今朝がた、お友達のエルベさんと( id:elve )と散歩しながら遠距離スペースでお話していたら、無料期間中に一気読みした『チェンソーマン』が分からなかった、という話になりまして。
私も同時期に読んだのですが、ストーリーは少年マンガらしく分かりやすいと思えたので、その時はそうか?と。
(しかし今改めて確認したらマキマさんが美味しく頂かれたところはすっかり見落としてたので完全には理解してない可能性も大・一気読みはやはり無理がある)
でも、その後も話しながら歩き続けて気がついたのですが、『わからない』のは単純にストーリーラインの話だけじゃなく、登場人物の心理が『わからない』ってのもあるのか!と。
物語の筋は分かっても、登場人物の心理がわからない、感情移入できない、世界観がどーも合わない。そんな感じが合わさって「わからない」なのかな?とざっくり理解した気になりました(違ってたらスマン)。
対して私は、話の筋は(だいたい)理解できた、絵は荒いけど上手だし、確かに登場人物には感情移入しづらいけどそういう(殺伐とした)世界の話だし、勢いがあって楽しめたかなぁ、と。
言われてみれば登場人物がサクサク死んでいくところ、共感しづらいところ、そういう部分は確かに『わからない』と言えるかも。
ただ『わからない』は必ずしも『つまらない』とイコールではないんですよね。
共感は出来ないけど『わからなかった!』とエルベさんが語らずにはいられなくなった、そもそも最後までちゃんと読めた時点ですごく大きなフックだと思うんですよ。
つまらなかったら途中で離脱だし、そもそも語ることもないはず。
この増田なんかもそうなんだけど、頭が痛くなったといいながらここまで言語化してしまう、解説せずにはいられなくなってしまう時点でちゃんと心に残っているのでは、なんて思います。
好きでも嫌いでも、誰かに語りたくなる物語ってのはそれだけで作品としては確立してるんじゃないか?と思うんですが甘いですかね。
とりあえず私は興味あります、ストーリーは面白いけど共感しづらい『わからない』話。
そもそもこれからどんどん年を経て時代から取り残されてしまったら、漫画じゃなくてリアルが『共感できない話』だらけになりかねないんで…!
新しい時代の『わからない』はもはやお薬。
定期的に摂取して受け入れるキャパを増やしていかないとなー、なんて賛否両論の藤本タツキ論をみて思う次第です。
宝石の国も感情移入的な意味では『わからない』けど語りたくなる話。
どう終わるのか、めちゃくちゃ気になってます…!