おのにち

おのにちはいつかみたにっち

無意識下の言葉

無意識下の言葉ってありませんか?

 

ふっと気を抜いた瞬間、頭に浮かんだり口に出したくなってしまう言葉っていうか。

 

仕事を終えて、家に帰って、洗濯物を取り込んだり着替えだの夕食の準備だのなんやかやを終えて、ようやく椅子に座りプシュッと缶を開けて飲んだ瞬間染み出してくるような言葉…

 

 

で、話はちょっと変わるんですけど私はものすごく忘れっぽくてですね?

 

そのせいか歴史や地理みたいに、沢山の人の名前や地名を丸暗記するのはめっちゃ苦手なんです。特に地理はあまり興味が持てなくて中学生の頃ホントに苦戦しました。

 

最終的にはテスト対策として一番苦手だったソビエト連邦の歌を自作して歌詞として頑張って丸暗記したんですけど、あの、みなさんご存知の通りソビエト崩壊しやがりましてですね…私、今でもソフホーズとコルホーズとかめっちゃ覚えてるんですけど(号泣

 

まぁそんなわけで、とにかく私は物覚えが悪いくせに完璧に覚えた言葉はなかなか頭から離れない、という難儀な脳みそを抱えている訳です。

特に自作の歌で覚えるのホント鬼門。

覚えたい言葉にしっくりくるメロディーを探すのに時間がかかりすぎるから明らかにテスト向きじゃない癖に、一度覚えてしまうと今度は忘れられないという面倒なヤツなんですよ!

 

 

それで、ですね。

そんな私の特性を踏まえて、話はまた冒頭部の無意識下の言葉に戻ります。

 

一年ほど前のある日。

 

私はタマネギを切らしていて、どうしても帰りに買って帰らなければいけなかったんです。

いつもならスマホや手帳にメモしておくのだけれど生憎その日は財布と車のキーしか持ちあわせていなくて…

 

これから、数時間かかる用事を済ませなくてはいけない。
終わった後に買い物を忘れている自信、確実にありまくる。

 

そこで、最後の手段として。

車の中で軽快に、タマネギの歌を歌いまくったんですね。

ターマーネーギーをメロディーに乗せて。時に軽やかに。時に切なく。とにかくタマネギをひたすら、えんやこらドッコイセ。

そんなわけで、その日は無事タマネギを買って帰ることが出来た訳なんですけど。

 

 

賢明な皆さまなら、もうお分かりですよね…

あれから一年、未だに私の無意識下で頭の中に浮かんでくる言葉は…

 

タマネギ…

 

 

 

もしも自白剤かけられたらまずはタマネギって言う自信あります…次はソビエトの話です…どなたか、こんな私をスパイとして雇ってくれませんか?

   

訳あり 淡路島たまねぎ 5kg

訳あり 淡路島たまねぎ 5kg

 

 

H子ちゃんとペイズリー

半袖シャツの袖から派手なペイズリーが覗く男性を町で見かけ、慌てて目をそらした。

10数年前からペイズリーは私の鬼門である、つい思い出し笑いをしそうになるので…

 
今日は笑えるペイズリーとはなんぞや?というお話。

 

 
10年ほど前、私が勤めていた職場はものすごく静かで厳格な雰囲気の場所だった。

ザ・お堅い。


来る客は業者か法曹関係者、そしてごく稀に明らかにカタギではない人たち。

 
そんなある日、窓口にやってきたのはいかついパンチパーマの男性。
白いロングTシャツ姿で、記載台に向かいこちらに背を向けた。

 
思わず息を呑む私。

 
ロンTの後ろはフェミニンなシースルー。
そして薄手の布の向こうに浮かぶ、眼光鋭い龍のモンモン!

