他人より勉強
先日、 学生向けの進路講演会に行ってきた。
基本、まだやりたい事の見つからない中高生向けの内容なのだが、 一つ大人の私にも刺さ
る言葉があった。
『他人を気にしている暇があったら勉強しろ』
それな!ホントそれな――!
ちょうど先月ごろから、 異動してきたばかりの同僚とぶつかってしまうことが多々あり、少し悩んでいたところだったのだ。
同僚は若手男性なのですが、 プライドが高いところがあり、本人にミスを伝えても 「記憶にございません」 キリッ!みたいな感じで終わってしまいモヤモヤしていた。
あなたの端末なのですが――!あなたのお名前なのですが――!?
仕方ないので気が付いた私が修正し、上司には報告という形で処理をする案件が何度かありまして。
ただ。
それやってると、 とてつもなくストレス溜まるんですよ。モヤモヤしてきちゃうんですよ。
なんで私が?とか、私ばっかり、みたいな気持ちになってきてしまって。
なので、上司に相談のうえ対処方法を変えました。
ミスに気が付いた際は付箋をつけておく、後日上司が確認してミスが修正されていない場合は上司から本人に指導してもらう、 以上!
そうやって自分がカバーしなくて済むようになったら、とても晴れ晴れした気持ちに。
仕事に慣れてきて、空いた時間が出来るようになったのもいけないのかもな、と思い、今は手が空いたら職務関係の勉強に励むようにしています。
そうやって、自分のことに集中するようになったらイライラもモヤモヤも、嘘のようにすっきり。
プライドの高い同僚にも、優しく接することが出来るようになってWINWINです。
そんな訳で『他人を気にしている暇があったら勉強しろ』、とてつもなくオススメです!
ただ、なんか今は勉強に励みすぎてブログもTwitterもログインが減ってるんですが・・・
いくらなんでも凝りすぎじゃねワタシ・・・?
割と一極化しがちな性格なので、 ワークライフバランスには気をつけたいものです^^;
それではまた!
アレクサよりマシ、でいいのか?
職場にどうも話が噛み合わない人がいて、地味にストレスになっていた。
話の主筋よりも、会話中に出てきた単語に喰いついてしまい、その単語によく似た単語やことわざなど、発想からどんどん話が飛躍していくので、何を言っているのかよく分からない…となってしまう。
他の同僚たちはみな首を傾げたり、よく分からない、と正直に返していたのだが私はそうやって理解にかける手間さえ面倒臭くて、愛想笑いで話を打ち切ってしまっていた。
そんなわけで、全てはコミュニケーションの手間を怠った自分の責任ではあるのだが、その愛想笑いが本当に害悪だった。
愛想笑い=話を楽しんでくれているとでも取られたのか、噛み合わないさんが世間話をしたいときはわざわざ私の席近くまでやってきて、話しかけてくるようになったのである!飛び飛びの話を!
しかし恐ろしいことに人間なんにでも慣れるもので、ジャンプしまくる話を聞き続けるうちに、理解はできないままなのだが違和感からくるストレスは無くなってきた。
要は、相手が自分と同じ会話方式を採用していると思うからストレスになるのである。
飛び飛びの話を何度か聞くうちに相手の会話の癖も掴めてきた。
これは、AIアシスタントの話し方だ!
短文で、目的がはっきりしている言葉ならきちんと返答が返ってくるのに、長文になると単語だけを拾ってしまう。
今までは自分から話を振っておいて即別の話題に移るってどういうことだよ、とストレスを感じていたが相手がAIだと思えばそんなもんだ、と思えるようになる。
例えばうちのアレクサに、病院の診療開始時刻を聞くと、代わりに病院の住所、電話番号などを長々と教えてくれる。
自分で検索してみるとネット上では時刻が確認できなかったので仕方ない。
ないのだが、そんな時は出来れば「見つかりませんでした」で終わらせてほしい。
そして思わず「使えねーな」と呟いた私の声に答えて「使えない」を辞書検索するのはやめてほしい嫌味かよ。
「そういうとこだぞアレクサー」というボヤキにも「よくわかりません」と返すアレクサ、めっちゃアレクサ!
