おのにち

おのにちはいつかみたにっち

繁殖に代わるナニカ

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最近はずっと、天冥の標を読んでいる。
現在は第9部くらい。
終盤になると勢いが増してきて、とにかく面白い。永遠にこの物語の世界に浸っていたくなる。


しかしながら物語の中のテーマを現実と比較してみたくなる、それもまた人の心というもので。

天冥の標の中で重要視されているのは、繁殖、つまり子孫を増やすことだ。

フェロシアンという人類が改造を受けて甲虫のように強化された、人間とはかけ離れてしまった種族が出てくるのだけれど、彼らの望みは種族のごく一部にしか許されていない繁殖機能を全員に取り戻すことなのだ。

彼らを改造したのは蟻のような属性をもつ異星人である。
異星人は群れで意識を共有するので、繁殖は女王に任せるのが合理的で、働きアリに性欲は不要だという彼らの世界の常識に基づいて、人間もそのように作り替えてしまう。

で、それは『ない』よね、元に戻りたいよね…という感じで物語が進んでいくのだけれど。


本当にそれは「ない」のだろうか?


繁殖は穴の奥にいる女王に任せて、自分たちは妊娠や性欲の心配をすることなく強い体で働ける、しかも寿命は長いって結構恵まれた生き方で、そちらの道(繁殖機能を手放す)を選ぶ人もいるのでは、なんて考えてしまった。


ただしフェロシアンは怒りに取り込まれると狂暴化してしまう、という弱点もあるのだけれど。


生涯独身率が上昇傾向にあるこの世の中。


『21LESSONS』という本のなかで、労働人口はどんどん減少していくから、労働に代わる何かを見つけなくてはいけない、という話がありました。

同じように、これからの私たちは繁殖に代わる何かを見つけないといけないのではないか?なんて、天冥の標を読みながら考えています…。