  

男性はそのまま静かに申請書に記入し、窓口の担当者へと用紙を差し出した。

 

さて、その時窓口に立っていたのはH子ちゃんと言う私の先輩だった。

 

このH子ちゃん、職場のイメージとは正反対の人格の持ち主。

初対面で「私の事はH子ちゃんと読んでね!」とちゃん付けを強要(H子ちゃん当時50代)。

テヘッ♡ウフフのふー♡など過去の少女漫画でしか見られないような用語をリアルで発声してしまうなど、キャピキャピした明るい女性であった。

そしてファッションやメイクが大好きで、おしゃべり好きなH子ちゃん。

なんとパンチ男性にも果敢に話しかけた!

 

「お客様の洋服おしゃれですねー!後ろはペイズリー柄ですか?」

 

ペ、ペイズリーじゃねーよ!

 

その時H子ちゃんは仕事用の老眼鏡をかけていたため、遠くのものがよく見えなかったらしい。

震える私たちをよそに、男性は苦笑いして帰っていった。

その背中を見てようやく理解したH子ちゃん。
自動ドアが閉まった後、また呟いた。

「ドラゴン柄だったのね」

 

だから!柄じゃないから!

 

それ以来龍やら虎やら、いわゆる和柄の紋が入っている人を見かけるとペイズリーを思い出してしねる私です…短いけど今日は以上!

 

 

 

 

会津の郷土料理スルメ多すぎ問題  

 もうすぐ夏休みも終わりである。

 

宿題はとうに終わったかー、親の手を煩わしてる悪い子はいねかー。

ウチ?うちは絵画も習字も作文も親の添削入りまくりっすよ…

 

だって!子どもの自主性に任せるだなんて理想論言ってたらガチで何一つ終わらないんだもの!

低学年のうちから企画立案実行して自由研究作成しろだなんて、本気で出来ると思ってんの⁈

あまりにもトマス・モアすぎて、カラスも鳴くわ!ユートピアって‼(発狂)

 

 

…なおこういう話書くとだいだい『えー?うちの子(もしくは当人)は1年生の時から全部自分で終わらせてますよー?』とか言う出木杉君の親が湧いてきがちですが、ダイジョブ!

今お前んちのターンじゃねぇから!大人しく山へお帰り!もしくはてめぇのブログに書け!(やはり発狂)

 

…と、まぁなんだかんだ言いつつも私は既に二人の子持ち、親歴は14年。

適当にググったり歴戦の勇者達(ママ友)からデータ貰ったりして『手抜きなのにそれっぽく見える夏休みの宿題作成スキル』は磨いてきたぁ!

ってゆうかこの世界にパソコン&スマホがあってホントに良かったぁ!!

取り忘れた朝顔の写真、ママ友と共有しまくりっすよ…

 

さてさて、そんな訳で(コピペで)なんとか乗り越えてきた宿題群でしたが、上の息子が中学生になったら新たな難題が持ち込まれました。

 

会津の郷土料理を親子で調理・写真&レポート作成―――!!

 

もうね!まず親子ってヤツがクソよね!ふれあいとか絆的なキレイごとで取り繕ってるけど親がやれってことだから!親がやれってことだから!(夏休みの弁当疲れにより被害妄想気味)

 

しかもさぁ!インド家庭料理(カレー)でも北海道名物(ジンギスカン)でもなく、会津の郷土料理だからね?

 

知ってる?会津の郷土料理ってこづゆ(スルメとか貝柱とか多様な具材使用)とかイカ人参(スルメと人参)とかスルメの天ぷらとかとにかくイカ臭いのよ!(あえて語弊を招くスタンス)

あとはしんごろ(エゴマ使用)とかはっとう(やっぱりエゴマ)とかまんじゅうの天ぷら(危険なカロリー)とか。

不味い、とは言わない。
ただ一般家庭で頻繁に作るメニューとは言えず、正直めんどくせぇ・・・・

 

そこでたまたまPTAで集まった際に、郷土料理の宿題どうする?と聞いてみた。

 

うち?ソースカツ丼の出前。

 

馬刺しの写真撮ったよ!

 

朝ごはんにクリームボックス食べたー!

