おのにち

おのにちはいつかみたにっち

実録・やれたかも委員会

職場の後輩たちと2次会に行った。
ピザが美味いのだが、店内が薄暗すぎて何を食べているのか分からなくなる、そんなスナックである。

スナックなのになぜかオッサンが一人しかいなくて、綺麗なお姉ちゃんの代わりにオッサンの趣味の漫画がたくさん置いてある。マンガ読んだりカラオケしたり、勝手にヒマをつぶせ、という友達んちみたいなスタンスがなんか好きな店だ。あと安い。

ただマンガを読むには暗いので、学習机みたいなスタンドライトをつけなくてはいけない。これがいつもまぶしすぎて目が眩むのと、ライト前に座ってマンガを読む姿が取り調べを受ける犯人にしか見えないのが難点である。

この店、ぜんぜんスナックじゃないと思うので間接照明やめて普通に電気つけてほしい、と願うのは私だけか?

さて、今日の議題は店の薄暗さではない。
店長に勧められたマンガと、それに触発された30代男女(私の後輩)のやれたかも?話がなんかおかしい、という案件である。

やれたかも…で察しの良い方は既にお気づきだと思う。
店長が差し出したマンガは「やれたかも委員会」。
紙の本出てたんですね、知らなかった。

やれたかも委員会 1巻

やれたかも委員会 1巻

 

 

何それしらない、という方はケイクスの連載を読んで欲しい。
要は自分の過去の『やれたかも知れない話』を審査員に語り、ジャッジしてもらう、というマンガ。今回は珍しく全員『やれた』会です。

cakes.mu

 

既婚者がやれたかも、な話を語ると生々しいので、独身の男女二人にやれたかも話を語ってもらった。

まずは細身のスーツが似合う色白男子A君。
姉妹に囲まれて育ったせいか女性の扱いに手慣れているモテ男。
新年会の出し物(自主参加)は女装。それからずっと、デスクトップの壁紙を自分の女装写真にしている。

彼のやれたかも、は大学の時ずっと好きだった憧れの女の子が終電を逃したので家に泊めた話、だった。

家に泊めた時点でそれは『やれた』ではないのか…と顔を見合わせる汚れた大人たち。

「いや彼女はそういう子じゃないんですって!なんつーか清らかなんですから!寝ると言ったら睡眠なんです!10時過ぎたら寝かせてあげなきゃお肌が荒れちゃうんです!」

よくわからないのだがその彼女は彼の中では夜10時に眠りにつく、清らか女子設定になっていた。いねーだろそんな女子大生。

とにかくその女の子にベッドを貸し、自分は床で寝た…と語るA。
しかしやれたかもチャンスはその後も訪れる。

「一人で寝るのさびしい…腕枕してほしいなー」とねだった彼女。
Aはそんな彼女を腕枕し、その寝顔を見ながら朝を迎えたという。

 

「あの夜を思い出すと、もしかしたらやれたのかな…って思うんですよね…」

 

いや、やれよ!

 

ちょっと良い話風に締められてビビった。
私が審査員だったら『やれた!』札でぶん殴りたくなると思う。

こんな話を聞くとA君がいかにも純情DT風に聞こえるがそんな筈はない。
高校時代、中学時代。彼はお口にもお股にもチャックがついていない男なので生々しい話は山ほど聞かされてきた。

中学生の時にOLと車で致していたら親に見つかった男が何を言っているのだ!?
「車ってゆっさゆっさするんですよねー、いやぁまいったまいった」じゃねえよ!

しかし彼は遠い目をして語る。
「彼女はそういう子じゃないんですよね…なんて言うか…ナウシカ?」

ナウシカ。夜10時には床につくナウシカ。

 

彼曰く、この世には3種類の人種がいるらしい。まずは男、それからねーちゃんや妹みたいな普通の女、そして聖女。

ねーちゃんや妹のようなガサツな女は、男と変わらないので普通にやっちゃっていいのだそうである。そんなに特別なことじゃないし、穴があれば入れますよね、とのこと。

しかし汚れを知らない、例えば『えっマドラーってストローじゃないんですね?間違って吸っちゃったテへ♡』みたいな女の子が現れると(それただのバカだろ)崇め奉りたくなってしまう、手を出せなくなってしまう、らしい。

…姉や妹に色んなものを踏みにじられてきたんだろうなぁ…と同じくガサツなお姉ちゃんである私はそっと涙を拭った。私がかつて弟たちを口喧嘩でコテンパンにのしてきた過去を思い出すと、彼らが今も独身なのはもしや…と背筋が冷える。

 

なお、その夜はもう一人、30代女子からも「やれたかも」話を聞かせてもらった。

『うーん、やりたいな、って思ったらすぐ股間さわっちゃうんですよねー。で、たってたらやるし、ダメだったら諦めるし。だから「やれたかも」な相手は、はたってなかった人って事になるんですけど…そういう話じゃないっすよね?』

 

うん、そういう話じゃねぇな…。
その後はマンガ版のナウシカは聖女じゃなくてむしろ股間触る系なんじゃないか、という話で盛り上がり、みんなでもくもくとナウシカを読んで終わった。

ナウシカいいよね、お値段もお手頃だし。一家に一箱ナウシカ買おうぜ。

 

ワイド判 風の谷のナウシカ 全7巻函入りセット 「トルメキア戦役バージョン」 (アニメージュ・コミックス・ワイド版)

ワイド判 風の谷のナウシカ 全7巻函入りセット 「トルメキア戦役バージョン」 (アニメージュ・コミックス・ワイド版)

 

 

ではでは今日は、飲み会の席でやれたかも委員会をやると面白いよ、というお話でした!

