寒さが苦手で、ずっと南下したいと思いながら生きてきた。
北の小さな町で育ち、風景画を描くのが好きだった子どもは、冬になると狭い絵画教室の中でしか描けないことに不満ばかりを抱いていた。
白いダルマストーブに乗せられた薬缶が、しゅんしゅんと湯気を吐く。
すぐに日が落ちる、長い長い北の冬。
暗い教室で描いた静物画の背景はいつも、青と灰色を混ぜ合わせた仄暗い色合いだった。あれはきっと、私の心象風景だったのだ。
短い春と夏の間は、教室の外に出て周りの絵を描くことが許されていて楽しかった。
絵画教室の建物には母屋と離れを繋ぐ大きな屋根と通路があり、ベンチとテーブルが置かれている。
鮮やかなペンキで塗られたその場所が大好きで、画板を抱えてその辺に座り込んでは中庭の景色や道路の向こうに続く古めかしい住宅地を描いていた。
中庭がある、雪が多く降る地方には珍しい作りの家だったが、画家でもある先生のこだわりだったのだろう。南仏風の明るい塗り壁、通路は可愛らしいアーチ型。
庭木にはブランコが吊るされていて、友達と変わりばんこで背中を押し合った。
風景というのは不思議なものだ。
目の高さ、見る角度が違うだけでまるで別の絵になってしまう。
隣に並んだ仲良しの少女でさえも、描く絵はまるで違うのだった。
空の色も、青葉の色も、人によって見える世界は違うのだと初めて学んだのは、きっとあのキャンパスの中だったのだろう。
私の記憶に残る景色も、今の私が見たらまるで別物なのだろうと思う。
それでも私は愛している。
あの寒い北の町に訪れる短い夏を、柔らかな緑の色を。
ずっと南を目指していたけれど、いつからか生まれた場所の景色をもう一度見たいと思い返すことが増えた。
生まれた町の近くを流れる大きな川は、秋になると遡る魚で埋め尽くされる。
なぜ鮭は傷だらけになってまで生まれた場所を目指すのだろうと、子どもの頃は不思議だった。
でももしかしたら私の中に時折浮かぶ帰りたいという気持ちも、あの鮭と同じものなのだろうか?
今はまだ分からない。
それでもいつか、何処かへ行きたいと思いながら今日も歩いている途中。