コーネリアス小山田圭吾さんが絶賛炎上中である。
私はフリッパーズギター世代だが、コーネリアスの過去は今回初めて聞いたのでとても複雑な気持ちに。
好きだった音楽すら汚されたような、そんな気分になりますよね…。
雑誌に載っていた昔の話は確かに胸クソ悪いし、それらを面白いものとして消費しようとする当時の雑誌の姿勢もおかしい。
だいたいこれだけ悪評のある人をよりにもよってパラリンピックに起用した組織委員会が余りにもクソ。そんで炎上したら本人に辞退させて、懲戒の責任すら負う気もないって何考えてるんだろうホントに?
あとは出身校の和光学園もおかしい。
同じ学校にいた方の記事もあったけれど、いじめ (というより書いた内容が本当なら暴行事件)を放置して自主性を重んじる、はないよね。
当時法的に裁かれていたならばこんなに炎上することもなかったのにと思ってしまう。
障がい者と健常者の混合学級は良いけれど支援員なし、授業についていけなくてもイジメが起きても放置、介助すら子どもにやらせるとか『蠅の王』かよと。
しかし小山田圭吾、学生時代は障がいのある同級生に暴行を加えていて、大人になってからも公の場で相手を嘲笑。結婚して子どもを持った今も反省の色はなく、よりにもよってパラリンピックの仕事を引き受けてしまうとか…。
でもこうやって表層だけをまとめると悪魔そのものだけれど、ネットでさんざん叩かれて、デジタルタトゥーも残っているから定期的に自分の悪行をつきつけられて。
これで反省しない人間いる?って思ってしまうんですよね、傍観者としては。
ただその一方で、実際に暴行を受けた被害者の方は、一生彼のことを人ならざる悪魔の『蠅の王』だと信じる権利があると思います。
直接の謝罪と賠償を、なんてコメントがスターを集めていたけれど、昔いじめにあったことのある私からしたら直接の謝罪なんて信じられない。
犯人とまた会うなんてトラウマ復活間違いなしだし、謝罪を受けたり相手の事情を知ってしまうと、良心の呵責が発生してしまうのでは?
もちろん許す必要はないのだけれど、自分の心が狭いのでは?なんて己を責めたくなりますよね、被害者側としても。
そうやって、自分の痛みと折り合いをつけながら人を許す過程は憎むより辛い。
だから直接傷つけられた人にとっては、相手を純粋な悪だと信じて怒りをぶつける権利があるのではないか、なんて私は思います。
ただ…私たち傍観者にとっては…
勿論、嫌悪を言うのは自由だし、作品の不買も、パラにはふさわしくないと訴えるのも正しいことだと思うんです。
けど増田のトラバにあったような、切腹しろ!的発言は絶対に違うよね。
テラスハウスでの炎上で、木村花さんが命を落としたような事件はもう起きてほしくない。
過去に遭遇したイジメに対するトラウマが蘇ってきたんだとしても、あなたを虐めたのは小山田ではないのだからそこのところは切り分けないと…
と。綺麗事で締めようと思ってたんですが。
今度は病院での暴言話も出てきて、のぶみまで出ては消えて.…
なんなの?今回のオリンピック、ホントになんなの?
既に黒ヒゲ危機百発よ!?
そんで小山田、擁護の言葉すら出てこなくなるくらい、酷すぎなんですけど!?
でも、こういう人たちと共存してゆくことこそがパラリンピックのテーマ、『多様性』だと思うので!(半泣き)
…結局、こういう人たちに本気で怒って、言葉が過ぎて逮捕されたり、賠償請求されたりするのは単純に損です。
自分の感情がエスカレートしすぎてるな、と思ったら本とか花とか、もっと素敵なものの事を考えましょうよ。
ちなみに私は連休中、本物のマリトッツオが買える近場のお店を探したいと思ってます。
先日食べた隣のパン屋のマリトッツオは単なる「生クリームパン」だったことにようやく気がつき、屈辱に打ち震えたからです…
本場のマリトッツオはオレンジピールが入ってるって、知ってました奥様!?