 

はっ!その手があったのね⁉

 

郷土料理とは?調理とは?クリームボックス郡山じゃね?等疑問は深まったが、みんなの宿題なんて出しゃいいんだよ感が伝わり非常に気が楽になった。

 

そんな訳で皆さま夏休みの宿題は無事にお済みでしょうか?

 

こんなやっつけ仕事を確認する先生方も大変だなぁ、と思う今日この頃です…

 

 

 

小説で描く疑似科学-『彼女がエスパーだったころ』宮内悠介

宮内悠介さんの短編集、『彼女がエスパーだったころ』を読んだ。

ライターの「私」が様々な事件に取材を通じて関わっていく、ノンフィクション風のSF短編集。

筆致は冷静でリアルなのに、扱われる題材は疑似科学ばかり。
火を扱う猿にスプーン曲げの出来る美女、ロボトミーめいた脳手術、言葉で浄化した水…

ライターである『私』は当初、科学的なリテラシーを持ちながら事件に関わっていく。
内心ではいわゆる似非だと疑いながら。

しかし物語が進むにつれて彼の認知は曖昧になって行く。
そして主人公が感じた迷いに決着を付けないまま、物語は幕を閉じる。

 

 

彼女がエスパーだったころ (講談社文庫)

 

 

科学の真偽を暴くこと

 

さて、この物語はスプーン曲げや水への声かけ、セックスカルト宗教などの非科学的なものをモチーフとして扱っている。しかも、ものすっごくリアルに。

このお話はあくまでもノンフィクションなのだけれど、スプーンも水もカルト宗教も、現実の事件が即頭に浮かんでくる。

 

…正直、すごく面白くて色々考えさせられたのだけれど、感想が書き難くて困った。

放射能によって汚染された水が声掛けによって浄化されるとか、Twitterに上がってたら正論で大炎上するヤツでしょう⁉

ギリッギリを攻めすぎですよ宮内センセー!

 

結局この物語が内包している『問題』こそが、物語が曖昧に終わる理由なのだと思う。

 

あとがきでも著者本人が語っている。


信じることの出来ない『手かざし』での治療現場を見たこと、しかしその場には第三者が踏みにじってはいけない何かがあると感じた事。

けれどもその一方で、得体の知れない水や癌は放置しても治るといった数々の情報から私たちは身を守らなくてはならないと思う事。

 

つまり科学的な知見を大切にしながらも、狭間にあるものを受け入れることは出来ないか?という知的実験を描いたのがこの小説なのだ。

 

『薄ければ薄いほど』という短編では、末期がんなどの患者のためのホスピス「死を待つ家」の話が描かれる。

普通のホスピスとは違い、そこでは『量子結晶水』なる謎の生理食塩水が配られる。
「薄ければ薄いほど効果がある」という原則に基づいて配られるその生薬は十の六十乗倍以上に希釈されていて、計算上元の薬剤はほぼ含まれない。

つまりは単なるプラセボなのだけれど、その薬についてライターである主人公が記事に書いてしまったこと、そしてその薬を用いることへの世間の反発が物語の主題となる。

 

ホスピスで静かに死を待つ女性、かずはの「外部の声が聞きたい」という希望に応じて主人公はニュースに寄せられた『世間からの声』を読み聞かせる。

『患者は希望を欲するものだと思いますし、それはやむを得ないと思うのですが、科学的真実が覆い隠されるようなことになるなら、残念なことと言うよりありません』

『個々の信仰は自由ですが、親が子どもに医療を受けさせないような事態は避けねばなりません』

次々と寄せられる正論に、死を待つ彼女は何と答えるのか。
その答えこそが、一番胸に刺さる。

 

 

私自身、疑似科学には批判的な方だと思う。

反ワクチン主義やレメディ、宗教的理由による輸血拒否なんかで助かるはずの命を落とした話を聞くとこの科学の進んだ時代にどうして?と思ってしまう。

 

でもその一方で、反ワクチン主義を表明した人のTwitterがガンガン炎上していく様子や、寄せられすぎる正論はむっちゃ怖いとも感じる。

みんな命を大事にして欲しいと思うからこそ、意見を寄せているはずなのに、『ウィルスまき散らすなとっとと〇ね』ってどういう事やねん⁉

他人の迷惑即デスなの?
アレルギーで予防接種出来ない人とか、肩身狭くて言えないよね?