 

なお私はやれたよりその手前の、微妙な空気が好きだったりします。
手や股間は、握らない方が記憶に残りますよね?

 

yutoma233.hatenablog.com

 

フリーゲーム『セブンスコート』が面白い!ファンレターを送りたくなる物語

ゆうべふらふらとネットサーフィンしていたら、とれいCさんがかなり昔に紹介していたフリーゲーム『セブンスコート』に引っかかってしまった。

もう私、このゲーム評価しまくりよ!

 なんて熱い言葉に惹かれてついつい深夜からプレイ開始。
『ノベルスフィア』を利用すれば、ダウンロードしなくてもスマホやパソコンのブラウザから直接読めるタイプのノベルゲームなのでハードルは低い。
最初はちょっと覗いてみようかな?なんて軽い気持ちだった。

 

sakenominimal.hatenablog.com

 

結果…3時間ぶっ続けでプレイ。一晩でエンディングまで辿り着いてしまいました!
一応セーブも出来るんですが、途中でやめられなくなってしまい最後まで。

おかげで今日はむっちゃ眠いです。そして目が少し腫れています。
だってこのゲーム泣けるんだもの!重いです、響きます、後引きます。
それでも出会えて良かったな。そんな感じの物語です。

 

ノベル型の無料ゲームで遊ぶのは多分初めて。『セブンスコート』は、ノベクタクルさんの『ファタモルガーナの館』という有料ゲームの登場キャラクターが登場するパラレルもの。
本編『ファタモルガーナの館』は未プレイですが、それでも分からない設定や不明瞭な点はなく、完璧に楽しめました。

無料で、ダウンロード不要で、サクサク読み進めるだけの簡単ゲーム(2~3時間程のボリューム)ですので、興味がある方は私の紹介文を読む前にとにかく遊んでみてくだせぇ。
下のノベクタクルのリンクから飛んで、ノベルスフィアの再生ボタンをクリックすればOK!
ゲームの前説代わりに、物語の主人公、Dark†Knighのウェブサイト「ロワイヨムヘブン」(特にBBS)をチェックしておくとよりスムーズに物語が楽しめると思います。

 

ファタモルガーナの館 - Novectacle ノベクタクル -

 

ファタモルガーナの館

ファタモルガーナの館

 

 

物語のあらすじ

 

とにかく読め!で終わりたいんですが、それではあんまりなので多少あらすじを。
主人公はフリーゲーム制作者Dark†Knight(ダークナイト。もちろんHN)。

ゲームが好きで、自分のゲームが作りたくて制作会社に入社したものの、現実はそんなに甘くない。精いっぱい考えた企画は、批評家きどりの先輩達から上から目線で駄目だしされてばかり。

耐え切れなくなった彼は、その頃大人気だった女子大生が一人で作成したアプリゲームをプレイ。こんな稚拙なゲームでいいなら俺だって…!と夢を抱き仕事を辞め、自分だけのゲームを創り上げる。

それが妖精と対話し、自分だけの妖精を作り上げる対話型シュミレーション『フェアリーハウス』。ところがダークナイトが心を込めて作ったはずのゲームはどれもイマイチな評価ばかり。
夢破れ、自分のサイトの管理もおろそかになっていた頃、女性ファンからの真摯な感想をメールで受け取る。

匿名からの痛烈な批判に慣れきっていたダークナイトにとって、ゲーム慣れしていない彼女からの純粋な称賛は眩しいものだった。そして実際に会った彼女は更に眩くて、彼は一目で恋に落ちてしまう。

彼女に喜んで貰えるようなゲームを作りたい。社会から認められたい、という意地から解き放たれ、次に作るゲームは少し違ったものになるはず…だった。

ところが新作ゲームの公開日。
ダークナイトが居たのは、見知らぬ墓場。
懐には『ゆうしゃ』のカード。
そこは彼がかつて想像して、企画倒れに終わったRPGの世界だった。
仲間はいつもBBSに集っている常連たち。
どうやら皆新作ゲームをDLした瞬間、この異世界に飛ばされてしまったらしい。

ところがダークナイトには肝心の新作ゲームの記憶がない。
ここは本当に彼が作り上げた世界なのか?元の世界へ帰る方法は?
ネットで知り合った4人はゲームクリア目指して冒険の旅に出ることになる…。

 

『かんそうぶん』を贈る意義

 

はてさて、この物語の主人公、ダークナイトくんは物語の冒頭、ネットの悪意に揉まれて疲れ切っています。とにかく話題になりたくて、売れたくて。
ゲームを作る基準も「目新しい」とか「他にない」とかそんなのばっかり。奇をてらいすぎたり、自分だけのこだわりに酔いしれたり、ユーザー目線が足りないと突っ込まれてばかりです。

