おのにち

おのにちはいつかみたにっち

赤べこスタンプの使い勝手

 

唐突に地元愛に目覚めて、LINE用の郷土スタンプを購入したのだが絶妙に使い勝手が悪いのでぜひご紹介したい。

まずはよく使う「ありがとう」という返し。
訛っているが、これはまぁ仕様である。

 

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しかし、なぜか赤べこはいつも元気がない。 
目が死んでいる。

 

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つかっちゃ、は疲れた。である。

 

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体が『しんどい』の二段活用。

 

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最後には色が変わるほど具合が悪くなる始末。

 

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どうやら元気?と聞かれて元気だよー、と返したい人には向いていないらしい。

赤べこの他にも起き上がり小法師などファミリーがいるのだが、キャラ設定が…なんか…

 

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まぁ使い勝手はともかく、楽しく福島なう!できるスタンプ。

オススメしておきます。

 

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それではまた!

 

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www.line-tatsujin.com

 

朝をつらぬいて

週末は子どもの大会があり、早朝から車で送っていく機会が増えた。


だいたい朝の五時、今の季節だと昇る朝日と共に国道という名の山道を駆け降りていく。

昨日雨が降ったせいか、朝の空気も道も、清々しくて心地よい。

まだ始まったばかりの街並みを眺めていると若かりし日々、オール帰りの朝を思い出して懐かしくなる。

あの頃の朝は始まりではなく終わりの朝で、仕事に向かうらしき人の群れとすれ違いながら、少しばかりの罪悪感と二日酔いの吐き気を抱いていたものだった。

 
当時の私は、本当に未来の自分が規則正しく働くような大人になれるのかと、少しばかり疑っていた。

 
けれど今気がつけば、あの頃の私が思う『普通の大人の皮』を被って生きる私がいて、なんだかおかしくなる。

あの頃の私と今の私。

道は繋がっているはずなのに、時々遠い点と点のような気分になる。

 
どうやって今まで上手くやってこれたのだろう?
それとも何となく流されてきて今があるのか。

 
とりあえず焦燥に駆られる朝を抜けて、義務感に追われる朝にたどり着いた今のわたし。

 
早く誰のものでもない私だけの自由な朝を得たいものだ…なんて理想の老後に思いを馳せていたら、どうやら今朝は地域のクリーンアップデーらしく、お年寄りたちが草刈り機を抱えめちゃくちゃ勤勉に働いていて。

 
婦人会、老人会、地域ボランティアなんて脳裏によぎるワードと共に現実に帰りました。

 
私だけの時間、なんてもしかしたら非実在なのかも知れませんね…?

 

ちょうど車のオーディオから流れていたラップの歌詞まで『味噌つけてキュウリ食べたい』と歌っているように聞こえて、山道でタヌキに化かされたような気分になりましたとさw

 

※なおキュウリは実在した。

 

 

 

夏野菜には敵うまい

お友達からTLによく流れてくる、と教えられて冬野梅子さんのモーニング月例賞読み切りマンガ『普通の人でいいのに!』を読んだ。かなり話題になっていたので皆さんご存じかも知れないが、人によってはなかなかメンタルをやられそうな内容である。

 

 

comic-days.com

 

読後に、作者がTwitterで『誰も羨ましいと思わない人を描きたかった』と書いていた事にかなり救われた。

作為的な作品で良かった…!
あまりにもリアルすぎて『救われないわたしのためのものがたり』だったらどうしようかと思った。

単純に言ってしまえば渋谷直角さんの『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』の少女マンガバージョン、って感じである。
しかし渋谷直角の場合タイトルから的確に刺してきて、すごく酷い(笑)

 

 

山月記の時代から、尊大なる自尊心は私たちを責め苛め、苦しめてきた。

『普通の人でいいのに!』が刺さるのは、キラキラしたサードプレイス的な物に憧れて金銭を費やしたり、恋愛や結婚が人生をアップグレードできるメインコンテンツだ、と思い込んでた頃の自分がよぎるからだ。

 

…とはいえ、もうアラフォーも半ばを過ぎたせいか、この作品はそこまで刺さりませんでした、残念ながら早口でオタク語りもできませんでした(;^ω^)

 

snack.elve.club

 

なぜ今の私にはそんなに刺さらないんだ?と己を振り返ってみたのですが…

既に結婚しているとか子どもがいるとか、そういう人生楽勝余裕スタンス!な訳じゃないんですよ決して!色々拗らせてない女がはてなブログなんて書く訳ないんですから(偏見満載

 

 

…ここからは非常にくだらない私事になります。
皆さんに同意は求めていませんが少しでもご同情頂けると嬉しいです。

 

いま(というかこの時期は毎年)、我が家の冷蔵庫が夏野菜で満載なんですのよ…!
毎日毎日毎日!野菜室どころか、牛乳入れる所にキュウリが刺さってるレベルで満載!