 

それから年代的には『あなたの知らない世界』育ちなので、霊能力者も超能力者もいない世界はちょっと寂しいなんて思ってしまう。

カルト宗教とか詐欺は確かに怖いんだけど、グレーなもの全てを撤廃した『科学的に正しい世界』も病院の廊下みたいに空虚でかなり怖い。

 

誰もがいつかは必ず死ぬわけで、でも望み通りの大往生なんてなかなか叶わないから、やっぱり神様とかご先祖様がいたらいいよななんて、たまに仏壇とお墓に手を合わせるだけの人間でも思うんですよ、きっと最後は祈るんですよ。

…まぁそんな時に『病気が治る水』売りつけられたらブチ切れると思うんですけど、でもそれを買う人を嘲笑っちゃいけないんだと思いました。

 

ホントに色々考えさせられる一冊。
いつか、神様に縋りたくなるほどの経験をしたら科学との距離感も変わるのかな?
そんな訳で、もっと年を取ったらまた読み返したいと思います。

それではまた!

 

彼女がエスパーだったころ (講談社文庫)

彼女がエスパーだったころ (講談社文庫)

 

 

透明ミニーガール

 

職場の近くで無料コンサートがあり、お昼休みに同僚男性と赴いてみた。

 

目立たないように一番後方の席に座る。
歌っているのは趣味でギターを嗜み、オリジナルのフォークソングを作っている60代の女性。

 ロングの髪は赤茶に染まってソバージュが掛けられている。
ふわふわしたワンピースは薄い花柄模様。


細身で小顔で、歌声もかわいらしい(かわいらしすぎて後方まで聴こえないのが難)。

どうやら日々の生活をテーマに歌詞を作っているらしく『7月4日に携帯無くした』などというメモみたいな歌詞が聴こえてくる。

 
前列では同級生と思しき男性陣が団扇で扇ぎながら歌に聴き入っている様子。

 


どうにも馴染めない雰囲気を感じ、こそっと数曲で撤退して来た。

 

 冷房の効いた職場に戻ると、30代の同僚男性が辛辣な一言を。

 『いやぁ、昔は美人だったんでしょうね!』

 
あいたたた!

若いからこそ言える無邪気な一言に、私の方が胸が痛くなってしまった。

 

  確かに、『昔』を引きずったままの人だった。

美人の面影は残っており、長い髪もワンピースも、かつてはすごく似合っていたのだと思う。


ただし60を過ぎれば誰の髪だって当たり前に腰が弱り、薄くなったり白髪も交じる。

 そうやって髪質や、肌の色艶さえ変わった年代で若かりし頃の髪型が似合うかというとそれは…

 
でもなぁ?

辛すぎる真実に、同じく加齢を感じ始めたお年頃の私は抗いたくなる。

 
若作りって誰かに迷惑?
そんなに見苦しいものなの?

 
かつての美人が今もアイドルごっこを続けていたとしても、彼女のおかげで同級生の男性陣がきゃっきゃうふふと若返れるのだとしたら、それはそれで幸せな事なんじゃないだろうか?

 

アイドルの握手会なんかを見ていても思うけれど、輪の外にいる人間からしたらどんな熱狂だってちょっと痛痛しく思える気がするのだ。

  

だからあそこでアウェーだった私達が『痛たた…』と感じるのは当たり前の話で。

 

会場のファンと彼女自身が盛り上がっていれば、それはとても良いコンサートだったのだ。

 


でもなぜか、『かつての美人』が気になる私。
たまたま通りすがっただけなのに、どうして?