そんな彼を変えたのは、一通のメール。
普段ゲームをしない女性からの、純粋な感想、シンプルな賛美。

そんな褒め言葉がシンプルに嬉しくて、主人公の意識は少しずつ変わって行きます。
世間に認められるゲームじゃなく、彼女が喜んでくれるような、彼女のための物語を作りたい。

遊ぶ人の目線に立つ。それは大切な人に楽しく遊んでもらいたい、自分の作った物を好きになってもらいたい、という誠意や真心から生まれてくるものなのかも知れません。

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けれどもそんな主人公の真心や誠意は結局世界に届かなくて、彼は物語の終盤荒んでいってしまう訳なのですが…

ネットの世界では、悪意の込められた声の方が大きく響いてしまう事がある。
優しい言葉もちゃんとあるのに、悪意に気を取られて見えなくなってしまったり。

でも実際は、はた迷惑な『荒らし』にだって彼の側の事情があって、本当は作品を誰より深く愛してくれていたりする。

でも書かれた言葉の『裏にある事情』は見えないし届かない。
だから私たちはインターネットのむこう側に言葉の通じない、悪意に満ちた怪物を創り出してしまうのかも知れません。

怖いものと向き合って、理解しようと努力するより、言葉なんて通じないと一方的に蓋をしてしまう方が楽だもんね。殺人者は異常で特別な人間だと、病理ばかり探すニュースと同じ。本当にそこに居るのは、私たちと同じ人間なのに。

 

実際に会ってみたら違った、本人を前にしてそんな言葉は言えない。
ゲームの中でダークナイトくんたちは反発を感じていた相手や事象に対して、そんな風に感じます。

それはブログを書き、SNSで交流する私たちにも通じる話じゃないのかな。

とりあえず私は、現実世界で言えないような言葉を誰かにぶつけるのはやめようと思いました。顔の見えないインターネットだけど、アイコンの向こうにはちゃんと生きた人間がいるんですもん。

自分が言われたくないような言葉は、相手にも言っちゃダメ。
それは子どもによく言い聞かせる言葉です。
ネットマナーなんていうと難しく感じてしまうけれど、基本は結局、現実社会と同じなのでしょう。

それから、批評家になりすぎないこと!
好きだ、面白い、笑った、泣けた!と感じる作品と出逢えたなら、照れずにシンプルにちゃんと賛美を伝えること。

単純に褒めるとバカっぽく見えそう、とか斜に構えて俺が及第点を付けたならそれは褒めていると言っても過言ではない、とかどうでもいいからそういうの。

本当に好きな作品なら、『自分』がどう見えるか、なんてくだらない事に拘らず素直に賛美を伝えてもいいんじゃないのかな?作品がどう世間から評価されているかより、自分が最初に感じた気持ちが一番でしょう?それを読んだ作家さんが喜んでもらえて良かった、またこういう作品を書こう、と思ってくれたならそれは最高のWin-Winじゃないっすか。

さて、今日はこんな感じです。
セブンスコートの登場人物たちに別の結末はあるのかな?
今度は本編を遊んでみたいと思ってますが…そっちもかなり泣ける、重い感じなんだよな…。気力、体力のある時に挑もうと思います!それではまた。

 

藤野可織『おはなしして子ちゃん』と私の読まず嫌い

藤野可織さんの『おはなしして子ちゃん』を読んだ。
2013年の本。ずっと図書館の書架にあって、かわったタイトルだから覚えていた。でも実は、手に取ってみたことは無かった。

なんていうか、読まず嫌いをしていたのだ。

藤野可織、という著者の名前が可憐で、タイトルも表紙も可愛らしくてちょっとオシャンティーで、女子力全開ロマンティック、ラブがフルスロットルな感じですね!はいはいすいません喪オタは50歩敗退させて頂きますよ…と読む前から負けていた。

でも先日穂村弘さんのエッセイを読んでいたら『おはなしして子ちゃん』に収録されている『ピエタとトランジ』は完璧な百合、みたいな話があり興味を惹かれてようやく手に取ってみた。

なんていうか、完璧に面白かった…!良い意味で敗退した。
なぜもっと早く、この本を読んでおかなかったのだ!