 

旦那の父と、私の母と、親族一族郎党が(なんなら職場でも)キュウリはいらねかー、ナスはどうだー、ズッキーニはじめましたーと野菜をぎっしり詰め込んだスーパーのビニール袋をぶらさげて日々押しつけ歩いてるんです。

うちは畑を作ってないのでそうした夏野菜ゾンビどもの恰好のカモ!
じゃあちょっとだけ、なんて言ったが最後!
ちょっと、が毎週キロ単位で送られてくる羽目に!

 

…諦めて腐らせちゃえばいいんでしょうけどさぁ。
どれも艶々で美味しいんですのよ、愛情を感じるんですのよ。

そんな訳で夏は毎年夏野菜を食べ過ぎてお腹を下しています(笑)
野菜は一日350gが限界ィーーー!

結局今日もキュウリのからし漬け(10本)と、色々野菜の即席キムチ(500gくらい)を作りました。

 

何が言いたいか、というと。

冷蔵庫を夏野菜で埋め尽くされてしまうと人類は物事を考える余裕をなくすのだ、という知見でございました。

 

たぶん毎年この時期の私、夏野菜というエイリアンに侵食されてて夏に浮かれる暇もないんじゃないかと思われます…こわい、野菜こわいよう…もう畑作っちゃおうか…そして野菜配給ゾンビ側に回ろうかな…(本末転倒

 

漬け物大全 世界の発酵食品探訪記 (講談社学術文庫)
 

 

コロナと散歩道

さて日々はコロナコロナ、コロナである。

学校は休みになり、何故かトイレットペーパーは売り切れ、事態がいつ収束するのかも分からない。

これは大変な事態なんだろうなぁ、まだ実感はあまりないけれどブログに記録しておいた方が良いのだろうか…などと考えながらつらつらと散歩していたら。

 

ものすごーく久々に、今は中学生になった息子の、保育所の時の担任の先生とお会いした。

どうもー、なんて軽く礼をして、お互い運動中だから…とすぐに別れようとしたら呼び止められまして。

 

もう二年も前の話になるんだけどね、〇〇君の卒業式に行って、みんなが将来の夢をお医者さんとか野球選手とか具体的に言う中で〇〇君だけは『僕はまだ決まっていませんが、人の役に立つ人間になりたいです』って言ってたのよ。正直で、真っ直ぐな言葉でとても感動したの。今でも忘れられなくて、どうしてもお母さんに伝えたくて!散歩中、ごめんなさいね!

 

息子の保育所の先生は、本当に優しくて温かな人で、私が新しい服を買ったり美容院に行った事にもすぐ気がついてくれて『素敵!今日もお仕事頑張って!』と見送ってくれたり、子どもの事もたくさん褒めてくれた。

そして教え子達の小学校の卒業式に顔を出してくれるほど、愛情の深い方だったのだけれど…

 

今日の言葉には本当にジンと来た。
二年も前の卒業式の言葉を覚えていて、たまたますれ違った時に伝えてくれるなんて!

 

ありがとうございます、と心から頭を下げて笑顔で別れた。

 

最近の話題と言ったらコロナ、トイレットペーパー、学校閉鎖ばかりだったのだけれど。

 

先生の心の美しさに洗われたような気持ちになりました…。

 

私もそんな風に、人を思い遣る優しい言葉をたくさん伝えられる人間になりたいなぁと思ったのですが。

人の名前も記憶もどんどん混濁していく今日この頃で…最近はホント人の名前を思い出すだけでやっとこさっ…!