 
…実は私は、年相応という言葉を異常に気にしがちな人間である。

 

理由は分かっている、私が20代だった頃、紅白水玉模様の80年代スタイル、いわゆるミニーマウスワンピで町をウロついていた若作りの母親が脳裏をよぎってしまうせいだ。

 
あの頃の母を恥ずかしく、痛々しく思っていた気持ちが蘇り、今の自分も同じような痛さを再現してやいないかと胸が苦しくなるのだ。


でもその一方で、母親にも好きな服を着る自由がある、それを認めてあげられない、恥ずかしいなんて思ってしまう娘の私はなんて不寛容なのだろうと自分の心の狭さに胸が痛くなったりもする。

 人の心は難しいものだ。

  


ただ…実は最近気がついた事があって…

 

好きな服を自由に着こなす、若作り万歳!の母だから、当然同じような若作り仲間にシンパシーを感じているのだと思い込んでいた。

 ところが先日テレビに映っていた娘とお揃いのワンピを着た50代の母親を見て一言…

 
『若作りねぇ、恥ずかしい!』

 
???かつての貴女がそこに居るんだがーーー!

   

…なんつーか、人は思った以上に自由というか、我が身を振り返らずに好きなことを言う生き物なのだなぁと実感した。

 
だから私も、客観性とか見苦しいとかあんまり深く考えすぎず、好きに生きて好きなことをボヤけば良いのだ。

 
それでもやっぱり色々ごちゃごちゃ、余計なことを考えて過ぎてしまうのも私らしさなんだろうけど。

 

 

赤い髪を揺らして歌っていた人の姿が、ナンバーガールの歌う『透明少女』に重なってみえる。


赤い髪の少女、暑い季節の中で狂っていけ、走っていけ。

 
いつだって青春だ、みたいな言葉を信じきれないくせに憧れている私もいる。


大人にならなきゃいけない私達。

それでも今年の夏は暑すぎて、狂いたくなる気持ちも分かるのだ。

 

 

ライヴ・アルバム ?サッポロ OMOIDE IN MY HEAD 状態

ライヴ・アルバム ?サッポロ OMOIDE IN MY HEAD 状態

 

 

『言の葉の庭』感想

 今頃、『言の葉の庭』観ました!
ちょうどAmazonプライムが新海誠推ししてて、雨も降ってたから勢いで!

 

恋愛モノはいまいち興味が湧かないジャンルなので避けていたのですが、実際観てみたらかなり面白かった!

そして何かを書かずにはいられなくなりました…。

 

現在公開中の『天気の子』に寄せられる熱い感想もそうですが、良きにせよ悪しきにせよ、「何かを語りたくなる作品」ってのは良いもんですよね、物語の中に語られるべき文脈があるってことですから。

そんな訳で今日は今更ながら『言の葉の庭』に寄せる拙い感想です。

 

背景素晴らしい

 

言の葉の庭

 

まずは散々言われてることですがやっぱり背景!素晴らしいです!

 雨に煙る高層ビル群、駅の人いきれ、そして新宿御苑の柔らかな緑…
綺麗にも程がある!

もうね、御苑のあずまやで雨を眺めながら金麦呑みたくなりました。
アルコール持ち込み禁止!って立て看板がしつこいほど描かれてますけどw

ストーリーはともかく、御苑の緑、あずまやで佇む二人の絵を眺めるだけでも楽しめるアニメです。

 特に終盤、突然の雷雨であずまやに走るシーンが良かったな…

 

 ツッコミどころ満載のストーリー

 

さて、ストーリーにおいてはちょっと気になるシーンがたくさんあります。

 

主人公タカオの家は母子家庭で、タカオが専門学校の学費を稼ぐためにバイトに励むのはそのせいだと読み取れます(だから兄が家を出る時に親子で話しあうカットでは母親しか登場しない、タカオが子どもの時は父親の姿があるので死別か離婚だと思われる)。

割と派手めで、ちょっとチャラそうに見えるおかーさんですが(長男に対抗して私も彼氏と住んでやる、とか言っちゃうし)Wikiでは職業『大学職員』となっています。

まぁ大学職員だって片親なら子どもの学費に困るのも分かるのですが、何もそんなレアな職業にしなくても、と思いました。

精神年齢が高いタカオの育ちを説明づけるなら、お水の方が自然な気が…スポンサーの意向?

