの人権とか、質問されているのはAIであって人間ではない、みたいな話になっている。

 

これは変だ、古い、と言っている側はおおむねAIの制作者や取材側の意識を責め、問題ないと言っている側は出来上がった製品の話をしている。

これは噛み合わないよなぁ、主題ずらしなのかなぁと思っていたのですが。

 

つい最近、私自身にも噛み合わない話題がTwitter上に登場し、ようやく理解出来ました。

もしかしたら主題ずらしとか茶化しじゃなくて、根本から価値観が違うのかも知れない、と。

 

 

私自身が噛み合わなかった話題は、『百日後に死ぬワニ』の炎上なんですけど。


 

news.yahoo.co.jp

 

書籍化決定、映画化決定、グッズ販売。

確かに早すぎるとは思ったけれど、嫌だと思うなら買わなければ良い話で、作者の元に直接苦情を言う人の気持ちが分からない、と思っていました。

死を悼めとか物語が台無しだとか、そこまで騒ぐ話なのか、と。

 

でも、これも価値観の相違から来た『分かり合えない炎上』なのかも知れないと思ったら少し理解出来ました。

 多分電通も作者も私も、物語の中の死を悼む気持ちとか商業化に対する嫌悪とか、そういうセンシティブな感覚が理解出来てなかった。

だから嫌なら買わなきゃ良いじゃん、描いている人にも生活があるじゃん、みたいな感想になってしまう。

 苛立っている側からしてみればそういう事じゃなくて!と主題ずらしに感じるのでしょう。

 皆それぞれ、これが普通だと思っている『当たり前』の感覚があって、でもその『当たり前』って実はとても難しくて齟齬があって、だからこうやって揉めてしまうんでしょうね…

結論、普通が一番難しい。

 

最近のTwitterはこんな風に、自分の持つ価値観を表明する場になって来ましたね。
そしてそれぞれの派閥がぶつかり合う、みたいな。

インターネットが無かった頃は会社とか学校とか、身近な場所での価値観が全てだったから簡単だったのに。

とにかく、この世の『空気を読む』ことはどんどん難しくなってゆく。

そんなことに留意しながら発言に気をつけたいので…すが…正直めんどくせぇーー!