窓口関係の仕事を10年程続けている。
これだけ人と接していると分かってくることもある。
例えば人は相手の感情や声色に引きずられやすい、とか。
つまり感情は伝播するのだ。
これを意識して、怒っている人にはなるべく冷静に接するようにしている。
電話の場合は、確認事項を整理したのち相手を5分ほど待たせたりもする。
待たされた!と余計怒りが湧きそうな気もするが、待っている間に本人も事実を整理できるのか、単に怒りが持続しないのか、別人のように穏やかになっているケースが多いので積極的に放置している。
ただ時折、そうやって冷静に対応する自分にうんざりすることもある。
なんつーか、すっかり『中の人』になってしまったな、と。
『中の人』の受け答えってヤツが、どんな職種でも存在すると思う。
例えばチェーンの居酒屋店員ならではの明るさ、あるいは光通信の乗り換えをお勧めするNTTの『方』から来た業者の慇懃無礼さ。
職種ごとに最適な振舞い方は存在していて、それに基づいて動いた方が感情的に消耗しないし楽だとは思うのだ。
客からのクレームは、会社に向けられたモノで私個人への苦情ではない。
そこを切り分けるためにも自分らしさは出さない方が良い。
『らしい』受け答えというのは職種に合わせて環境に適応した、いわば進化だと思う。
だから確実に生きやすくなっている、昔より前に進んでいる。
それなのになぜか、後ろめたさに襲われる時もあったりして。
例えば新入社員の素直さ、誠実さ、一生懸命な様子にキュッと胸を締め付けられるような気持ちになる。
ああ、小細工ばっかり器用になって、誠実さからはずいぶん遠いところに来ちゃったんだなぁ、と。
勿論、新人の時よりはるかにクレーム対応も通常の処理も早くなった、上手くなった。
新しさだけに価値があるとは思わない。古座布団には古座布団なりの良いところがたくさんあるはずだ。
それでも時折、汚れっちまった悲しみに、みたいな気持ちに陥ってしまうのは中原中也の時代から、よくある話なんでしょうかね…?
最近の表紙すげぇな…