 
それからユキノが元彼である体育の先生?と電話するシーンですが、元彼はベランダに出て電話、カーテンの向こうには女性の影とむっちゃ既婚者っぽいのが気になりました。多分新しい彼女なのでしょうが…。

 ぱっと見ヒロインが既婚者と付き合っていたようにも見える、もしかしたら実際に不貞を働いていたのでは?という疑惑を抱きかねないのでカーテンの向こうの女性は不要だったのでは?

 
そしてクライマックスのマンション踊り場抱擁シーン。

 
今まで無口で大人びていたタカオが唐突に子どもに返り、しかも饒舌な説明口調で自分の心情を分かりやすく語りだします。

 説明で物語を畳むのも、ある程度は仕方ないと思うんです。
45分とかなり短めの映画ですから。

 

 そこでタカオがユキノを泣かせる台詞を吐くわけなのですが…
私はその前段の、

あんたが教師だって知ってたら俺は靴のことなんてしゃべらなかった、どうせできっこない、叶いっこないと思われるから

に違和感ヒシヒシでした!


高校生ぐらいの子が自分の夢に不安を覚えるのは自然な事ですが、劇中のタカオは学校よりも靴を作る方が楽しいと感じていて、バイトも全部将来の学費や夢のためで迷いなく未来へ突き進んでいるように見えました。

家庭背景もあり、とにかく早く自立にしたい、自分の好きなことだけをやりたいタイプの子に見えたので、そんなに自信なさげなシーンあったかなぁ?と。


ユキノへの憧れも、最初は『会社をサボって昼間からビールを飲む悪いオトナ』という社会の枠からはみ出した者の気持ちであり、自分も早くそうなりたい、という気持ちの表れだと思っていました。


しかし実際には彼女はとても身近に居て、しかも自分の学校で起きた問題で追い詰められていた。タカオになら、彼女が辞めてしまう前に出来る事があったのかも知れない。

 

しかしタカオは学校にまるで興味を持たず、自分の夢ばかり追い続けていたから、結局好きな女性を助ける事が出来なかった。

 
タカオが自分の夢を追い続ける=好きな事ばかりじゃなくて、もっと周りを見渡せる大人にならなくちゃいけないのだと自覚したのが学校の廊下でユキノとすれ違うシーンだったのだと思います。

(そう自覚したからこその「何やってんだ俺」的なセリフ、そして自暴自棄になり先輩と殴り合う)

 
だからあのマンション踊り場のシーンでは騙されていた事への怒りじゃなくて気がつかなかった自分への自省の方が相応しいと思ったのですが…

でもその後の

あんたはそうやって大事な言葉は絶対言わないでずっと一人で生きていくんだ

 

は良かったですね!俺を頼れよ!って感じで。 

 

 
そして一番気になったのがユキノの足を測定するシーン!!

 
美人には大まかに二種類あると思うんですね、一つは自分の美を上手く使いこなせる、自覚のあるタイプ。もう一つは美人である事に戸惑いを覚え、地味な服装や髪型で隠そうとしてしまうタイプ。

 上手く他者からの嫉妬をかわせなかったユキノは明らかに後者だと思われます。

 
なのに!!なぜ!!

梅雨時、パンプスを履いて歩いたナマ足を、躊躇いもなくベベーン!とベンチの上に出せるのですか!?

あの日あの時あの状況で、拭きもしない足をドヤっ!と出せるのは叶姉妹ばりに自分に自信のある美女だけです!!