職場の人は、そんなアレクサよりはだいぶマシ。多分マシ。
そしてアレクサも職場の人も、きっと的確な質問を投げかけられない私の側にも問題があ
るのだ。
とはいえ、愛想笑いはやっぱダメだ。
正直に「すいません、よくわかりませんでした。もう一度言ってください」と返すのが本来の人間らしいコミュニケーションだと思うので、明日からははっきり言えるように頑張りたい。
そう、アレクサのように。
読書はお静かに
読書の秋である。
雨の日が続いていることもあって、最近私の職場ではお昼休みに読書をする人が増えている。
いつもバッグに文庫本を入れている私にとっては嬉しいブームだ。
静かなオフィスで、ゆっくり読書に集中…と思ったのだが。
本を読んでいるはずの、隣りの席がなんかおかしい。
音は控えめだが、拳を振り上げ足を踏み鳴らし、明らかに笑いをこらえながら本を読んでいる。
マジか。
もともと目にうるさい(リアクションがいちいちデカい)男だとは思っていたが、この現代社会においてチャップリンばりのサイレント・コメディを演じながら読書をする奴が実在するとは。
さすがにチラッと一瞬隣を見てしまったが最後、奴はすかさず食いついてくる。
「ここ!ここが面白いんですよーー!」(本を指さしながら。このくだりももちろんサイレント。)
礼儀として、一応目を通す。
落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する…
マーフィー!?令和の今、『マーフィーの法則』を読んでいる?
しかも、笑い転げながら!?
正直コロナ対策以上の距離を取りたくなったが、相手は職場の同僚である。
礼儀として、目で笑う(マスクがあってホントに良かった)。
とりあえず人はひと、私はたわし。
また静かに読書に没頭する。
先週くらいから『天冥の標』を読んでいる。
第一巻は割と不評らしいのだが私は最初から面白かった。
宇宙のはてで、圧政を強いられている移民たち(の脇で机を器用に無音で叩きながら笑う隣の人)。
そんなクラシカルなSFが次巻では現代に舞台を移し、今の時代を思わせる疫病の話になる。
そしてまた話はまた未来に戻り、疫病の発症者たち、携わった医師たちがその後どうなったかが分かる。
物語の細い線が少しづつ精密に織り込まれていき、やがて…
(ここで差し出されるマーフィー。「壊れた機械は修理を依頼した途端に動き出す…」)
ホント、定期的にマーフィー差し込んでくんのやめろや隣の人!!
子どもの時から、超つねずっね思っていたのですが、勉強やピアノの練習時は「集中してるから…」と気づかって貰えるのに、読書は蔑ろにされがちなのなんで?
正直勉強しながらでも話せるし、楽器の演奏中だって話せる気がしない?
個人的には読書の方がよっぽど集中しているので、あまり話しかけないで欲しいものなのですががが。
それとも他の人のいる場で一人読書に耽ってしまう私の方が、コミュニケーション的に無作法、なのでしょうか…?
とりあえず隣のチャップリンと「マーフィーの法則」はセットにしてブックオフに売り飛ばしたい、と願う読書の秋です!
今日は以上!
「おばさん」は祝福の言葉
向かいの席の子が咳の風邪を引いたらしく苦しそうに咳を抑えていたので(今はクシャミすら後ろめたい時代よね)引き出しに入っていた個包装ののど飴をいくつかあげた。
ついでに、デスク周りの人たちにもどーぞどーぞ、と配って歩く。
その後、ふっと気がついた。
ああ、私もいつのまにやら立派な飴ちゃんおばさんになれたんだな…と。
最近読んだ岡田育さんの「我は、おばさん」という小気味良いエッセイ集のなかで、飴を配るおばさんの話が出てきた。
知らない人にもさっとお菓子を渡しその場を和ませてくれる。
少し図々しく、でも頼もしい、そんな存在。
そんな心強い『おばさん』に、若かりし頃職場でお世話になった40代~60代の女性たちを重ね合わせてしまう。
いつも明るく気配り上手。しっかりしていて、細かい所にもよく気がつき、コミュニケーションも上手い。
そんな頼もしい彼女たちに見守られ褒められ、私は育てて貰ったのだと思う。
あの頃はそんな彼女たちに憧れて、しかしあんな風にしっかり強くなれる気がしなくて、それでも今や。
昔は色々ぐじぐじ考えすぎたり、あるいは無関心で配れなかった飴を、気軽にホイホイ配れるようになった自分に気づく。
机の中には飴とガム、絆創膏に頭痛薬、香典袋にご祝儀袋、筆ペンだって完備している。
困った様子の若い人たちに、いつだって「あるよ!」と言える、そんなラインナップだ。
あの頃の彼女たちも、こんな風にいつだって備えはカンペキだった。
まだまだ強さも逞しさも、しっかり度だって足りないけれど、少しは近づけたのかな、なんてニンマリする。
若い頃忌まわしかった「おばさん」という響きは今や祝福の言葉だ。
もうちょい、あの頃の先輩たちみたいに、私も誰かの助けになれたら。更には彼女たちみたいに好きなドラマやフラダンスや、語れる趣味をたくさん増やして、自分の人生を充実させなくちゃ!
今振り返れば思わず憧れたくなる「おばさん」達は自分が一番幸せそうで、例えどんなに忙しくとも充実しまくっていた。
忙しい業務もパワフルにこなし、定時になればスーパーのタイムセールめがけ自転車を走らせる、あの颯爽とした後ろ姿!