 

おはなしして子ちゃん

 

『おはなしして子ちゃん』は10編の物語が収録された短編集なのだが、どれも奇妙で面白い。

表題作『おはなしして子ちゃん』はこれを冒頭に置いて書き始めることが出来るのか、と感嘆したくなるくらい醒めた目線の(そして怖い)物語だし、『ピエタとトランジ』はホントに百合で映像的で廃退的で素晴しい。漫画で読みたい、山本 直樹さんが描いたら最高にハマりそうだ。

写真を撮ると必ず阿鼻叫喚の心霊写真になってしまうヒロインの物語『今日の心霊』も素敵だ。恐ろしい事にその凄まじい心霊(メインがリアル死霊)写真は、撮ったヒロインには認識できない。なので彼女は無邪気に今日のコーデ☆とか手料理写真をブログに上げ、見ず知らずの人から呪われたり通報されたりしてしまうのである。
もしかしたらこの世の何処かにそんな力を持ったヒロインが存在しているのかも、そしてSNSに彼女の写真が上げられているのかも…なんて思うとワクワクしてしまう。

 『美人は気合い』なんてありふれたタイトルの小説も、中身は何一つありきたりじゃなくてびっくりする。主人公は壊れかけの宇宙船なのだ、人工知能搭載の。
宇宙船は滅亡間近の地球から、人類の遺伝子を乗せた胚細胞を宇宙で芽吹かせるために長い旅を続けている。そして宇宙船は僅かな希望を込めて胚に語り続ける。
きれいだ、あなたはうつくしい、と。
美しさは繁殖していくための武器で、力なのだ。だから壊れかけの宇宙船は、胚が自分は美しいと信じ込むことを望んで、どんな環境でも美しく進化して生き延びていくことを願って、きれいだよ、と何度も語るのだ。
どうして私たちが美しいものに弱いのか、そして子どもに『刷り込むべきこと』が分かる、うっすら怖い物語だ。

 

オトナになっても『読まず嫌い』?

 

さて、私はシュレッダーのように本をごんごん飲み込んでいくタイプの人間なのだが、実は苦手なジャンルが一つだけある。

それが『純恋愛小説』である。
SFタッチやミステリ調、コメディやハーレム、エロメインなら全然平気、むしろ大好物。
ダメなのはリアルで美しすぎる、昔の月9みたいな恋愛小説だ。
例えば『冷静と情熱のあいだ』みたいな。
あの物語には何の非もない。辻仁成さんも江國香織さんも、大好きな作家さんだ。
かつての恋人同士の目線が最後に一つになる物語の構成もいい。

ただ、なんと言ったら良いのか。
あの物語は完璧に美しすぎて、かつてモテなかった私はどんな目線で物語を楽しんだらいいのか寄る辺が無くなり、もじもじハエのように手を擦り合わせたくなってしまうのである。

『冷静と情熱のあいだ』の世界には、ちょっと匂う、床が濡れた駅のトイレが存在しない。その前に置かれたベンチも無い。そこにベンチがあったなら、私は座って物語を楽しむことが出来るのだけれど。

美しすぎる物語には、臭いトイレの前のベンチに腰掛けるような登場人物が存在しないのだ。そもそも靴が濡れるようなトイレには行かなそう。共感だけが物語の楽しみ方では無いけれど、恋愛メインの美しい世界ではモデルのような美男美女以外は存在してはいけない気がする。『ブスアウトー!感』が否めない。

既婚で、子どもが二人いる私が未だに非モテを拗らせているのも奇妙な話だけれど、非モテの魂100まで。私が恋愛メインの物語や映画が少し苦手なのはそんな訳である。

藤野可織さんの本も、実はピュアな恋愛系だと思い込んでいた。
しかしこれは手痛い失敗。

手元に置いておきたい、何度も読み返したくなる物語だった。
文庫も出ているのでそちらを購入したいと思う。

それでは今日は、読まず嫌いは良くないぞと言うお話でした。

まだまだ知らない作家さんはたくさん。
私はこれからリカバリしていけるのでしょうか?
お気に入りの作家さんの本も、全部は読み終わっていないのに?

本の世界は広大で、時々読書だけで人生が終わってしまう気がします。
面白い本に出合えるなら、そんな毎日に一片の悔いなし、なんだけどさ。

 

おはなしして子ちゃん (講談社文庫)

おはなしして子ちゃん (講談社文庫)

 

 

ともだち幻影

年明けに、学生時代の友人たちと久々に会った。
いわゆる新年会、という奴である。

友達は女子会だー!なんて騒いでいたけれど私はしっ、と指を立てて辺りを伺いたくなってしまった。40過ぎて自分に子、を付けたりカワイイイイ、なんて言っているとどこかから鉄槌が下りそうで背筋が冷えるのである。

しかし考えたら現実世界で自分をなんと呼称しようが、どんなイタイ服を着ようがそんなもん個人の自由。聞こえよがしに嫌味を言う度胸のある嫌われ役は滅多に現れない。私はネットに毒されすぎなのね…としみじみ現実を噛みしめた。

さて、昔馴染みとの新年会は、なんだかやたら楽しかった。
女子高生に戻ったかのように、とにかくきゃっきゃうふふしてしまった。
女が寄り集まれば子どもに返る。女子会という呼称は、結局正しかったのである。

 

リアルでは自分が話すより、人の話を聞く方が好きな性質だ。
でもそういう性格だと、私に興味はないし趣味も合わないけれど、とにかく自分の話を聞いて欲しい、褒められたい人ばかりが集まってきて少し困ったりもする。

おしゃべりな人は好きだけれど、まるで興味の持てない話が延々と続くのはさすがに辛い。そんな時はあいづちをそっけなくしたり、その話は分からないな、とやんわり断る。

私を一人の人間として認めてくれている人相手ならそれで終わる話なのだけれど、世の中にはこちらが優しく接するだけでなぜか他人を奴隷扱いする権利を手に入れたかのようにつけ上がるバカが存在するのでうんざりする。

