おのにち

おのにちはいつかみたにっち

はてなダイアリーが終わる

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はてなダイアリーが、来年の春から更新できなくなってしまうらしい。

このニュースを聞いてはじめに思い出したのがお昼休みによく読んでいる『名付けられぬ領域のほとりにて』というブログのこと。

名付けられぬ領域のほとりにて

読めなくなったら悲しいのだが、春まではダイアリで更新、その後も継続を考えています、なんて書かれていたのでほっとした。

 

私は淡々と日々の暮らしが続いていく感じのブログが好きだ。
料理上手で、文章が瑞々しい人が書くものは更に。

凝りすぎない、でも少し気の利いた普通のごはんを楽しみながら暮らす人の日々の記録を読んでいると、その家の食卓に招かれたような暖かい気持ちになる。

 

とはいえ私たちの生活には変化がつきもので。

卒業したり転職したり、悲しいことがあったり。
そうやって途切れてしまったブログを思い出すと、閉ざされたドアの前で立ちすくんでいるような悲しい気持ちになる。

でも私たちの小さなウェブログは記録をつける心の余裕がないと続かないものだから、仕方がないのだ、きっと。

馴染みの店も、いつかは終わってしまう。

それでもまた別の場所で会えるかも知れないし、再びシャッターを上げる日が来るのかも知れない。 読めなくなったブログ達に、私はそんな夢を抱いている。

いつかまたどこかで、あの日の話の続きを。

 

ブログをずっと読んでいると、実際には会った事のない人がとても身近に感じられて不思議な気持ちになる。
あなたの書いた日々の記録が、私の中に入り私から見たあなたの物語になっていく。
だから近くて、でも私の思うあなたは現実には存在しないのだ。

ケーキで出来た、マザーグースの歌のような身体を持つ人も、手作りのミートボールを食べながら呪われた部屋でホラー映画を観る人もいない…かも知れないし、いるのかも知れない。

誰かに読まれることを想定して書かれたブログは、現実よりも柔らかく抽象的だ。
だからこそ自分の内にある思いを混ぜ込んで、架空の誰かを創り出してしまうのだろう。

 

このブログを読んでいるあなたも、いつか幻影に出会うのかも知れない。

深夜会津の山中を車で通り抜けようとしたとき、あなたのバックミラーには私の姿が写っているのだ。

振り返れば手斧を持ち、全力で駆けてくる緑の鬼がッ…(ホラーだ

 

やおろずの神じゃないけれど、長く続いたものには魂が宿るような気がしている。
春に消えるはてなダイアリーの魂は、電子の海を漂ってトラックバックと囁くのだろうか?

私の使っているはてなブログというサービスも、私自身のブログも、必ずいつかは終わるのだろう。

ずっと遠い未来には、個人の日記なんか廃れてしまって代わりにAIが読みやすく平易な物語を紡ぐのかも知れない。

それでもどこかに流れ着いて、誰かの幻になれればいいのに、なんて思う。
新しいブログを読むたびに、小さな幻影が増えていく。
そして読む人の数だけ、幻の私がいる。

ブログを読む/書くって、きっとそういうことだ。
さよならはてなダイアリー。いつかまた、追憶の海で。