 良い先生と言うのは他人への思いやりや関心に溢れているものなんですね。

 

私もコロナまみれのタイムラインじゃなく、目の前の人をもっと大切にしよう、良い出来事を心に留めて置こうと思った次第です。

 

でもトイレットペーパーはやっぱり必要…残り5ロールなんですけど⁉
美しく生きたいけれど、目先の尻も深刻っ!

 

  

 

 

 

産後、妻が家に帰ってきて見たものとは?

こんな増田を読みまして。

 

anond.hatelabo.jp

 

 そしたら自分が初めて出産&里帰りをして、一か月後にようやく家に帰ってきた時の光景を思い出したので、増田の逆視点みたいな感じで書いてみます。

 

 

うちはね。金魚の水槽凍ってましたわ…。

 

産後、妻が初めて帰省して知ったこと

産後、家に帰って来たら金魚が凍ってた。汚れたり散らかってたりした訳じゃないけどなぜか生活が野営化していて、一人でも暖房使って良いんだぞ、暖かい物を食べて布団に寝て良いんだぞと悲しくなった記憶が。

2020/01/07 16:10


産後、家に帰って来たら金魚が凍ってた。汚れたり散らかってたりした訳じゃないけどなぜか生活が野営化していて、一人でも暖房使って良いんだぞ、暖かい物を食べて布団に寝て良いんだぞと悲しくなった記憶が。 - yutoma233のコメント / はてなブックマーク

 

あの当時は若かったので『やっぱり一人だと生活が荒んじゃうのねー。きっとよくあることなんだわ!』と納得してたんですが、今思い返すと荒む方向性がなんか変じゃね?かなり違くね?

どう考えても旦那の一人暮らしのやり方がおかしい気がしてきたのでちょっと書いてみます…。

 

不思議その1・家中の家具にシーツやバスタオルがかかっていた

 

使ってない物件とか、家具が傷まないように布が被されてますよね?
ウチもそうなってました。ダンナ曰く、掃除が面倒なのと使わないから、とのこと。

えっえっえっあなたのタンスなんですけど…

どうやら一か月、2枚の下着を使いまわしていたようです。
部屋着はスエット上下のみ。もちろん昼も夜も同じ。

仕事は制服で、職場に洗濯機もあるので全部そこで洗っていた模様。
家の洗濯機にもシーツが被されていました…
なお職場にシャワーがあるので家の風呂も使わなかった模様。
綺麗に洗われ乾ききっていました。

 

不思議その2・真冬なのに暖房なしで乗り切っていた

 

その当時、昔ながらの日本家屋を借家として借りていまして。

8畳くらいの和室が3間、襖で仕切られていて開け放つととっても広い!
掃き出し窓のある縁側と廊下に挟まれ、景観と解放感は最高なのですが冬はめちゃくちゃ寒い。

なので建設現場に置いてあるようなブル―ヒーターを一台、寝室と台所にもファンヒーターを置きなんとか家じゅうを温めていたのですが…

 

 

 一人で暖房を使うのは勿体ない、という理由で暖房器具たちにも布が被せられておりました。どうやら一度も使わなかった模様。

金魚の水槽が凍ったのはこのせいですね。
なお観葉植物たちも全滅でした…まさか留守番がいるのに凍り付くとは…。

 

不思議その3・家の中でテント生活

 

では、金魚も凍るような寒さの中で、夫はどうやって生き延びていたのでしょうか?

彼は広い和室にテントを張り、その中に小さなコタツや寝袋を持ち込んでテントの中で暮らしていました。コタツは電気を入れてそこで暖を取り、またテントの中は狭いので自分の熱気で充分暖かかった、とのこと。
台所が寒いので食事も全てテントの中で簡単に。

トイレ以外はほぼテントで過ごしていたそうです。
いや…トイレも実は大以外はテントでみたいな話も…ゴミ袋もテントの中。
おかげで家の中はほぼ綺麗に保たれていたのですが(凍結以外は)田舎の借家のウリは広さと安さで。70坪の平屋に住んでいるのにテント内で暮らすのか…と色々不思議な気持ちになりました。

 

まとめ

 

趣味は登山、サバイバル生活も大好きな夫。

昔、『多分オレ、結婚も仕事もしてなかったら洞窟で暮らしてるわ…』と言われてストロングゼロ決めてんじゃねーぞと思いました。

いや、あの頃はストロングゼロ売ってなかった。
てことはシラフか?