丁重に、あなたとは好きなものが違いすぎるから、と距離を置いたのになぜムッとされなくてはいけないのか。私はつまらない話を聞いてあげた、と思っているけれど相手はつまらない人間に面白い話をしてあげた、と思っているのだろう。

やはり何事も一方通行は良くない。私は相手が気持ちよく話せるように、と気を使ってしまいがちである。しかしいくら気を使おうがサービス料は発生しない。今後は上から目線で来る人間のつまらない話には笑顔で辛辣なツッコミを入れて、向こうからスムーズに嫌われたいと思う。

 

一方昔からの女友達は、いくつになっても私に興味を持っていてくれて嬉しい。

歯科助手のTちゃんは、今治療に来ている女子高生の、瞼を閉じた時の瞼の形があなたと瓜二つだから見るたびにあなたを思い出して懐かしい、と力説してくれた。

私はまだ私の閉じた瞼の形を知らないので(だって見えない)、カーブがこう!と言われてもいまいちピンと来ないしマニアックすぎて軽く引くのだが気持ちは嬉しい。

そんな話をしていたらもう一人の友人も、最終電車で駅に着いて、前を歩く女子高生のコートが私が高校の時着ていたコートと同じ色形で、やたら速足な所も一緒で、追い越して顔を見たかったけど追いつけなかった、なんて言われた。

そんな所にいるはずもない私を、世界のどこかで探してくれる話を聞くとなんだか嬉しくなる。

私もよく友達の幻を見てしまう。
視界の端で翻る、あの子の好きなプリント柄のスカート。
すれ違った人から香る、彼女のお気に入りの香水。
階段の先から反響してくる、あなたによく似た話し声。

そうやってここにはいない私/あなたを思うたびに世界に残すものなんて幻だけで充分なんじゃないか、と思ってしまう。

名声でも、血を分けた子でもなく。
私が死んだ後も、あの子の声が聞こえた気がして、と立ち止まり振り返ってくれる誰かが一人でもいたなら。エコーのように、ほんの一瞬誰かの心に反響したなら。
それだけで生きる意味には充分な気がする。

 

とはいえその夜現実を生きる私たちに必要だったのは、生ビールと酎ハイとおつまみ各種、だったのだけれど。

また会いたい、けれど仕事やら家庭やら義実家やら、いわゆる小町なトラブルが私たちを遠ざける。でも夜の先にはきっとあなたによく似た幻がいる。

だから大丈夫、と私は手を振った。

 

夜のピクニック (新潮文庫)

夜のピクニック (新潮文庫)

 

 

 

レジェンド葛西に学ぶ!40代からの疲れない体作り

あけましておめでとうございます、おのにちです!
年の初めのお正月です、皆様どうお過ごしでしょうか。
私は作り置き料理をたくさんこさえ、漫画を大人買いし、
ゴロゴロすることに本気出してみました。
朝寝朝酒もってこーい!

 

...ところがたった二日で挫折。
たくさん寝ると腰がいたーい!朝から飲むと晩ごはんが食べられなーい!ずーっと漫画を読んでいたら肩が背中がバッキバキ!頭の中までどんよりやねん!

ゴロゴロするのにも体力がいるのですね。40代の私は一日中コタツで漫画で読む暮らしにもう耐えられません、体力的に。

結局二日からウオーキングに出かけてしまいました。
すれ違うのは似た年代の大人ばかり。

若かりし頃は正月から運動する人って偉いなーと思っていましたが、40代を迎えて理解できました。ゴロゴロした後は歩いたり走ったりしないと耐えられないんだよ、肩が腰が背中が!

40代はお疲れサマナー。
今年は疲れない体作りをしなくちゃな…と新年最初に買った本がこちら!

伝説の45歳、レジェンド葛西が教えてくれる『40歳を過ぎて最高の成果を出せる疲れない体と折れないつくり方』です。

 

40歳を過ぎて最高の成果を出せる「疲れない体」と「折れない心」のつくり方

 

疲れた時ほど体を動かせ!

 

この本は45歳で今なお現役、生きながらレジェンドと呼ばれる男葛西紀明選手の心と体の作り方が簡単にまとめられています。

イラストや図表つきの究極メソッドに、簡単なコツが30個。
これをこなせばあなたも葛西選手…かどうかは定かではありませんが、最近お疲れがちのあなたの手軽な意識改革入門編としては、ぴったりの一冊なのでは?と生活に疲れた私は思います。

 

40歳を過ぎて最高の成果を出せる「疲れない体」と「折れない心」のつくり方

40歳を過ぎて最高の成果を出せる「疲れない体」と「折れない心」のつくり方

 

 

例として、本の中からなるほど!と思ったことを少しだけ紹介してみましょう。

 

・「10分間のランニング」で、疲労回復

 

 疲れを感じた時に葛西選手がする事、それは「10分間軽くランニングすること」!体を動かした方が疲れが取れる気がする、そして汗をかけるからだそうです。汗をかくと老廃物や疲労物質が体外に出て、代謝が良くなり、疲労感も軽くなる!

