おのにち

おのにちはいつかみたにっち

「おばさん」は祝福の言葉

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向かいの席の子が咳の風邪を引いたらしく苦しそうに咳を抑えていたので(今はクシャミすら後ろめたい時代よね)引き出しに入っていた個包装ののど飴をいくつかあげた。

ついでに、デスク周りの人たちにもどーぞどーぞ、と配って歩く。

 

その後、ふっと気がついた。

ああ、私もいつのまにやら立派な飴ちゃんおばさんになれたんだな…と。

 

最近読んだ岡田育さんの「我は、おばさん」という小気味良いエッセイ集のなかで、飴を配るおばさんの話が出てきた。

知らない人にもさっとお菓子を渡しその場を和ませてくれる。

少し図々しく、でも頼もしい、そんな存在。

 

そんな心強い『おばさん』に、若かりし頃職場でお世話になった40代~60代の女性たちを重ね合わせてしまう。

いつも明るく気配り上手。しっかりしていて、細かい所にもよく気がつき、コミュニケーションも上手い。

そんな頼もしい彼女たちに見守られ褒められ、私は育てて貰ったのだと思う。

あの頃はそんな彼女たちに憧れて、しかしあんな風にしっかり強くなれる気がしなくて、それでも今や。

昔は色々ぐじぐじ考えすぎたり、あるいは無関心で配れなかった飴を、気軽にホイホイ配れるようになった自分に気づく。

机の中には飴とガム、絆創膏に頭痛薬、香典袋にご祝儀袋、筆ペンだって完備している。

困った様子の若い人たちに、いつだって「あるよ!」と言える、そんなラインナップだ。

あの頃の彼女たちも、こんな風にいつだって備えはカンペキだった。

 

まだまだ強さも逞しさも、しっかり度だって足りないけれど、少しは近づけたのかな、なんてニンマリする。

若い頃忌まわしかった「おばさん」という響きは今や祝福の言葉だ。

もうちょい、あの頃の先輩たちみたいに、私も誰かの助けになれたら。更には彼女たちみたいに好きなドラマやフラダンスや、語れる趣味をたくさん増やして、自分の人生を充実させなくちゃ!

今振り返れば思わず憧れたくなる「おばさん」達は自分が一番幸せそうで、例えどんなに忙しくとも充実しまくっていた。

忙しい業務もパワフルにこなし、定時になればスーパーのタイムセールめがけ自転車を走らせる、あの颯爽とした後ろ姿!

一方では「もう年なんだからわきまえて」とたしなめられ、そんな言葉を真に受ければ今度は「女を捨ててる」と言われ。

そんな風に他者からの言葉に怯んだりくじけたり、うじうじするのはもうやめだ。
今年こそ逞しい「飴ちゃんおばさん」に俺はなる!!

 

とはいえ現在絶賛ダイエット中なんですよね…まだ解脱できてねぇのか?

いやいや、憧れのおば様たちだって美容や健康にはいつも熱心だったはず。

老いを上手く受け入れながら、自然な感じのベストな私(またの名を飴ちゃんおばさん)目指して頑張ります。

ほどよく、健やかにね!

 

 

最近読んだ本。

どちらも楽しくて勢いがあって、元気が出る作品です。

 

女が死ぬ (中公文庫)