なぜちょっとためらったり、背中を向けて汗拭きシートやハンカチで足を拭くシーンが無かったのですか⁉恥じらってこそのフェチでしょうがぁぁぁあ!

 

えーと、そんな訳でこの作品について私が一番申し上げたいことは

『恥じらいがあってこそのフェチ心』

以上です…そして色々申し上げましたがやっぱり好きです、『言の葉の庭』!

 

 

小説 言の葉の庭 (角川文庫)

小説 言の葉の庭 (角川文庫)

 

 

 

@キモリプおじさんの変容

 

※この物語はフィクションです。
フ、フィクションって付けときゃなんでもフィクションになるんだからね!

 

さて、とあるSNSに人気女性声優がいたとしよう。

『今日はとろーり三種のチーズ牛丼食べたよ!』(すき屋のステマ)

《以下リプライ》

「すき屋かな?美味しそう!」(あるある)

「明日のお昼はすき屋にします♡」(信者表明)
「惜しい!正しくはとろ~り三種のチーズ牛丼だお☆」(校正系)

「僕はカレーです!」

 

き、聞いてねぇ~~~~!

 

声優のタイムラインで聞かれもしないのに自分の話をはじめちゃう、でもよく見かけるよねこういう人…

キモリプ呼ばわりされるほどの存在ではない、でも話の流れ上(小)キモリプおじさんとしておこう。
性別はともかく、年齢も分からないのに『おじさん』とは何ぞや?という論争もあるが今回はさておいて置く。

 

まぁとにかく、それからも(小)キモリプおじさんの快進撃は続く。

 

『今日は○○ちゃんとタピオカったよ♡』
(○○ちゃんの方が顔が大きく見える画像付き。しかし○○ちゃんは逆の写真をUPしているのでお互い様である)

《以下リプライ》

「カワ(・∀・)イイ!!冷たい飲み物でポンポンこわさないでね(^^)/」(田舎の祖父母)

「同じタピオカ飲みに行く~~!」(追体験系信者)

 

「僕はカレーです!」

 

やっぱり聞いてねぇ~~~~!

 

しかしそんな(小)キモリプな返答も、回数を重ねるうちに見慣れてくるもので。

 

『今日はスタバ「僕はカレーです!」

 

『今日はやよい軒「僕はカレーです!」

 

『今日はライブ「僕はカレーです!」

 

お前は、カレーか!?

 

そんな風に脳がバグって来た頃、(小)キモリプおじさんの見せ場がやって来る。

 

『一人が寂しかったりそんな夜もあるよね…同じ月を貴方も見ているのかな?』

(ちょいエロ部屋着画像つき)

 

「ババ様!タイムラインに赤い光が見えます!どんどん増えてるみたい!」

「こうなってはもう、誰も止められないんじゃ…目を閉じておれ…」

 

《以下リプライ》
「太もも太もも太もも太もも」(赤い目の王蟲系)

「寂しい時はいつでもDM

「頭ポンポン

「膝枕して

 

次々と押し寄せる、自称彼氏系信者の波!

声優が誘ったとはいえこれらのリプライはあまりにも…

 

そんなタイムラインに、一筋の光が!

 

「僕はカレーです!」

 

カレー!お前がいて良かったカレー!

こうなると彼はもはや(小)キモリプおじさんではない。

○○ちゃんのタイムラインに常駐するカレーである。

「僕はカレーです!」が無いとみんながカレーの生存を心配する、そんな存在。

 

さて、このようにキモリプは『慣れ』で変容する。

割と世の中、そんなもんだと思う。
キモイもウザイもハラスメントでさえも、見慣れてしまえば違和感は失われる。

 

だから?

私は我が身を振り返る。

キモリプが多いと周囲からは言われがちな私のタイムライン。

でも本人にはその自覚は無くて、それってつまり…

 

@@@@@(自己規制)(この物語はフィクションです

 

江崎グリコ カレー職人老舗洋食カレー中辛170g×10個