疲れている時に運動なんて…と思いがちですが、デスクワークや同じ姿勢が続く仕事で疲れ切っているときには軽く体を動かすだけでもガチガチの身体がほぐれて、頭が軽くなったりします。疲れたら軽く走る、習慣にしたいですね。

 

・正しい姿勢が疲れないコツ!

 

いつも背筋をピンと伸ばした姿勢を意識している、という葛西選手。そういえばスキージャンプの選手ってみんな伸びた背筋が印象的ですよね。
いつもきちんとした姿勢でいたら逆に疲れてしまいそう…なんて思いがちですが、実は体幹を意識した正しい姿勢を保つことが体を歪ませない、疲れないコツなんだそう。
本の中では、寝る前3分で出来る簡単体幹トレーニングも紹介されています。

姿勢が良くなり、疲れない体を維持してくれる体幹。
体幹を鍛えることが肩凝り、腰痛の少ない体に繋がります。
体幹トレーニングの本やメソッドはたくさん売っていますので、今年は色々読んで試してみたいと思っています!

 

・やっぱりサウナが好き!

 

サウナ…と言ったら銭湯神ヨッピーが浮かびますが、葛西選手もサウナ推し!
サウナも汗をかくために必要で、十日に一度は足を運ぶとのこと。
勿論ヨッピーさんが大好きな、「温冷交代浴」(サウナと水風呂)推しです。

私は実はサウナが苦手なんですが(息苦しい感じが慣れない!近所のサウナが常連さんの我慢大会場と化しているので、熱すぎるのかも知れない)汗をかいて締めに水風呂なら出来るかな?と近所の岩盤浴にチャレンジしてみました。

岩盤浴の良い処は下からじんわり温まるので熱すぎない所!これならゆっくり入れます。水も持ち込めるし、息苦しくないのもイイ。
おかげで楽して滝汗を味わうことが出来ました。シャワーで流したあとは水風呂でスッキリ!

ととのった…のかどうかは分かりませんが、子どもの頃行ったスキ―教室の帰りのような、強烈な脱力感と眠気に襲われましたwととのうってコレでいいのかー?ヨッピーさんのおっしゃるととのう感については未だに納得いってませんw

 

会津周辺の大きな温泉施設には岩盤浴が併設されている場所が多く、利用料金も50分190円(入浴料が400円かかりますが。それでも安いよね?しかも会津若松駅前です!)とか、入浴料コミコミとか、安く入れる場所が多いです。

サウナは挫折しましたが、今年は岩盤浴で疲れをしっかり落としたいと思っています!

 

 本にはこの他にも太らない体作り、老いない体作り、と40代には垂涎の記事ばかり。
メンタルの安定させ方についてもページが割かれているのも面白かったです。
心と体は繋がってるんですよね、勿論。がっつり読み込んで、今年の参考にしたいと思ってます。

 

…そんなことを言いながらもこの記事一本を書くだけで肩がガッチガチな訳ですがw
最後に私が今お気に入りのダンス動画を貼って終わります。
結構キツイですが5分間なので、家事の合間に簡単にリフレッシュできますよ!
肩周りがほぐれるし汗も軽くかけるからオススメだ!それではまた。

 


【5分で脂肪燃焼!】有酸素運動エクササイズ workout exercises at home to lose weight

 

二〇一七・おのにちまとめ

さて、今年ももうすぐ終わりです!
とりあえずいくつかの料理を作り終えたので、あとは最後のブログを書いて飲むだけ(ストロングゼロではない)。

まとめだから、適当に今年書いた記事の中からブックマーク数の多いのを数本張り付けて感想書けばええやろー、と思ってたんですが…

一月の記事を読み返して愕然。
あれ、私この時何考えて書いてたんだっけ…⁉
忘れてるよ!あの頃の気持ちを思い出せそうもないよ!

いや、もちろん全文私が書いた文章なんですが。
すっかり忘れてる…この時なんでこんなに悲観的なんだ?この時はなんでこんなに楽観的なんだ?

私がアウトプットするのは脳内でモヤモヤしている思考をスッキリさせるためなので、ある程度忘れるのは当たり前なんですが。
それにしてもここまで綺麗に忘れてるとは。そして昔の記事がめっちゃ下手くそで凹む…

 まぁ、昔の記事が下手に見えるのは(多分)成長のあかし!と気を取り直して取り直して。

今日は基本に立ち返り(おのにち、昔はミステリの感想ブログでした)今年書いた本の感想記事(そしてAmazon)を張り付けて終わりにしたいと思います。
 

・家族の話。母との確執は何度も出てくる話かも知れません。

yutoma233.hatenablog.com

 

ど根性ガエルの娘 1 (ヤングアニマルコミックス)

ど根性ガエルの娘 1 (ヤングアニマルコミックス)

 

 

 ・2016年発売の本だけどホントに面白かった。機械と人の違いも、SFを読むたびに考えてしまうテーマです。

yutoma233.hatenablog.com

 