ヤバすぎる。

私の夫は原人だった模様です。
せめて縦穴式住居にして、と願うのは縄文人の思い上がりでしょうか?

一応料理も洗濯も掃除も出来る夫。
一人暮らしもお手の物…なはずです。

ただ一人だと生活が最低限になってしまうようで…なんつーか色々最低限のレベルがおかしい気はしています…

 

探検家の日々本本 (幻冬舎文庫)

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  • 作者:角幡 唯介
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2017/06/09
  • メディア: 文庫
 

 

水墨画の中のまち

寒いのが嫌いだ。

日差しが弱くなるのも、自転車に乗れなくなるのも大っ嫌いだ。

だから、冬が来るたびにこんな寒い町出てってやる!と思う。

たまたま、親の実家があるから流れ着いたようなまちだ。

気がつけば地元の人と結婚して家まで建ててしまったけれど、ふるさと感は未だない。

『ふるさと』という言葉が似合うのはランドセルを背負っていた頃に過ごした、もっと北の町のような気がする。

 

それでも冬の朝に車を走らせて、フロントガラスのずっと向こうに薄曇りの山が見えた時にはハッとする。

薄墨に少し菫を垂らしたような、淡くて遠い山並みのいろ。

 

白い霧が立ち込める冬の朝に、実感したことがある。

外はまるで墨の濃淡だけで描かれた山水画の景色。

水墨画とは本当の世界を忠実に写し取ったものなのだ、と。

色彩を無くしたモノクロの朝はとても奇麗で、そんな景色に出会うたび息を呑む。

 

寒いのは相変わらず嫌い。

お日様が足りなくて、ホントいらいら。

それでも時折息を呑まされるこのまちの冬が、私はちょっとだけ好きなのかも知れない。

 

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 裏庭からの景色…ではないw

北へ向かう魚

寒さが苦手で、ずっと南下したいと思いながら生きてきた。

 

北の小さな町で育ち、風景画を描くのが好きだった子どもは、冬になると狭い絵画教室の中でしか描けないことに不満ばかりを抱いていた。

白いダルマストーブに乗せられた薬缶が、しゅんしゅんと湯気を吐く。
すぐに日が落ちる、長い長い北の冬。

暗い教室で描いた静物画の背景はいつも、青と灰色を混ぜ合わせた仄暗い色合いだった。あれはきっと、私の心象風景だったのだ。

 

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短い春と夏の間は、教室の外に出て周りの絵を描くことが許されていて楽しかった。

絵画教室の建物には母屋と離れを繋ぐ大きな屋根と通路があり、ベンチとテーブルが置かれている。

鮮やかなペンキで塗られたその場所が大好きで、画板を抱えてその辺に座り込んでは中庭の景色や道路の向こうに続く古めかしい住宅地を描いていた。

 

中庭がある、雪が多く降る地方には珍しい作りの家だったが、画家でもある先生のこだわりだったのだろう。南仏風の明るい塗り壁、通路は可愛らしいアーチ型。

 庭木にはブランコが吊るされていて、友達と変わりばんこで背中を押し合った。

  

風景というのは不思議なものだ。

目の高さ、見る角度が違うだけでまるで別の絵になってしまう。
隣に並んだ仲良しの少女でさえも、描く絵はまるで違うのだった。

空の色も、青葉の色も、人によって見える世界は違うのだと初めて学んだのは、きっとあのキャンパスの中だったのだろう。

 

私の記憶に残る景色も、今の私が見たらまるで別物なのだろうと思う。

それでも私は愛している。

あの寒い北の町に訪れる短い夏を、柔らかな緑の色を。

 

ずっと南を目指していたけれど、いつからか生まれた場所の景色をもう一度見たいと思い返すことが増えた。

 

生まれた町の近くを流れる大きな川は、秋になると遡る魚で埋め尽くされる。

なぜ鮭は傷だらけになってまで生まれた場所を目指すのだろうと、子どもの頃は不思議だった。

でももしかしたら私の中に時折浮かぶ帰りたいという気持ちも、あの鮭と同じものなのだろうか?

 

今はまだ分からない。

それでもいつか、何処かへ行きたいと思いながら今日も歩いている途中。