長い石段の途中で見た、夕闇の星を思い出しました。
あの町の空気はいつだって澄んでいて、だからこそ人は馴染めない場所だった。
色んな人が弾き出されて、森や山は原始の凶悪さを取り戻したかのように生き生きと町を侵食していって。
石段で振り返ったランドセルの私も、後にその町からは撤退して戻ることはありません。
(写真は『ずったらずったら』より)
2月4日に郵送された薄くて小さい、でも美しいものがぎゅっと詰まった一冊の本を読み終えた私の心によぎったのは、石段で星を見ていたあの頃の景色でした。
あの石段は学校で真っ暗な淀みに落ち込んで、そのままでは家で上手く振る舞えないと思ったときに立ち寄る、私にとっての禊ぎの場でした。
大人になった今でも、薄笑いをまとった悪意や、逆に私の中に湧き上がる厭らしい嘲笑や、そういうものをまとってしまったと思う時は5分、10分、かならずどこかに立ち寄って一旦気持ちをリセットして、それからお家に帰ります。
会社と家の間に、なにかワンクッションが必要なんです。
そうしないと私は上手く「おかあさん」に戻れない。
そんな訳で生きていくために私は、仕事と家庭の合間にある柔らかで傷つきやすいもの、理屈だけでは説明しようのない感情のあれやこれやを、スーパーマーケットやホムセンに置き去りにしておうちに帰るのです。
でも黄金頭さんの「ずったらずったら-関内関外日記 アンソロジー」という奇妙なタイトルの本の中には、会社と家の合間にある、ゆるやかな感傷や悲しみや、説明のつけようがない感情にまつわる美しい言葉たちがぎっしりと詰め合わされていました。
『物語』がなくても生活は成り立ちます。
けれど時には足を止めて、石段の途中の星を眺めてみるのもいい。
慌ただしさの中に置き忘れてきてしまった言葉が、小さな星が、黄金頭さんの文章や写真の中にたくさん詰まっていて、だから私は振り返るのでしょう。
あの石段を登る途中で、私はあなたとすれ違ったのだ、と。
薄くて小さい、でも中身は柔らかでどこかほろ苦い、とても素敵な本でした。
「ラーメンが獣臭い」付箋は何をどうしたらいいのか、まるで見当もつかないのですが…それでも大事にとっておきますね。
最後に船橋の海神さん、素敵な便りをどうもありがとうございました。