明日、機械がヒトになる ルポ最新科学 (講談社現代新書)

明日、機械がヒトになる ルポ最新科学 (講談社現代新書)

 

 

 ・マイルズ君は私の背骨。今年完結したけど、俺たちの坂はこれからだぜ!みたいなラストでした。10年でも20年でも、生きてる限り続き待ってます…!

yutoma233.hatenablog.com

 

マイルズの旅路 (創元SF文庫)

マイルズの旅路 (創元SF文庫)

 

 

 ・今年の主要ミステリランキング3冠王!ネタはトリッキーだけどあくまでも本格ミステリ、文章も綺麗。これがデビュー作とは末恐ろしい作家さんざんす。

yutoma233.hatenablog.com

 

屍人荘の殺人

屍人荘の殺人

 

 

・中高生に読んで欲しい本。優しく綺麗なお話だけど、伝わってくる願いはとても強い。著者辻村深月さんも、子供の頃本に救われたのかなぁ、なんて思いました。

yutoma233.hatenablog.com

 

かがみの孤城

かがみの孤城

 

 

今年のまとめ、以上!

来年はもう少し落ち着いてゆっくり、時間を掛けて書きたいです。
本数を減らして、ちゃんと推敲しなきゃ。今も煮物しながら書いてるし。
ストップながら書き…!

そうして来年こそは胸を張って紹介できる記事が出来たらいいんですが。
来年の今頃もアタフタしながら凹む自分が目に浮かぶようです…

とにかく、こんなへっぽこブログに一年間付き合って下さってありがとう。
皆さんが自由に届けて下さる感想が楽しくて、書き続けることが出来ました。

来年も落ち込んだり浮かれたり太ったり痩せたり?多分日々アタフタしてますが、時々覗きに来てくれたら嬉しいです。


それではまたっ!

近藤史恵『インフルエンス』感想-私たちの絆の話

 大阪郊外の巨大団地で育った小学生の友梨(ゆり)はある時、かつての親友・里子(さとこ)が無邪気に語っていた言葉の意味に気付き、衝撃を受ける。
胸に重いものを抱えたまま中学生になった友梨。
憧れの存在だった真帆(まほ)と友達になれて喜んだのも束の間、暴漢に襲われそうになった真帆を助けようとして男をナイフで刺してしまう。
だが、翌日、警察に逮捕されたのは何故か里子だった――

幼い頃のわずかな違和感が、次第に人生を侵食し、かたちを決めていく。
深い孤独に陥らざるをえなかった女性が、二十年後に決断したこととは何だったのか?

近藤史恵さんの『インフルエンス』を読み終えた。

明るく優しいコージーミステリからシリアスなサスペンス小説まで、幅広い作風を持つ作家さんである。

『インフルエンス』は緻密な心理描写にやられそうになるシリアスなミステリだったが(傑作ロードレースミステリ・サクリファイスを思い出す)、物語の緊迫感に追われるようにイッキ読みしてしまった。

 

インフルエンス

 

『インフルエンス』あらすじ

 

これは4人の女性たちの物語である。
ヒロイン友梨から「私たちの三十年にわたる関係を書いて下さい」と、思わぬうちわけ話を聞かされる羽目になる作家の『私』。
子どもの頃、幼馴染の里子が発したSOSに気がつけなかったことが心の傷となっているヒロイン友梨。そんな友梨の親友となる美少女真帆。そしてかつての親友、友梨を庇う里子。

女たちの不思議な絆が罪の連鎖へと繋がっていく。
私と『私たち』の境界の曖昧さに眩暈を覚えながらも引き込まれてしまう、そんな物語だ。

 

「女の友情は脆い」だなんて、良く言われがちである。
親密そうに見える仲ほど、些細な出来事であっさりと切れてしまうから。

でも脆い絆を『友情』という言葉で表すのは違う気がする。
女同士の友情は同一性を大切にすることが多い。
お揃いの服や持ち物で結ばれる絆、それから言葉で共有感を深めてゆく。
「私も」「私たち」「だよね」「そう思う」。

男同士の友情は互いを認め合って結ぶものが多い気がする。
勿論女同士だって、異なる人間として尊敬しあうのが友情の基本である。

でもごく稀に、私ととても良く似た「女の子」に出会う時がある。
服の好みも、背格好も、考え方もみんな同じ。
いつも気があって、いつでも一緒にいたい。
朝から晩まで一緒にいても気を使わないから疲れない。
家に帰った後もLINEや電話でずっと繋がっていたい。

そういう相手に出会うことは本当に奇跡で、幸運で、そして不幸せだ。

私と限りなく同じ『私』が私を肯定してくれる、好きになってくれる。
なんて素晴らしい自己肯定感。

でも私と同じ私が違う一面を見せた途端、愛は憎しみに変わる。
あなたは『私』であるはずなのに私を裏切る、キライキライキライ。

どんなに似て見えても、自分と同一の人間なんてこの世にはいないから、私たち同士の縁はそうやって切れてしまう。

自他の境界を見失った縁。それはとても脆くはかない。
二人が親密であればあるほど絆は切れやすく、傍から見ていた人たちには理解しがたいだろう。

でもそれを本当に友情と呼んでいいのか、私には分からない。
私が私を好きになって、認めてくれる。
それはとても甘やかで、ねっとりした濃い絆。

 「インフルエンス」で描かれる友情はそんな感じだ。甘くて、怖い。

 