一方では「もう年なんだからわきまえて」とたしなめられ、そんな言葉を真に受ければ今度は「女を捨ててる」と言われ。
そんな風に他者からの言葉に怯んだりくじけたり、うじうじするのはもうやめだ。
今年こそ逞しい「飴ちゃんおばさん」に俺はなる!!
とはいえ現在絶賛ダイエット中なんですよね…まだ解脱できてねぇのか?
いやいや、憧れのおば様たちだって美容や健康にはいつも熱心だったはず。
老いを上手く受け入れながら、自然な感じのベストな私(またの名を飴ちゃんおばさん)目指して頑張ります。
ほどよく、健やかにね!
最近読んだ本。
どちらも楽しくて勢いがあって、元気が出る作品です。
パンデミックな世界を生きる
8月第2週頃に書いた日記。投稿し忘れました。
都内で新型コロナウイルスに感染し、自宅療養中に死亡したとみられる方の数は、8月に入って少なくとも8人にのぼるというニュースがTVで流れていた。
まだ1週間も経たない8月のカレンダーを眺めて呆然とする。
千葉市では入院患者4人の新型コロナ感染が分かり、既に判明していた入院患者10人と合わせて計14人のクラスター(感染者集団)が確認されたと発表した。14人は同じ病棟で、うち12人が2回のワクチン接種を終えていたという。
もうコロナ渦には慣れたわ、なんて嘯いていたけれどとんでもない。
ワクチン接種さえ終えれば一安心、なんて甘えていた心がキュッと引き締まる。
飲みに行けない遠出も出来ない、まさに今は厳戒態勢のただ中なのだ。
とはいえ仕事も子どもの部活も通常通りなので、時々警戒を忘れてしまいゾワゾワする。TVでは毎日オリンピックだし。
とりあえずワクチンの予約はできたけれど、実際の接種日はまだまだ先。
夏休みはどこへも出かけられなそうで、子どもはいい加減自粛の日々に飽き飽きしているところ。
とはいえ自分達のみならず、周りに迷惑を掛けるようなことを強行する訳にもいかず、とにかく地味に、大人しく過ごしています。
それにしても後から振り返れば、マスク必須、不要不急の外出禁止、飲酒や会食も控えるべしなんて制限化の日々はやっぱり非常事態に見えるのでしょうか?
それともこうした生活様式がニュー・スタンダードになってしまう未来が来るの?
とにかく、パンデミックホラーの只中みたいな時代を生きてるんですね私たち。
それでも現実は続くんだな、となんだか不思議な心持ちです…。
社会と体
9月に健康診断があるので、それに備えて8月1日からダイエットを始めた。
年齢的にもそろそろ生活を改善しなきゃ、と思っていたところなので一時的な『ダイエット』ではなく長期的な生活習慣改善が目標である。
具体的には、お酒・おつまみは休前日だけ!という簡単なやつで今のところ他の制限はナシ。
とりあえずビールを飲みながら柿ピーをダラダラ食べる習慣が改善されるだけでも健康効果はあるのでは…と思っている。
ひとつだけ失敗したのは禁酒をよりにもよって夏真っ盛りの8月から始めてしまったことだ。
毎日暑い!ビール飲みたい!
だが幸いなことに、昨今はノンアルコールビールがめちゃくちゃ充実している。
それらで気を紛らわせてなんとか乗り切った。アレ、すごく飲んだ気になりますね…。
本当は添加物も取らない方が良いのだろうから、当分はノンアル、慣れてきたら炭酸水に
移行する予定です。
始めてから1週間ちょい、まだまだ数字には表れませんが足のむくみとお腹が少し引っ込
んだような気がして喜んでいます。
とりあえずお酒は週末だけ、という生活を習慣づけるのが目標。
運動はなかなか週末しか出来ていませんが、やらないよりはマシと信じてチョコチョコと。
だいぶ前にはじめたリングフィットも、もうすぐクリア予定です。
さてさて、そんなわけで今日は他愛もないダイエット話(というかただの休肝日だな)でしたが.…
時折、ふと頭をよぎるんですよね。
人生、いつまでダイエットしなくちゃいけないんだろう、って。
10代~20代の頃はとにかく容姿を気にしていて、出産後の30代も同様。
現在も服が入らなくなるのは嫌だとか、子どもとプールに行くから水着が着れないと困るとか、色々理由はある訳です。
なにより、写真とか鏡に写った自分の姿がイメージと違うのがイヤ。
でもお医者さんなんかに聞くと、本当は健康体重の真ん中より少し上くらいが一番健康に
良い、とか言われるんですよね… !
