おのにち

おのにちはいつかみたにっち

終焉の町からの手紙

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町の間の境界線が、本当の壁になってからもう随分経つ。
セルリアンとか陰謀説とか、難しい話は私には分からない。
とにかく私たちは町単位で分断されてしまった。
壁が通すのは水と光と空気だけだ。
どこかで誰かが調査しているのかも知れないが、外に出られるまでは時間が掛かるだろう。

 

幸い一部の通信機器は生き残っているからこうしてあなたに手紙を送ることは出来る。
ただ外部との接続は時間の流れがぐちゃぐちゃで、途方もない過去からの手紙や、遥か未来からの手紙が届いたりする。
私達の町だけではなく、全ての町が分断されているのだ、と分かったのもそうやって届いた情報からだ。

 

私の町は何もない場所だった。
映画館も美術館も、気の利いたスポットは何一つ。
それでも恵まれていた、と思えるようになったのは世界が分断されてからだ。

 

私の町には大きなダムと水力発電所、広い農地に畜産場があった。それから山と、学校に病院、工場。おかげで町からの出入りが出来なくなっても、電気や水に困ることは無かった。

 

米も野菜も肉も、川魚の養殖場に綿織場まであるこの町は、生きていくには最適な場所だった。かつて都会を支えるために存在していた町は、今は1万人の住人を支えるためだけに稼働している。
 

もちろん医療品など、足りないものは沢山ある。
それでも時折繋がる通信網から、少しづつ自給自足の手がかりを得ようとしている。
製薬工場に電子機器工場。
ただっ広い土地を持つこの町は、新しい何かを作り出す設備にはこと欠かないのだから。

 
時折閉塞感を感じることはある。
子どもたちはもう大学にも、都会に勤めることも出来ない。
将来の夢の多くは、本当に幻になってしまった。

 


それでも危機感からなのか、私達の繋がりは前より濃くなった気がする。
町が閉じられてから三年目、出生数が死亡数を超えた。
五十年ぶりの奇跡だと、広報は告げた。

 

私達の住む山あいの小さな町は、かつて限界集落とか、過疎の町だとか言われてきた。緩やかにいつか終わりが訪れるのだろうと、この町の未来をどこかで諦めていた。

諦められて見捨てられた終焉の町が、私たちを逃がさないために壁の内に閉じ込めたのだろうか?
町が意思を持つだなんておかしな話だけれど、時折そんな気もするのだ。
私がこの土地に感じる柔らかな誇らしさ、微かな安心感を、大きな誰かが飲み込んでいるようだ、と。

 
とにかく私たちは今、この町で生きています。
あなたは無事ですか?あなたの町はどうですか?
いつか返事が届いたら嬉しいです。
かつて終焉を迎えるはずだったこの町で、ずっと待っています。