私のリカちゃん

 

この本を読み終えて、私は小一の時の友達、リカちゃん(仮称、リカちゃん人形のような小さな顔だったから)を思い出した。

近所に住んでいて、一人っ子で寂しがりなのに人見知りで、いつも二人だけで遊びたがった「リカちゃん」。
幼いころから引越し続きで、いつも他所から来た子扱いされていた私は、小学校で初めて自分を頼ってくれる友達を手に入れた。

その子はお人形のように可愛らしくて、大きなお家にいつも一人ぼっちで寂しそうだった。

私はリカちゃんの事を秘密の花園のメアリーみたいだと思った。
それからは少し我がままで気分屋の彼女に尽くすのが私の日課になった。
よく学校を休む彼女にプリントを届けるのは必ず私の役目だった。
それはすごく誇らしくて、甘やかな名誉だった。

リカちゃんの家は今思うと少し歪だった。
リカちゃんのお母さんは昼も夜もいないことが多かった。代わりにお婆さんの家政婦さんがいつも家にいたけれど、遊びに行くと陰から見張られているようで少し怖かった。お父さんも時々しか家に来ないと言っていた。そしてお父さんにはもう一つの家があるのだ、とも。

リカちゃんの親は決して学校に来なかった。だからリカちゃんは、運動会も発表会も授業参観も、親が参加する行事のある時は必ず休んだ。

リカちゃんと付き合うのはやめなさいと親に言われた、と別の友達が言ったとき、私は自分が誇らしくてたまらなかった。本当のリカちゃんが分かるのは私だけだと。誰に何を言われてもリカちゃんを守るのだと。

今になって思えば、七歳の私に何ができたと言うのだろう。
それでも思い出すのは甘やかな記憶ばかりだ。
プリントに忍ばせた手紙、休みがちな彼女との大事な絆だった交換日記。
ドールハウスで二人で遊んだこと。

人形遊びの時の彼女の家族設定はいつも少し不思議だった。
二軒の家を持つお父さん、ケンはお母さんのボーイフレンド。
「本当のお父さんはおじいちゃんだから、学校に来てほしくないの」。

当時は分からないことばかりだった。
リカちゃんはいつも不思議な顔をした私にオトナには内緒だよ、と言った。
そんな小さな秘密さえ宝石のように輝いて見えた。

 

リカちゃんは二年生になる前に大きなお家から引っ越していってしまった。
ケンとおじいちゃんがケンカをして、リカちゃんのママはケンと結婚するのだと言う。若いパパが出来て嬉しい、と言いながらリカちゃんは少し不安そうだった。
新しい住所は友達に教えちゃダメなんだって、と彼女は悲しそうだった。

多分引越し先を内緒にしたかったのだろう。
彼女の家の前で小学生に声を掛けるおじいさんがいるから気をつけなさい、なんて話が朝礼で流れて、そのうち消えた。

みんなリカちゃんを忘れた。
そして私も。

 

二年生になり、新しい友達がたくさん出来た。
私はグループで遊ぶ楽しさを覚えた。
誰かと二人きりで、家で静かに遊ぶことはもう無かった。

TVのこと、ラジオの話。
自分達だけの秘密ではなく、他者と共有できる話題で皆と繋がれるようになった。

古タイヤを飛び越えて遊んでいるときに、ふと一人の友達が言った。
一年生の時も仲良くしたかったけど、声がかけられなかった。いつもリカちゃんと一緒だから、横入りできなかったと。

 

私とリカちゃんの世界は閉じていたのだ。その時始めて気がついた。
同じクラスに、こんなに気が合う楽しい友達がたくさんいたのに、声を掛けたいと思ってくれていたのに、私にはリカちゃんしか見えていなかった。
外部から見る自分、という視点を手に入れたのはその時だったと思う。

 

私は今でも、誰かと二人きりで会うのは少し苦手だ。特に女性とは。
私は自分が誰かと同調しやすい、寄り添ってしまいがちな人間だと分かっているから。

私とリカちゃんの絆は多分間違いだった。
でもあの頃の空気は今でもチョコレートのように濃く甘やかで、私の胸を締め付ける。

 

『インフルエンス』という物語の中で、少女たちは自分の特別な絆を証明するかのように人を殺めてしまう。

私とあなたは違う人間で、全ては分かり合えないのだ。
自他の境界を保つことが大切なのだ、私達は生まれた時から一人なのだ、と私も本当は分かっている。

それでも時折思ってしまう。
遠い空の下を思い浮かべて。
どんな諍いが起きても、きっとあなたなら私のことをわかってくれる、と。

『インフルエンス』のテーマは人の絆。
自分自身の過去の記憶が呼び起こされる物語でした。

この本を読んだあなたはどんなことを思い出すのでしょう?
いつかそっと聞かせて下さいね。

 

インフルエンス

インフルエンス