もちろん、それぞれ自分が心地よくいられる体型を目指すのが一番なんだけど。
もしかしたら美魔女信仰的なモノに影響を受けているのかな?なんて時折社会と自分の距離の近さが不安になる時もあります。
かといってガイドラインのまるでない、まっさらな人生でも心病まずに生きられるほど、自由でも想像力豊かでもないんだけどさ。
とりあえず社会の風潮より自分の気持ちを重視して、何事も楽しみながら勤しみたいと思う所存です。
社会にそれを強いられている!なんて勘違いしちゃうと、心掛けていない(ように見える)人たちへの呪詛が湧いてきちゃうからね…
それではまた!
炎上に背を向けて
コーネリアス小山田圭吾さんが絶賛炎上中である。
私はフリッパーズギター世代だが、コーネリアスの過去は今回初めて聞いたのでとても複雑な気持ちに。
好きだった音楽すら汚されたような、そんな気分になりますよね…。
雑誌に載っていた昔の話は確かに胸クソ悪いし、それらを面白いものとして消費しようとする当時の雑誌の姿勢もおかしい。
だいたいこれだけ悪評のある人をよりにもよってパラリンピックに起用した組織委員会が余りにもクソ。そんで炎上したら本人に辞退させて、懲戒の責任すら負う気もないって何考えてるんだろうホントに?
あとは出身校の和光学園もおかしい。
同じ学校にいた方の記事もあったけれど、いじめ (というより書いた内容が本当なら暴行事件)を放置して自主性を重んじる、はないよね。
当時法的に裁かれていたならばこんなに炎上することもなかったのにと思ってしまう。
障がい者と健常者の混合学級は良いけれど支援員なし、授業についていけなくてもイジメが起きても放置、介助すら子どもにやらせるとか『蠅の王』かよと。
しかし小山田圭吾、学生時代は障がいのある同級生に暴行を加えていて、大人になってからも公の場で相手を嘲笑。結婚して子どもを持った今も反省の色はなく、よりにもよってパラリンピックの仕事を引き受けてしまうとか…。
でもこうやって表層だけをまとめると悪魔そのものだけれど、ネットでさんざん叩かれて、デジタルタトゥーも残っているから定期的に自分の悪行をつきつけられて。
これで反省しない人間いる?って思ってしまうんですよね、傍観者としては。
ただその一方で、実際に暴行を受けた被害者の方は、一生彼のことを人ならざる悪魔の『蠅の王』だと信じる権利があると思います。
直接の謝罪と賠償を、なんてコメントがスターを集めていたけれど、昔いじめにあったことのある私からしたら直接の謝罪なんて信じられない。
犯人とまた会うなんてトラウマ復活間違いなしだし、謝罪を受けたり相手の事情を知ってしまうと、良心の呵責が発生してしまうのでは?
もちろん許す必要はないのだけれど、自分の心が狭いのでは?なんて己を責めたくなりますよね、被害者側としても。
そうやって、自分の痛みと折り合いをつけながら人を許す過程は憎むより辛い。
だから直接傷つけられた人にとっては、相手を純粋な悪だと信じて怒りをぶつける権利があるのではないか、なんて私は思います。
ただ…私たち傍観者にとっては…
勿論、嫌悪を言うのは自由だし、作品の不買も、パラにはふさわしくないと訴えるのも正しいことだと思うんです。
けど増田のトラバにあったような、切腹しろ!的発言は絶対に違うよね。
テラスハウスでの炎上で、木村花さんが命を落としたような事件はもう起きてほしくない。
過去に遭遇したイジメに対するトラウマが蘇ってきたんだとしても、あなたを虐めたのは小山田ではないのだからそこのところは切り分けないと…
と。綺麗事で締めようと思ってたんですが。
今度は病院での暴言話も出てきて、のぶみまで出ては消えて.…
なんなの?今回のオリンピック、ホントになんなの?
既に黒ヒゲ危機百発よ!?
そんで小山田、擁護の言葉すら出てこなくなるくらい、酷すぎなんですけど!?
でも、こういう人たちと共存してゆくことこそがパラリンピックのテーマ、『多様性』だと思うので!(半泣き)
…結局、こういう人たちに本気で怒って、言葉が過ぎて逮捕されたり、賠償請求されたりするのは単純に損です。
自分の感情がエスカレートしすぎてるな、と思ったら本とか花とか、もっと素敵なものの事を考えましょうよ。
ちなみに私は連休中、本物のマリトッツオが買える近場のお店を探したいと思ってます。
先日食べた隣のパン屋のマリトッツオは単なる「生クリームパン」だったことにようやく気がつき、屈辱に打ち震えたからです…
本場のマリトッツオはオレンジピールが入ってるって、知ってました奥様!?






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