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マディソン郡の橋と渡辺淳一

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 職場で住宅地図を見ていたら『マディソン郡の橋』という名のアパート、もしくはマンションを見つけた。

すごい名前だよね、と平成生まれの後輩に振ったら『宗教施設かなんかですか?』と怪訝な顔をされた。 大ヒット映画、マディソン郡の橋は1995年の映画。20代の後輩はタイトルすら知らなかった、というオチである。

とはいえ私も実は映画は見ていないのだが。
ヒット当時、あまり恋愛映画が好きではなかったのと、あらすじを読んで「ただの不倫ものじゃん…」とドン引きしてしまったせいで、今でも未鑑賞のままだ。

それでもあれだけ流行ったのだから、ロケ地がキレイとか演技が良いとか、何かしら優れた点のある作品だったのではと思う。

食わず嫌いしないで観ておけばよかった、と今更ながら後悔。


それにしても、不倫映画のタイトルを住居の名前にするって、ちょっと不適合な感じがするのは私だけだろうか?ラブホなら非常にしっくりくると思うが。

平成生まれの後輩や私のように「マディソン郡の橋」を観ていない、知らない、という人のために簡単にwikiのあらすじを引用しておく。

 

イタリアからやってきて夫や子どもとともにアイオワ州マディソン郡に住んでいる女性フランチェスカ・ジョンソンが、家族の留守中にこの郡にある屋根付橋の撮影にやってきた写真家ロバート・キンケイドと出会い、恋に落ちる。4日間の情事の末、ふたりは結局別れることになる。ロバートの死後にフランチェスカは亡き恋人の遺品を受け取る。ロバートは死後、火葬にされ、屋根付橋であるローズマン・ブリッジで散骨されていた。フランチェスカは死後、火葬にして灰をローズマン・ブリッジに撒いてほしいという遺言を残して亡くなる。

 

 

なっ?あらすじだけだと単なる不倫映画にしか見えないじゃん?

失楽園とかもそうなのだが、不倫モノの映画に「純愛」という肩書きつけて奇麗な話にでっち上げるのはおかしい、と思ってしまう。

失楽園が流行っていた当時、勤め先の社長(40代女性)に渡辺淳一の本が純愛モノで切なくて昔から好きだ、何冊か貸すから読め、と押しつけられた。

全部見事に不倫モノでした…。

ベッドシーンがねちっこくてそこそこ面白かったのだが、直木賞は納得いかねぇ、と思った。

純愛なのだから、せめてお金のやり取りは無いのかと思ったら店だの服だの宝石だの、むっちゃ融資してるし! それって愛人とかエンコウと呼ばれる奴なのでは…
純愛の意味をもう一回辞書で調べなおしてこい!

純文学扱いではなく、ちょいエロ多めの月刊宝石連載作品なら納得なのだが。

一番ひっでぇな、と思ったのは『桜の樹の下で』である。

医者だか、大学教授だか、とにかく金のあるオッサンが料亭の女将を愛人にしている。 そして彼女の娘にも手を出してしまう。オッサンを巡り争い合ってしまう母娘。
そしてラスト、桜の樹の下で、娘に妊娠を告げられる…みたいな話だった。

これが一番切なくて泣ける!とオススメされたのだが、あまりにもドロドロすぎてどこで泣けば良かったの⁉と呆然とした。

二兎を追うものは的教訓話じゃなかったのかよ…困惑して、よく分かりませんでしたと正直に告げたら20代に切ない純愛モノはまだ早いのかしらねー、私の年になったら分かるわよ、と言われた。

今まさに40代。 大きな声で言いたい。
分からないままでよかったぁ!

 

一番意味が分らないのは渡辺淳一作品は純文学として堂々と人にお勧めできるのに、当時私が好きだった夢枕漠の『魔獣狩り』や『キマイラ』はエ〇グロ扱いで世をはばかれる、という事だっ…渡辺淳一氏の評価、ちょっと高すぎやしませんか?

個人的にはドロドロリアルなエ〇ドラマより血と暴力とエ〇の方がよっぽどファンタジーで美しいと思うのですが…まぁ人の嗜好は様々、ってことですかね。

それでは今日もまとまらないまま、おしまいおしまい。
今日は今週のお題、歯みがき週間を書こうと思ってたのですが、どうしてこうなった…

  

マディソン郡の橋(字幕版)

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桜の樹の下で

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新・魔獣狩り(全13巻)合冊版 サイコダイバー合冊版 (祥伝社文庫)

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